(8)しょうもない運命

 これ以上は食べられないという状態まで食べまくったアルティナは、食事を済ませた後はデニスと二人で屋敷に戻るつもりだった。しかし周囲からの「せっかくですからお屋敷までお送りします」との申し出を断り切れず、全員揃って店を出てグリーバス邸への道を歩いて行った。

 最初は面倒だと思ったアルティナだったが、気安い仲であった面々との久々の会話は楽しめるもであり、次第に笑顔が深まる。それを横目で見たデニスは、密かに安堵した。


「皆様、本当に博識でいらっしゃいますのね」

「いやいや、そんな大したことではありませんよ」

「市井の情報なんかは、貴族のお嬢様が知っている方がおかしいですから」

(こいつら、すっかり騙されているな。アルティナ様とアルティン様が同一人物だと、夢にも思っていないらしい)

 もう苦笑するしかできないデニスだったが、最後尾で笑いを堪えながら歩いて行くうちに目的の場所に到着し、慌てて数歩前を歩くアルティナに声をかけた。


「アルティナ様、こちらです」

「あ、そうだったわね」

 公爵邸の敷地をぐるりと取り囲む、何の変哲もない鉄柵の所でデニスが立ち止まった。何故正門や通用門まで行かないのかと他の者は怪訝な顔で振り返ったが、アルティナはその場で笑顔で頭を下げる。


「皆様、今日は大変楽しく過ごさせていただきました。加えて、沢山のお料理を味わうことができて、嬉しかったです」

「こちらこそ、喜んで貰えて良かったです」

「だが、デニス。ここは門ではないぞ? 裏門からこっそり入るとかではないのか?」

「使用人に見つかると、即刻公爵夫妻にご注進がいくからな。ここから入るんだ……、よっと」

 挨拶の間デニスは柵の中の一本を両手で掴み、慎重に斜め下に引っ張り始めた。すると地面から空に向かって突き刺さっている筈の鉄棒の一部が、斜めに切り取られたようにずるりと外れる。


「うわ!」

「おい!?」

「なんだよ、それは!?」

 流石に有り得ない光景に周りの者は目を丸くしたが、デニスは構わず抜き取った棒を地面に置き、続けてその隣の柵に手をかけながら簡潔に説明した。


「何代か前の当主が、浮気時の通用口代わりに使っていたらしい。アルティン様が図書室の中で記録を見つけて活用していた」

「……アホすぎる理由と用途だな」

「非常識過ぎる」

 周りが呆れた感想を述べているうちに、デニスは二本目の鉄棒も外してアルティナを促した。


「さあ、アルティナ様。誰か来ないうちに」

「はい」

 一般的な貴族令嬢の横に広がったドレスでは、引っかけたりつかえたりする幅の隙間ではあったが、市街地に出て怪しまれないように簡素なワンピース姿のアルティナは、そこを余裕ですり抜けられた。そして素早くデニスが鉄棒を元通り柵に嵌めこんでいる中、アルティナは外の面々に向かって再度礼を述べた。


「それでは皆様、今日はありがとうございました」

「いえ、私達も楽しかったです」

「部屋まで気を付けて戻ってください」

 挨拶を済ませた彼女は、建物に向かってゆっくり薄暗い木立の中を歩き出した。そして二本目の柵を元に戻したデニスは、背後を振り返って同行者達に釘を刺す。


「よし、偽装完了。言っておくが、この事は他言無用で宜しく」

「分かっている」

「公爵家に押し入る気はないから安心しろ」

「ところで、屋敷内に入る時にはどうするんだ?」

「予め時間を決めておいたから、妹が中から通用口を開けることになっている」

「それなら大丈夫だな」

 本当はユーリアがバルコニーからロープを垂らし、それを登る手筈になっているのだが、正直に口にすればとても深窓の公爵令嬢とは思われないので、デニスは口から出まかせを言って歩き出した。すると数歩した所で、ケインが背後から彼の肩を掴んで引き止める。


「……デニス。彼女に関して、ちょっと聞きたい事がある」

「何を聞きたいんだ?」

 足を止めて何気なく振り返ったデニスだったが、途端に鋭い視線を向けられ、心の中で一気に警戒度を上げた。


(なんだ、この探るような視線は? そう言えばケインは顔を合わせた直後から、他の皆と比べると、アルティナ様と喋っていなかったな。……まさかアルティナ様がアルティン様かもしれないと疑って、ずっと観察していたのか? さすがはアルティン様に次ぐ若さで、黒騎士隊副隊長に就任しただけのことはある。何か不審な点でも見つけたんだろうか?)

 身構えながら相手の次の言葉を待ったデニスだったが、ケインの問いは彼の予想斜め上の代物だった。


「お前……、彼女に恋愛感情を持っているのか?」

「……はぁ?」

(こいつ、いきなり何を言い出すんだ?)

 咄嗟に言われた内容が分からず、呆けた表情で何度か瞬きをしたデニスに、ケインは若干苛ついた表情で付け加えた。


「亡くなった主君の妹と言ってもそこまで献身的に仕えるのは、少々やり過ぎではないかと思うが。アルティナ殿は最近までずっと領地にいらしたし、お前とは殆ど接点はないだろうが」

「だから俺がアルティナ様に好意を抱いているとかいう、個人的な感情が入っていると?」

「ああ」

 そこで漸く相手の疑念が分かったデニスは、落ち着き払って答えた。


「まあ、個人的感情が入っていると言えば、確かに入っているか。俺はアルティナ様の乳兄弟だしな」

「それはアルティンも同様だろう?」

 尚も不思議そうなケインに対し、デニスは嘘と真実を適当に絡めた話をしてみせた。


「いや、公爵夫人が領地の館で出産した後、アルティナ様は数ヶ月前に俺を出産していた平民の母に預けられていたんだ。アルティンには下級貴族のご婦人を、乳母に付けていたがな」

「そうだったのか」

「その後アルティナ様はずっと領地の館で育ったから、騎士団に入るまでグリーバス領に居た俺からすれば、誕生後すぐに王都の屋敷に行かれたアルティン様より、彼女の方が付き合いが長いんだ。もう殆ど、妹みたいな存在だな。見て分かったと思うが、世間知らずで危なっかしいし」

「なるほど、そうか……」

「それがどうかしたのか?」

 本当は、長男ではなく六女として生を受けたアルティナに失望したギネビアが、幼少時は領地の人間に子育てを丸投げして武芸一般を叩き込ませ、その間王都でどこかの男子を影武者として育てていた結果だったのだが、そんな事は綺麗に覆い隠してデニスは話の先を促してみた。しかしケインがこれで納得するだろうと思っていたデニスの予想は、続けて外れることとなった。


「それなら、お前の意見を聞きたい。俺が、彼女の夫になるのは無理だろうか?」

「…………え?」

 ここに至ってデニスの思考は、完全に停止した。しかしその反応を見て控え目に否定されたと感じたのか、ケインは彼の両肩を掴んで詰め寄りながら必死の形相で訴えてきた。


「確かに、家格としては難しいと思う。向こうは建国以来続いている、最上位の公爵家だし」

「ちょっと待て、ケイン」

「俺の家は一応伯爵位を持っているが当主は父で、今現在俺自身は無位だし」

「おい、少し冷静に」

「だが俺は今夜、運命の女性に出逢ってしまったんだ!! 一目惚れなんだ。あの控え目で我慢強い、しかし他人への思いやりを忘れない優しい心根、涼やかな瞳にあの花が咲き誇る様な笑顔! 俺の伴侶は、もう彼女しかあり得ない!!」

「だからちょっと落ち着け、ケイン! 驚いてデニスが固まってるぞ!?」

 段々興奮して自分を激しく揺さぶりながら訴えてきたケインを見ながら、デニスはひたすら唖然としていた。そして他の三人が血相を変えて自分からケインを引き剥がし、何とか宥めようとしているのをぼんやりと眺めながら、考えを巡らせる。


(本気で心配して損した。馬鹿だ、こいつ。これまで散々アルティン様と馬鹿話をしたり、飲み比べをしたり、因縁を付けてきたごろつきを叩きのめして身ぐるみ剥がすような真似をしてきた仲なのに……。今更一目惚れ云々って、なんの冗談だよ。だが……)

 徐々にいつもの調子を取り戻したデニスは、冷静にこれからするべき事を考えた。そしてアルティナから受けている指示内容、グリーバス公爵家の縁戚・交遊関係、加えてケイン自身の情報やシャトナー伯爵家の評判や資産内容などを素早く冷静に検討した結果、満足げに口元を歪めながら笑う。


「……悪くないかもしれない」

「え?」

「デニス?」

「何か言ったか?」

 デニスが何やら呟いたのを耳にした面々は、怪訝な顔で振り返った。そこでデニスは瞬時に笑いを消し、重々しく勿体ぶって言い出す。


「確かに、普通に考えれば公爵令嬢のアルティナ様と、単なる伯爵家の嫡男のお前との間に、縁談が成立するとは思えない。だが、俺の言う通りにしてくれれば、結婚できる可能性は十分にある」

 そう口にした途端ケインは喜色を露わにし、他の者は半信半疑の視線をデニスに送った。


「本当か!?」

「おい、どうする気だ」

「信じられんな」

「ちょっとアルティン様の計画に、付け加えるだけだ」

「アルティンの計画って……。あいつはもう、死んでるんだぞ?」

 そこでデニスは落ち着き払って、アルティナの計画の一部を暴露した。


「実はアルティン様は、自分が急逝した場合のアルティナ様の身の振り方について、俺に色々指示を残していたんだ。基本的なところは『公爵夫妻がアルティナ様に縁談を押し付けて家から追い出そうとする筈だが、それを悉く妨害した上で、領地や財産を幾分割譲させて穏やかに過ごして貰う』という代物なんだが」

「悉く妨害って言っても……。お前は一介の騎士だし、どうしようもないだろう?」

 レスリーが常識的な意見を口にしたが、デニスはそれに苦笑いで答えた。


「アルティン様は、予め彼女の縁談相手を予想していたからな。仮にも公爵令嬢だから公爵家か侯爵家の当主及び嫡男の正妻にして貰わないと、グリーバス公爵家が周囲から軽視されると公爵夫妻が考えるのを逆手に取って、該当する家の未婚男性や、妻に先立たれたり離婚して独り身の人物をリストアップしていた。更にそれを、縁を結んだ時場合に公爵家に利益がある順番に、弱味や悪事の証拠を探らせておいて、相手によっては既にそれらを把握済だ」

 その説明を聞いた男達は、揃って頭を抱えた。


「おいおい、なにやってるんだよ……」

「アルティン……、用意周到過ぎる」

「流石は稀代の天才軍師と名高いだけの事はあったが」

 ここで何かに気付いたように、サイモンが顔色を変えて確認を入れる。


「ちょっと待て、デニス。そうするとまさか、今噂になっているグリーバス公爵家とジェスター侯爵家のいがみ合いって、裏でお前が糸を引いていたのか?」

「ノーコメント」

(あれに関しては、アルティナ様がストレス解消を兼ねて自ら手を下したんだが、別にわざわざ言わなくても良いしな)

 しれっとして明確な返答を拒否したデニスだったが、その表情を見れば関与しているのは明らかであり、男達は半ば呆れながら溜め息を吐いた。


「良く分かった。それでお前はこれからも悉く、縁談を妨害していくつもりなんだな?」

 再度確認を入れてきたサイモンに、デニスが真顔で頷く。


「ああ。その上で俺の言う通りに動いてくれたら、ケインの所にアルティナ様を縁付かせるのは、十分可能だと思う。どうだ? 俺の話に乗らないか?」

 そう言ってデニスが年上の同期に不敵に微笑むと、ケインは真顔で力強く頷いた。


「乗った。デニス、力を貸してくれ」

「ああ、全面的に協力する。できれば皆にも、力を貸して貰いたいんだが」

 そこでデニスは控え目に周りの男達に協力を求めてみると、予想以上の好反応が返ってきた。


「分かった、任せろ!」

「気の毒な姫君のために、幾らでも力になってやろうじゃないか!」

「アルティンのためにも、できる限り助力するぞ!」

「それなら詳細を詰めながら、これから飲み直さないか?」

「そうだな、一度飲み屋街に戻るか」

「なんだか無茶苦茶楽しくなってきたな!」

 すっかり意気投合して、『ケインとアルティナ殿をくっつける会』結成だと盛り上がって歩き出した男達の中で、デニスは(暫くこの事は、アルティナ様には秘密にしておかないとな。結婚なんかまっぴらだと常々言っている上に、相手がケインだと知ったら即行足蹴にしかねない)と人の悪い笑みを浮かべながら、着々と今後の計画を立てていった。

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