第2章 アルティナの縁談

(1)想定内の縁談

 王都リオネルに届いたアルティン・グリーバス急死の報は、近衛騎士団内と社交界にかなりの動揺と嘆きを引き起こした。それが沈静化した頃、アルティナはひっそりと領地から王都のグリーバス邸に呼び寄せられたが、到着早々落ち着く暇もなく、家族揃っての夕食の席で不愉快な話題を振られた。


「アルティナ、お前の嫁ぎ先が決まったぞ。ジェスター侯爵クレスタ殿だ」

「……そうですか」

 父親が唐突にほくそ笑みながら告げた内容に、アルティナは一瞬ナイフの動きを止めた。しかしすぐに何事もなかったかのように平坦な声で応じ、食事を続行させる。それを見たローバンが些か面白くなさそうに顔を歪めてから、恩着せがましく話を続けた。


「全く……、まともに社交界デビューも済ませていない、今後行き場のない行き遅れの年増のお前が、れっきとした侯爵夫人として何不自由のない生活を送れるのだぞ? 散々親不孝してきたお前にこんな真っ当な縁談を世話した私に、何か言う事はないのか?」

「それはそれは……。この身に過ぎる寛大なご厚情、感謝の念に絶えません。誠にありがとうございます、お父様」

(何を恩着せがましく。社交界デビューできなかったのは、あんたの意向でアルティンとして人前に出ていたからじゃないの。馬鹿馬鹿しくて、まともに話をする気にもなれないわ)

 アルティナは微塵も感謝しているとは感じさせない口調で、言葉だけは丁寧に礼を述べて食事を再開した。それを見たローバンが憮然としていると、今度は母親であるギネビアが横柄に言い放つ。


「早速明日ジェスター侯爵邸に、ご挨拶を兼ねた顔見せに行きますからね。せっかく幾つかドレスを作ってあげたのですから、変な格好はしないで頂戴。我が家の体面にも関わるわ。アクセサリーも一緒に、あなたの部屋に置いておきましたからね」

「ありがとうございます、お母様。早速使わせていただきます」

(あなたの趣味で作ったドレスなんか着て外に出ようものなら、却って我が家の名前に傷が付くわよ。第一、あなたの所に出入りしている仕立て屋は私のサイズを知らないのに、何をどう作ったのよ? 馬鹿馬鹿しい)

 どうせとんでもなくサイズが合わない上に、趣味の悪いドレスよねと見当つけながら、アルティナは素っ気なく礼を述べた。そこでグリーバス公爵家の養子になり、形式上はアルティナの義弟になったタイラスが、嫌らしく笑いながら口を挟んでくる。


「クレスタ殿は若い女性がお好きのようですし、黙っていれば叔母上もそれなりに見られる容姿なのですから、クレスタ殿に可愛がって貰えると思いますよ?」

「そうですか。タイラス殿も騎士団の方々に可愛がって貰っているようで、何よりですね」

 アルティナがそう言って彼に微笑みかけると、タイラスが顔を盛大に引き攣らせた。その弾みで派手に鬱血している頬に痛みが走ったのか更に顔を歪め、涙目でローバンに視線を向ける。しかし孫息子の無言の懇願と抗議の視線を受けても、ローバンは忌々しげな顔のまま無言を貫いた。結果的にアルティナは、三人の恨みの籠った視線を一身に浴びることとなった。


(あれで嫌味を言ったつもりかしら? 大体、騎士団でしごかれて、顔に青痣を作っている間抜けな顔で言われてもね。お父様がガタガタ言ったくらいで、団長や隊長達が手心を加える筈がないもの。それにジェスター侯爵って、あまりにも予想通り過ぎてちょっと……、いえ、かなり拍子抜け。もう少し、捻った選択はできなかったのかしら?)

 一気に食堂内の空気をギスギスした物に変えたアルティナは、突き刺さる視線などものともせず夕食を食べ終え、さっさと席を立った。そして廊下に出た途端、怨嗟の声がドアの向こうから聞こえてきたが、綺麗に無視して自室へと戻る。


「ユーリア、私の嫁ぎ先が決まったそうよ? ジェスター侯爵クレスタ殿ですって」

 部屋に戻るなりアルティナが口にした内容を聞いたユーリアは、呆れ返った表情になった。


「公爵様達が、アルティナ様が本気で大人しく結婚すると妄想しているらしいことと、相手が爵位と金だけは持っているエロ豚中年やもめ親父だということと、どちらに突っ込みを入れれば良いでしょうか?」

「そんなに真面目にお伺いを立てなくても……。どっちでも良いわよ。それから、この部屋にドレスとか装飾品とか収納してあるってお母様が言っていたけど、どこにあるのか分かる?」

 微かに笑いながらのその問いに、この屋敷に戻ってから黙々と荷物の整理をしていたユーリアは、真顔で頷いた。


「はい、それは確認済みです。アルティナ様の物とは区別して、そのまま保管してあります。ですが、あれはなんですか? とうとう衣裳部屋に入りきらなくなって、この部屋にまで奥様の衣装を保管させていたんですか? 帰って来たばかりでバタバタしていて、他の方に尋ねるのを忘れていましたが」

「それらはお母様が、私の為に作ってくれたそうよ。ありがたくて涙が出るわね」

 芝居がかった調子でアルティナが告げた内容に、ユーリアは戸惑った声を上げる。


「はぁあ? あの趣味の悪い代物がですか? それにパッと見た感じ、あのドレスはアルティナ様の体型には合いませんよ?」

「適当に作らせたんじゃない? ドレスに身体を合わせろってことでしょう」

 それを聞いたユーリアは、心底疲れたように溜め息を吐いた。


「奥様ったら、相変わらず他人の事には無神経で無頓着なんですね。今に始まった事ではありませんが」

「それで早速、明日顔合わせにジェスター侯爵邸に出向くんですって。おかしな恰好をするなと言われたわ」

「うわぁ……、災難ですねぇ……」

「別に私は災難だなんて思ってないけど?」

「今のは、お相手が災難だという意味です」

 思わず遠い目をしながら感想を述べた侍女に、アルティナはおかしそうに笑い返す。それに対し、ユーリアは若干険しい表情になって確認を入れた。


「ジェスター侯爵に関してはまだ兄から知らせが来ていませんから、遠慮なくやらかすおつもりですよね?」

 その問いかけに、アルティナは如何にもおかしそうに笑った。


「ユーリアったら、私が何をするって言うの? 私は明日、未来の旦那様と親交を深めてくるだけよ? それ以上でも以下でもないわ」

「これが欲の皮の突っ張った親父なら、文字通り顔合わせだけで済むでしょうが、あのエロ豚なら即行で寝室に引っ張り込むでしょうし……」

「ええ。やりたい放題よね、

「アルティナ様……」

「さてと、何を持って行こうかしら? まだ隠し戸棚は発見されていないわよね?」

 不敵に笑ったアルティナを見てユーリアは無言で項垂れたが、すぐに気持ちを切り替える。


「はい。先程確認しましたら、手つかずのままでした」

「良かった。本当に、用心深いご先祖様に感謝よね。あ、ユーリア。勿論着て行くドレスはお母様が適当に作って寄こしたドレスではなくて、例のリサイクルして作った物を着て行くから、そのつもりでね?」

「分かりました。準備しておきます」

「流石にアクセサリーはね。あの人のお古の、流行遅れになった奴を放り込んであるのでしょうし、それでない物を着けて行ったら不審がられるわ……。困ったわね。どれにしようかしら? あまりゴテゴテした物は、使いたくないけど……」

 宝飾類を保管してある飾り棚からケースを取り出し、テーブルの上にそれを広げて、ああでもないこうでもないと自問自答し始めた主人に向かって、ユーリアはごくごく控え目に意見してみた。


「アルティナ様。ここしばらくの鬱憤晴らしを、他人のお屋敷で晴らすのはどうかと思うのですが……」

「ユーリア、今何か言った?」

 とても良い笑顔で振り返ったアルティナに、ユーリアは意見するのを完全に諦めた。


「いえ……。なんでもありません。それでは明日のドレスをどうするか考えて、小物も含めて一式揃えてみますから、お休み前に一度目を通してください」

「そうね。クレスタ殿には、是非とも食いついて貰いたいし。お願いね、ユーリア」

「畏まりました」

 そこで笑顔のアルティナに軽く一礼して隣の寝室に入ったユーリアは、クローゼットを開けてギネビアの指示で作られたドレスに顔を顰めながら、それとは別に密かに作っておいたドレスの中から一着を選び出した。それに合わせた細々とした物を選びながら(アルティナ様ったら、すっかりやる気満々だわ)と、ろくでもない噂しか聞かない相手に対して、ほんの少しだけ同情したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る