罪と罪-3

「苦しみたいんだろ」

「何、を――」


 言っている。言い終わる前にぐい、と前髪を引っ張られ、強引に顔を寄せられる。

 酒くさ、と小馬鹿にしたように笑ってから、男は互いの視線を絡ませた。


「許されないならせめて苦しみたい」


 緩やかな、幼子に言い聞かせる親のような口調だった。

 見下す笑みと裏腹に、男の声は優しい。しかし、告げられる内容は、ヴィルヘルムの胸の奥を的確に貫いた。


「多種多様な部下と兵士と上官を、自分のミス一つで殺してしまった自分は苦しむべきだ」


 自分でも普段は目を背けてきたことを、無意識の思いを、言葉で表現される。


「苦しんで苦しんで、最後は自分が造り上げた亡霊達に怨嗟を囁かれて死にたい」


 ざわざわと、男に被せて大勢の声がした気がした。

 そうだ。たしか。彼等は、自分が望んで、受け入れている筈だ。なら何故、自分は酒に逃げているのだろう。何で。何で――


「そうだろう? ヴィルヘルム・アレント部隊長」


 最後、名を呼ばれ、ヴィルヘルムの手が動く。ぎこちなく伸ばされた腕が、その先の手が、男の胸倉を掴む。

 ただ襟の端を握っているだけに等しかったが、今出来る唯一の抵抗であり、反撃だった。

 それを振り払うこともせず、男が首を傾げる。


「俺の事殺したい?」


 端的な問いに、髪を掴まれているせいで動かしづらい首で肯定する。

 今素面だったら、きっと彼の言葉を遮ってでも殴りつけただろう。彼が今やっているように胸倉を掴んで引き摺りあげて、感情に任せて喚いていただろう。

 酔いは醒めてはきたが、まだ頭の芯が呆けたようにぼんやりしているせいで、かなわないだけで。

 ヴィルヘルムの肯定に男は「そっか」と、どこか嬉しそうに笑って手を離した。

 支えを失った肢体が、力も失ってずるりと男に向かって倒れていく。

 男はヴィルヘルムの大きな体躯を抱き留め、何とか自分も転がらないようにバランスをとる。それから、とんとん、と背中を叩いた。


「残念だけど、俺はお前には殺されないよ」


 自分自身の次に嫌いな筈の男の声がした。


「お前が俺を殺すときには俺がお前を殺しているよ。

 つまりお前は死にたかったら俺を殺すしかないし死にたくなかったら俺を殺すしかないし、生きたかったら俺を殺さない道しかない」


 自分自身の次に嫌いな筈の男の声がした。

 言い返そうとするが、声が出ない。ただ息を吸う度、葉巻の匂いと、消毒液のような薬品の匂いと、鉄の匂いが混じったような男の匂いが入ってくる。

 鉄の臭い。どことなく無機質さを欠いて生臭い、血のような――何でそんなものを、この男が纏っているのだろう。

 煙で隠れないどころか、逆に嗜好品の匂いを覆い隠す程に濃い血臭。それは、いくら男が常識の埒外にいるとしても、容易には身につけようがないものだった。

 だから、ヴィルヘルムはそれを幻覚の一端だと認識した。今は感覚もおかしくなっているし、仕方がない。そう思って、目を伏せる。


「なあ、ヴィル」


 瞑目して、どれくらい経った頃だろうか。

 眠ってはいないが、どれほど経ったかも分からなくなった頃、男の声にヴィルヘルムは重い瞼を持ち上げた。

 雨音を掻き消しそうなくらいの幻聴も、殆どが消えていた。その分、男の問いが明瞭に聞こえてくる。


「罪を裁くのは、罪人の持つ罪そのものだと思う?」


 投げかけられた疑問に、頭の中が少しばかり冴えるような気がした。

 胸を抉って出来た傷から中を見透かされたようだ、と思った。

 そうでなければこんな問いが出来るわけがない、とも思った。

 男の腕の中から体を起こさないまま、ヴィルヘルムは小さく首肯する。


「…………おもう、」


 乾ききった唇と喉が、ざらついた声を出した。

 僅かな唾液を飲み込んで、咳き込んで。もう一度。


「思う」


 今度は、酒に焼けたにしてははっきりと発声できた。


「罪人に与えられる罰は、誰が許しても自らの罪に灼かれ続ける事だ」


 一息に続けて、ヴィルヘルムはようやく顔を上げる。

 見下ろす男と目が合う。重いよ、とでも言われるかと思ったが、男はただヴィルヘルムの答えに首を縦に振った。


「そしてそれを、お前は何より望んでいる」


 そうだよ、とは言えなかった。言う必要もない気がした。

 きっと彼は分かった上で、この口から答えを引き摺り出す為だけに語っているのだろうから。

 なら、言ったところでただ男に良い思いをさせるだけだ。もうこれ以上、失態を見せたくないし知られたくない。

 口を閉ざしたヴィルヘルムに、男が苦笑する。


「寝ていいよ。運んでやるから」


 男の冷たい手が、ヴィルヘルムの両の目を覆った。まるで死人にするように瞼を下げられて、ただでさえ薄暗い風景しか見えていなかった視界が完全に闇に閉ざされる。

 何でお前に抱えられたまま寝なきゃいけないんだ、とは思ったが、体に力が入らない。

 雨音のノイズが徐々に遠ざかっていく中で、ヴィルヘルムは今度こそ意識を手放した。

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