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 その女子生徒は名前を渡嘉敷とかしきみやびといった。おそろしく画数の多い名前だと、他人事ながら同情する。もっとも、女子生徒の雰囲気にはとても合っているとは思うけれど。

 僕も自己紹介をすることにした。楠木くすのきまことという名前であるということ。二年G組に所属しているということ。ここ、文芸部で依頼人の相談を聞いている、ということを簡潔に説明する。

 渡嘉敷さんは対面のソファに腰かけている。佇まい一つとっても、どこかのお嬢様なのではないかと思うくらい立派なものだ。


「それで、さっきの独り言なんですけど」


 と、彼女が切り出す。

 部室には既に猫屋敷の姿はない。正しい言い方をするなら、最初からそんな女の子はこの文芸部に属してはいない。この高校の制服を着てはいるけれど、生徒名簿にさえ名前を連ねてはいないだろう。つまり、猫屋敷綾なんて名前の人間は、この学校には存在していないのだ。

 彼女は死んだ。

 三年前、僕の目の前で自殺した。

 そこのところの事情を知る人間は僕のせいではない、なんて言うのだろうけれど、それは違う。あれは僕のせいだ。僕のせいで、猫屋敷は命を絶ったのだ。

 それ以来、僕は時々彼女の幽霊を見る。

 しかし、それを何一つ事情を知らないであろう渡嘉敷さんに、一体どうやって説明したら良いのだろう? 僕には上手い言い回しが思い付かない。

仕方がないから適当に誤魔化すことにした。


「演劇の練習をしていたんだ。うるさかったかな」

「いえ、うるさいということはありませんけど……」


 彼女は明らかに不審に思っている様子だった。当然だ。


「演目は何ですか?」


 不審がってはいるようだが、話を合わせてくれるようだった。

 しかし演目か。考えていなかった。そうだな。


「十二夜が良いな。もしくは空騒ぎでも良い」

「シェイクスピアですね。喜劇がお好きなんですか?」

「誰だって、悲劇よりは喜劇の方が良いと思うけれど」

「それはそうですね」


 そう言って、渡嘉敷さんは小さくおしとやかに笑みを浮かべた。どうやら少しでも場を和らげることができたらしい。


「……まあ、実際はロミオとジュリエットだったんだけどね」

「はい?」

「いや、何でもない。こっちの話し」


 それで、と今度はこっちから切り出す。


「渡嘉敷さんはどうしてここに?」

「はい。実は、私のクラスの委員長の野々宮さんに、こちらのことを伺って」


 あのお人善しめ、また面倒を押し付けたな。


「変わったことに巻き込まれたらここを訪ねてみると良いと、紹介されたものですから」

「何でもかんでも解決できるわけじゃありませんけどね」

「あの、ご迷惑でしたか?」

「いや、迷惑というわけじゃないけど。ただ依頼内容がどうであれ、責任は負いかねません」


 猫屋敷との約束がある以上、そこに謎があれば挑まざるを得ないのだが、当然のことながらその全てを解き明かすことができるわけではない。そのことに一々責任をとっていては、それこそキリがないというものだ。……もしかしたら猫屋敷ならこの状況でさえ楽しめるのかもしれないけれど。


「責任のことは良いんです。でも、相談に乗って欲しいことがあって。どうしても分からないことがあるんです」

「そういうことなら、分かりました。お話しを伺いましょう」


 僕がそう答えると、渡嘉敷さんは懐から封筒を取り出した。白く横長のいわゆる洋型封筒といったやつだ。裏返すと、封の部分がハート型のシールで止められている。誰がどこからどう見てもラブレターというやつだ。しかしここまで見事なラブレターらしいラブレターを見る機会というのは、なかなかないのではないのだろうか。


「今朝学校に来たらそれが下駄箱の中に」

「それはまた、定番ですね」


 本当に小説や漫画のような話だ。


「中を見ても?」


 渡嘉敷さんが頷く。

 僕は中の手紙や封筒に傷や折り目が付かないように気を付けながら、慎重に中身を取り出す。

 彼女がここに来たということは手紙の内容は妙なものなのだろうが、しかし自分に宛てられた恋文をないがしろに扱われて気分の良い人間はいるまい。それに、彼女の相談内容が事件性を帯びているものなら、証拠になるかもしれない。

僕は取り出した手紙を声に出すことなく目を通した。

 中身は、至って普通のものだった。

 時候の挨拶に始まり、どうして彼女に想いを寄せるようになったのか、これから付き合いたいという希望が、読んでいるこっちが恥ずかしくなりそうな文面で記されていた。

 が、気になったことが一つ。


「この手紙、差出人の名前がありませんね」


 コクリと、渡嘉敷さんはまた小さく頷いてみせた。


「それで私、待ち合わせの場所に行ってみたんです」

「確か、手紙には告白の返事をする時間と場所が記されていましたね」


 午後四時三十分。地学準備室にて待ちます。

 手紙にはそう書かれていた。


「それでどうだったんですか?」


 今度は小さく、横に首を振る。


「相手は現れませんでした」

「現れなかった?」

「ええ。随分待ったんですけど」


 僕は部室の壁に掛けてある時計を確認する。午後五時二十分。外は既に暗くなり始めている。渡嘉敷さんが五時まで待っていたとしても、待ち合わせ時間のからは三十分以上待ったことになる。恋文を送り付けておきながら、待ち合わせ場所に現れないというのは一体どういうことなのだろう。


「それに、おかしいんです」

「おかしいって?」

「私がそんな手紙を頂けるわけがないんです」

「それはまた、どうして」


 渡嘉敷さんは美人だ。客観的に見て美人だ。きっと男子にはさぞかしモテる存在なのだろう。そんな彼女が恋文を貰えるわけがないと言うのは、謙遜でなければ嫌味でさえある。

 しかし、その疑問の答えは、すぐに掲示されることになった。


「私、つい三日前に転入してきたばかりなんです」


 つまり。


「知り合って三日しか経っていない異性からラブレターを貰うのはおかしい、と?」

「ええ。第一、まだ男子とは会話らしい会話をしていませんし……クラスメイトを覚えるのだって、今頑張っているんです」


 なるほど。転入生というのも大変らしい。


「もしかしたら一目ぼれなのかもしれませんよ。あとは、少ない会話の中で貴女の魅力に気づいたのかも」

「確かにないとは言えませんけど……そんなことがあるんでしょうか?」

「まあ、あまり現実的ではないでしょう」


 渡嘉敷さんは十分に魅力的ですけどね、と付け加えておく。

 告白するにしても、もう少し様子をみるはずだ。このタイミングで告白するということは、相手はかなりの行動力がある人物なのだろうが、そんな人間が自分の名前を書き忘れるなんてことがあるのだろうか。勢いだけで書いた、というのは丁寧な文字や文面からはイマイチ考えにくい。

 と、すると。


「この手紙の差出人には、告白以外に何か理由があったのかもしれない」


 この意見には渡嘉敷さんも納得しているようで、そうですね、と即答する。


「それで、依頼内容というのは」


 手紙が不自然なものだったということは分かった。この辺りで彼女の、あるいは目的をはっきりさせた方が良いだろう。


「私が気になるのはその手紙が私に送られてきた理由です。もしかしたら差出人が急な事故やトラブルで来られなくなっただけかもしれないですけど……それならそれでお力になれるかもしれませんし」


 なるほど。推理小説風に言うのなら、犯人の動機を探ってくれということか。


「差出人は分からなくても良いんですか?」

「知りたいという気持ちはありますけど……そこは今回の一件の核心ではない気がします」


 それもそうかもしれない。もっとも、動機の線を探っていけば、自然と犯人――差出人の正体にも辿り着けるだろう。

 僕は頷いてみせた。


「分かりました。差出人不明のラブレター……それが何のために送られたものなのか、考えてみましょう」


 そう言うと、彼女は嬉しそうに笑うのだった。

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