(10)命の洗濯

「アルティン様はこちらですか!?」

「何だ、お前は?」

 アルティンの名前を大声で呼ばわりながら、ユーリアは廊下を駆け抜け、階段を駆け上がった。そのままの勢いで二階の奥へと突進したユーリアは、公爵家の私兵が佇んでいるドアに迷わず駆け寄り、それを乱暴に拳で叩きながら室内に向かって呼びかける。


「アルティン様! 下で話を聞きました! どう考えても納得できません!」

「何をする!! 静かにしろ!!」

「そっちこそ、離してください!」

 慌ててドアから引き剥がそうとする兵士とユーリアが揉め始めると、さすがにその喧騒が聞こえたらしいアルティナが、中からドアの鍵を開けて顔を覗かせた。


「ユーリア、戻ったのね」

「アルティン様! どういう事ですか!」

「どうもこうも……、今の私は“アルティナ”だしこれからもそうだから、呼び方はちゃんと切り替えてね?」

「何をのんきな事を! こんなことになって、腹が立たないんですか!?」

 ユーリアは険しい顔付きで訴えたが、アルティナは多少困ったように肩を竦めただけだった。


「そう言われてもね。既にアルティン・グリーバスの死亡届けは出されている筈だし」

「それはそうですが!」

 相変わらず憤然としていたユーリアだったが、戸口で立ち話もどうかと思ったアルティナが、苦虫を噛み潰したようにこの間二人を眺めていた兵士に皮肉っぽく笑いかける。


「私の侍女が戻ったのだから、私の身の回りの事をさせても構わないわよね?」

「どうぞ……、お好きなように」

「それなら取り敢えずユーリアを連れて中に入るから、そこの戸を閉めてくれないかしら?」

「……失礼しました」

 上下関係を認識させる為に、わざわざ相手にドアを閉めさせた上でアルティナは中から鍵をかけた。そのままユーリアを連れて続き部屋の寝室まで行き、立ち聞きされる心配をなくしてから尋ねる。


「どう? 上手くごまかせそう?」

「取り敢えず盛大に驚いた振りをして、喚いてきました。私が関わっているとは、はっきりと断定はできなかったのではないでしょうか? ですがこちらに戻った早々、不愉快な顔を二つも見てしまいました」

 慎重に考えながら述べたユーリアだったが、最後にローバンとタイラスの顔を思い浮かべて盛大に顔を歪めた。それを見たアルティナが、思わず噴き出す。


「ユーリアったら、運が良いのか悪いのか……。絶妙のタイミングで戻ってきたわね」

「そうですね。でもこれで王都のお屋敷の無実の使用人が、大量解雇されそうです」

 僅かに罪悪感を滲ませながらユーリアが口にしたが、アルティナは正直に思うところを述べた。


「運が悪かった、としか言いようがないわね。私は底抜けのお人好しではないから人のプライバシーを暴こうとしたり、事あるごとに人の陰口をたたくような連中に、同情する気はないわ」

 結構非情に言い切ったアルティナだったが、常日頃の事を思い返したユーリアは、殊更それを非難しようとは思わなかった。


「それは分かっています。それに大量解雇と言っても、直接アルティナ様と接触する可能性がある執事や従僕や侍女だけでしょうし。下働きの女性や庭師、コックなどはそのままでしょうから」

「有能な使用人なら、引く手は数多でしょう。路頭に迷うなら自分の責任ね」

「それでアルティナ様は、これから一体どうするおつもりですか?」

 主従でばっさり大量解雇問題を切り捨ててから、ユーリアが今後の事について尋ねた。アルティナは少し考えてから、それに言及する。


「う~ん、これから連中のやりそうな事に見当は付いているから、早速デニスにその下調べと、対応策の準備をして貰おうと思っているのよ。ここから王都まで、こっそり鳥を飛ばせるかしら?」

 その問いに、ユーリアは力強く頷く。


「実家経由でなら、大丈夫です。実家にいる間に、父と兄には話を付けておきましたし。今回の話を聞いて、皆怒っていましたよ」

「あら、却って心配をかけてしまって悪かったわ」

「ですが、まだ敷地内に見張りや巡回の私兵がごろごろしていますので、できれば内密に事を運ぶ為に連中には引き上げて貰いたいですね……」

 少々困ったようにユーリアが口にすると、アルティナは笑いながらその懸念に答えた。


「それは大丈夫じゃないかしら? 公爵様自らやって来て、私が大人しくしているのを確認したから、今日で厳戒態勢は解除されると思うけど。今更アルティンとして暴れる可能性はないと判断したでしょうから」

 その指摘に、ユーリアは納得して頷いた。


「そうですね。そもそも死亡届がしっかり出された後で、暴れる意味がありませんし。それでは通信文の準備だけお願いします」

「もう作ってあるわ」

「手回しが良いですね。見せていただいても宜しいですか?」

「ええ、構わないわよ」

 どこまでも用心深く、机や引き出しに入れて掃除や給仕時に入室する侍女の目に間違っても触れないようにする為、アルティナは着ている服の袖口にそれを仕込んでおいた。アルティナはその細長い紙を引っ張り出し、ユーリアに手渡す。ユーリアは小さな文字で項目だけ書かれたそれに目を走らせてから、主に向かって呆れ果てた声をかけた。


「アルティナ様……」

「何?」

「この読み通りになるなら、あの連中、本当にろくでもないですね」

「底が見えているだけに、とっても対処が楽よ? 寧ろそのろくでなしっぷりに、私は感謝しているわ」

「……そうですか」

 あまりにも清々しく笑って応じた主に、ユーリアはそれ以上何も言う気はおきなかった。



 アルティナの予想通り、屋敷の内外に待機していた私兵達は、夕刻までに人数が少なくなり、通常の警備態勢に戻った。そして邸内の灯りも一つ二つと消える中、無灯火のアルティナの部屋の窓が音もなく開けられる。

 その開けた窓からユーリアが注意深く外の様子を窺うと、敷地に隣接している森の中から、「キョッ、キョッ、 キョッ……」という早口の、甲高い鳴き声が微かに聞こえてきた。それに満足したように微笑みながら、ユーリアが呟く。


「よし、巡回の兵士もいないわね。始めましょうか」

 彼女は、手の中にあった細長い筒状の物を口に運んだ。その手のひらに簡単に握り込める呼び笛は、人間の耳には聞こえない音を周囲に向かって響き渡らせ、特定の鳥のみに反応して一瞬森の中が賑やかになる。それをユーリアが間隔を開けて何回か吹き続けていると、黒褐色で細かい模様が全身にある鳥が一羽、暗闇の中、細長い翼をゆっくり羽ばたかせて飛来し、寝室の窓辺に静かに着地した。


「よし、リーン、ご苦労様。これをお願いね?」

 やって来たその鳥に優しく話しかけてから、ユーリアは片足に装着されている収納用の細長い筒に、アルティナから預かった通信文を、これ以上は細くならない位に丸めて入れた。そしてきちんと封をして鳥の背を優しく一撫でしてから、手の中の笛を短く一回強く吹く。

 その音も、勿論ユーリアや背後で黙って経過を見守っているアルティナには聞こえなかったが、使命を受けた鳥は音もなく飛び立ち、たちまち森の中に姿を消した。


「さて、これで今夜中には実家にあれが届くでしょうし、明日の朝に速度と持続性のある鳥に移して、王都にいるデニス兄さんの所に飛ばして貰います」

「ありがとう。いつも悪いわね、ユーリア」

「それは構いませんが……。アルティナ様。結局王都には、いつ頃戻ることになるのですか?」

 窓を閉めて主の側に戻ったユーリアが、素朴な疑問を口にした。アルティナは時期はそれほど気にしていない様子で、淡々と答える。


「そうね……。あと半月かひと月位で、王都に呼びつけられるとは思うけど……。それまでここで、のんびり寝て暮らすわよ。こんなにダラダラできるのなんて、初めてだもの」

「本当に、動じない方ですね」

 最後はにこやかに笑って、アルティナは当面の予定を告げた。主の様子にユーリアは苦笑してから、手早く彼女の寝る支度を整えていった。

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