―7―
「それじゃあ早速! 私たちが解き明かした真相を説明していくぜ!」
上堂さんから依頼があった翌日、僕は習志野中学の美術室に呼び出されていた。放課を迎えた僕の下駄箱の中にまた手紙が入れられていたのである。
わざわざこのことのためだけに中学から離れた高校に、それも大慌てで来たのかと思うと何だか申し訳ない。元々今日も中学には行くつもりだったから、尚更だ。
集められたメンバーは僕の他には渡嘉敷雅さん、依頼人の上堂夕陽さん、加えて葉住姉妹である。
今日は昨日と異なり上堂さん以外の美術部員もいるので、僕たちは教室の隅に固まっていた。
前方に立つ葉住姉妹の手元には白い布が掛けられた長方形の物体がある。おそらくあれが件のオレンジ畑の絵なのだろう。
葉住姉の言葉を、妹が引き継ぐ。
「……私たちは昨日、上堂さんの自宅に伺い、彼女の祖父が残した絵を分析しました」
そこで、隣に座っていた渡嘉敷さんが耳打ちしてきた。
「昨日はすごかったんですよ。葉住氷乃さんが特殊な装置を幾つも用意して、まるで専門の調査機関かと思いました」
なるほど。特殊な装置というのはおそらく絵の特質を調べるものなのだろう。氷乃さんは特許を幾つか持っているらしいし、その手の機材を借りるだけの資金はあるのかもしれない。
氷乃さんが続ける。
「……調査の結果、絵のほとんどは変わったところは何一つない、ごく普通の油絵だということが判明しました」
そう言って、彼女は手元の長方形の白い布を剥がしてみせる。するとそこには実に見事なオレンジ畑の絵が現れた。昨日、上堂さんに画像を見せてもらった絵で、中央にオレンジの木があってその周りをオレンジの果実が囲んでいる、というものだ。
「しかしっ! この絵だけは違ったんだぜ!」
ふむ。見たところ普通の絵だ。完成度は高いけれど。これがどうやったら上堂さんが探すように頼んできた雪原の中のオレンジ畑の絵になるのだろうか。二人の説明は、実に興味深いものである。
「……科学的なトリックはありませんでしたけれど、この絵には心理的なトリックが含まれていたんです」
そう言って、花火さんに視線で合図を送る。
氷乃さんに支持された花火さんは、一度教室の外に出ると大きなライトを持って再び現れた。丁度、舞台などで使われるようなライトである。
そして花火さんは教室の明かりを消し、カーテンを閉め始めた。その唐突な行動に、他の美術部員はざわめく。が、
「……この謎を解き明かすヒントは三つ」
「一つ! 上堂さんのじいちゃんの仕事は舞台スタッフだったこと!」
「……二つ。上堂さんの下の名前は夕陽で、その名前を付けたのが彼女の祖父だったこと」
「三つ! 構図が全く同じで“雪”だけが描かれていないこの絵!」
「……そして、答えは一つです」
氷乃さんが言い、花火さんがライトの電源を入れる。
オレンジ畑の絵が、オレンジ色の明かりに照らされた。まるで夕焼けに晒されているかのように。
「あ!」
と、渡嘉敷さんが声を上げる。
「見てください! オレンジ畑に真っ白な雪が!」
彼女の言う通り、絵の中のオレンジの上には雪が降り積もっていた。誰も描き加えてなどいない。白い雪が、そこに
「……物体は特定の色の光を反射することで、私たちの目に映ります。基本的には白い光ですが、その白が別の色になると、足りなくなった色がなくなって見えるようになります」
「つまりオレンジ色の光が絵に当たると、オレンジ色の部分が白く見えるってことだぜ!」
上堂さんの祖父が残した絵には、地面一杯のオレンジの果実が描かれていた。そしてその一部が、オレンジ色の光を浴びることで、白く錯覚するようになったのだ。
「……上堂さんの名前を付けたのは、彼女の御爺様です。彼は夕焼けを愛していたのかもしれない。その証拠に、彼の絵には夕焼けを描いたものが多くありました」
彼は夕陽が好きだった。だから、自分の孫娘にも、“夕陽”という名前を付けた。
「オレンジ色の光が当たることで絵の柄が変わってくるというアイディアは、多分上堂さんのじいちゃんが、舞台スタッフをしている時に気付いたんだと思うぜ!」
オレンジ色のスポットライトが、オレンジ色の背景に当たったのを見て、おそらく彼はこのトリックを思いついたのだろう。丁度、今の花火さんたちがやっているように。彼の性格はイタズラやサプライズが好きだったそうだから、想像できなくはない。
「……だから舞台スタッフを辞めた後では、なかなかこの絵の特性を活かせることはなかった。スポットライトなんて、一般人が簡単に使えるものじゃない。けれど、本物の夕陽を使えば再現できる」
「だけど、そんなに都合よく綺麗な夕陽が出るわけじゃあない。天気や季節に左右される。だから、上堂さんはこの雪の中のオレンジ畑を、一度しか見られなかったんだと思うぜ!」
これで説明は以上です、と氷乃さんが締めくくる。
しばしの静寂。
そして、上堂さんが口を開く。
「そっか……おじいちゃんの絵には、そんな秘密が……」
顔を上げ、
「ありがとう、二人とも」
笑った。
帰り道。僕と渡嘉敷さんは葉住姉妹に見送られ、校門前まで出てきていた。上堂さんはまだ残って部活を続けるらしい。
既に遅い時間のせいか、辺りに他の生徒はいない。夕陽もすっかり沈み切り、そろそろ夜が始まろうとしていた。
「さてさて、楠木真!」
「……これで、勝負は私たちの勝ちでいいですよね?」
さて。どう答えたものか。
正直な話、上堂さんの絵の秘密には、最初に見た時に大体の見当はついていた。そしてその予想も的中していたわけだけれど……ここでそれを言い出したら負け惜しみだとでも因縁を付けられかねない。
と、言うより、正確に言い表すならばこの事件はまだ終わりを迎えてはいないのである。
僕は、今回のケースの本当の真実を、二人に話すことにした。
「花火さん、氷乃さん、君たちは校則はきちんと守る方かな」
二人は顔を見合わせ、そして声を合わせて答える。守る方だ、と。
「そりゃあ、私たちは正義の味方だからな! ルールを犯すわけにはいかねえぜ!」
「……そこによほどの大義名分がなければ、規則というのは厳守されるべきだと思いますが」
「うん。まあ、そうだろうね」
その意見には、僕も概ね同意できる。
では、と言葉を繋げる。
「当然、屋上には入ったことがない?」
二人はまた顔を見合わせる。僕の質問の意味は理解できても意図は理解できていないらしかった。まあ、それも仕方のないことではあるけれど。
「授業に関係のない教室への入室を禁ずるって校則あるし、まあ、厳密に守るってわけじゃないけど、屋上は特に禁止が叫ばれているぜ!」
「僕が在学していた頃は、そこまで厳しくはなかったんだけれどね」
漫画やアニメのように容認されていた、というわけではないけれど、しかし黙認はされていたはずだ。升田先生を始めとする煙草を嗜む教師陣は、時々来ていたのを見たことがあるし。
しかし、それもやはり今は無理なことなのだろう。
そこで――
一人の女の子が死んだのだから。
現に昨日訪れた時はしっかりと施錠されていた。
ならば、僕の後輩にあたる葉住姉妹が屋上に赴いたことがない、というのもなかなか頷けるだろう。
だからこそ、今回のケースのもう一つの、いや、もう一歩先の、と言った方がいいかもしれないその結末に、彼女たちは辿り付けなかったのかもしれない。
あの、と渡嘉敷さんが口を挟む。
「つまり楠木さんは、一体何を言いたいのでしょうか?」
「ああ、すみません。風景の話をしたかったんですよ」
「風景?」
渡嘉敷さんは小首を傾げる。双子も。
言葉が足りなかったかもしれない。僕の悪い癖だ。
僕は言葉を付け加えることにする。
「屋上からの風景を見たことはあるのかなっていう話ですよ」
当然、ないだろう。
「西の方角には町が見える。北側の遠くには川が、南と東には学校の裏山が見えるんだよ」
「……それくらい、屋上に行かなくても分かりますよ?」
「いいや。
「どういうことでしょうか?」
「上堂さんの絵の話さ」
と、僕は渡嘉敷さんに答える。
「あの絵には、モチーフがあったんだ」
「……モチーフ」
「モデルと言っても良いかもしれない……裏山の一本松を知っているかい?」
双子に投げかける。
「そりゃあ、知っているぜ。樹齢百年とかって言われてる大きな木だろう?」
「その通り」
「それじゃあ、まさか、あのオレンジの木は……」
渡嘉敷さんの言葉に、僕は頷く。
あの絵に描かれたオレンジの木は、元々は裏山の一本松だったんだ。それを屋上から見たものが、あの絵に描かれていた景色なのだろう。
「いやいや、待ってくれよ、楠木真!」
花火さんが訴えかけてくる。
「ありゃあ、どう見てもオレンジの木だぜ!」
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって、そりゃあ、だって、オレンジの果実が落ちていたし……」
「そう。それこそが、上堂さんの祖父、上堂彦助が残した心理的トリックだったんだよ」
「……なるほど。つまり私たちはあの木の周りにオレンジの果実が落ちていたから、あれがオレンジの木だと思い込んでいた……いや、思い込まされていた」
首肯。
おそらくあの夕陽の光を受けることで変化する、という仕掛けにオレンジが必要だっただけで、本来はあの木は松だったのだろう。
「そして」
僕は解説を続ける。
「今回の一件でまだ回収できていない伏線があったよね」
キーワードと言っても良いかもしれない。あるいはポイントか。
「ああ! 上堂さんの御爺様が残したという遺言ですね!」
「渡嘉敷さん、正解」
僕は肩に掛けていたスクールバックを探り、その手紙を取り出す。昔ながらの三つ折りの紙封筒だ。表面には「夕陽へ」と筆で書かれている。
「もしあの絵をもう一度見ることがあったら、木の根元を見なさい、という遺言ですね」
「ええ。そしてこの手紙は、今朝、その一本松の根元から掘り起こしてきたものです」
まったく、早起きはなかなか辛かった。作業を開始したのは今朝の五時くらいだったか。しかし、習志野中学の関係者に見つかっては面倒だったし、放課後に間に合わせるには、その時間しかなかったのだ。
「でも、どうしてそれに気づいたんですか?」
「上堂さんから話を聞いた時、絵の仕組み自体には大体気が付いていたんだ。気になったのは、彼女の祖父が残した遺言だ」
だから、僕はクルミさんに連絡し、上堂彦助なる人物について調べてもらった。彼の人柄を知ることが、何よりのヒントになると思って。
そしてクルミさんが集めた情報によると、上堂彦助はこの中学の出身らしかった。彼は中学卒業後、絵の勉強をするために海外に渡ったのだとか。しかし、画家としての才能はなかったらしく、帰国後は舞台スタッフとして働いていた、というのが上堂彦助という一人の男性の半生である。
「習志野中学出身なら、この近くに何かモチーフになるものがあったんじゃないかと思ったんだ。あの絵は、何より孫娘の上堂夕陽さんに宛てられたものだ。だったら、彼女が通うであろう習志野中学の近くにモチーフを求めるだろうと、僕は思った」
何かを(この場合は手紙だったけれど)木の根元に隠すのなら、そう離れたところでもないだろうし。
そして掘り返してみたら案の定、古い菓子缶が出てきた、という次第だ。
なるほどと渡嘉敷さんが頷く。
「……それで、手紙には何と?」
僕は静かに、首を横に振る。
「読んでいませんし、読むつもりもありません」
けれど、
「おそらく、中身は彼女を励ますものでしょう」
上堂夕陽は画家を志している。
正確には画家ではないかもしれないけれど、とにかく絵に関する職業だろう。それは部活が休みの日でも放課後に残って絵を描いていたり、あるいは彼女の作品が多数置かれていたりする美術室を見る限り確かだろう。
そして上堂彦助はそれを予期していた。
いや、予期というのは正しくないかもしれない。
もしも孫娘が絵に興味を抱いたのなら、必ずあの雪の中のオレンジ畑の絵の秘密を解き明かす。そうしたら絵を描くことを応援する手紙を見つけるだろう。もし絵を描くことに興味を持たなかったら、手紙は何の意味を持つこともなく、木の根元で眠り続けるが、それならそれで構わない。
それが、おそらく上堂彦助が考えていた策略だ。
僕は葉住姉妹に、その手紙を差し出す。
「これは、君たちから上堂さんに渡しておいてくれないかな?」
二人が、三度顔を見合わせる。しかしそれはこれまでの疑問の投げかけではなく、どこか納得したような、そんな感情かあった。
「……分かりました。この手紙は私たちから上堂さんに渡しておきます」
「しっかり預かったぜ!」
そう言って、彼女たちは手紙を受け取ったのだった。
ふう。
とにかく、これで僕のやるべきことは果たした。
――謎を解け。
僕に宛てられた、遺言は、何とか果たすことができたのだ。
僕はさっさと退散しようと、双子に背を向ける。
が、
「楠木真!」
と、背後から声をかけられた。
しまった。思い出してしまったか。
「今回の勝負、引き分けにしておいてやるぜ!」
「……次こそは負けませんから」
どうやら、再戦からは見逃してくれるらしかった。
純粋な人の思いに触れたことで、勝負なんて何の意味もない、ということが彼女たちにも伝わってくれたら良いな、と僕は思った。
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