お散歩のススメ

真夜中 緒

若楓という襲からの話

 女房装束の襲色目に若楓というものがある。表が薄青、裏が薄紅。要は明るい緑にピンクが重なっている。

 恥ずかしながらこの色目を初めて見たとき、この色目は初夏の楓の瑞々しさを薄紅を重ねることで比喩的に表したものなのかと思っていた。間違いに気づいたのは箕面の滝道を歩いていた時だ。

 関西在住の方なら知っておられるだろうが、北摂山系に属する箕面の大滝とそこへ至る滝道は紅葉の名所として知られている。秋はもちろんだが初夏の楓の若緑も爽やかで素晴らしい。

 阪急の箕面駅の目の前から滝道が始まり、それほどきつくはない傾斜の、よく整備された舗装路を道なりに登れば、ものの十分で「山」の気分を味わえる。

 滝までは歩いて一時間ほどかかるが、休憩所もトイレも多いし、土産物屋や名所旧跡もあるので退屈しない。関西在住のお散歩好きであれば行ってみて損はない。そういう道だ。

 その、滝道でまさに若楓を見た。

 ふわりと広げた枝にいっぱい揺らせた若葉は瑞々しい若緑。けれど枝先は可憐な薄紅に染まっている。

 あれはたぶん花だ。

 なぜたぶんかというと、一つ一つはごく地味でささやかなもので、それほど花らしくもないからだ。

 薄紅の花といえばまず桜を思い浮かべる。桜は盃に落ちても花だけど楓はごみとして扱われそう。そのぐらいには華やぎに欠けている。

 けれど、その花を一杯につけた枝先を離れて見れば、若緑から薄紅にうつる様が恥じらうような可憐さで、桜よりも強く少女を連想させられる。

 比喩だなんてとんでもない。

 若楓の襲はがっつりと写実なのだ。

 考えて見ると他の襲だって結構写実的で、例えばおそらくは最も有名であろう桜襲、あれもかなりそのままの色だ。

 表が白で裏が赤。

 昔の薄い絹を重ねれば裏の色が表に響いて桜色になるというのはたしかにそうなのだけど、現代に生きる私達がうっかりしている事実がある。

 平安時代にソメイヨシノは生えていない。

 桜といわれてまず思い浮かべるあの豪奢な薄紅の花は江戸時代に生まれたものだ。当然古今和歌集に詠まれている花とは別のものになる。

 そしてあの襲を写実と捉えるなら、近いのは山桜だ。

 ソメイヨシノとちがって山桜は花と一緒に新芽が出る。くっきりと濃い赤色の新芽に、ソメイヨシノよりもずっと白い花が映えて遠目に薄紅に見えるさまはまさに桜襲だ。

 ところで、箕面にも実は桜の名所がある。その名も桜の広場という場所で、山をひらいたそれほど広くもない広場を取り巻くように桜が植えられている。

 ここはお花見の穴場スポットだ。

 観光地の「桜の広場」が穴場というと奇妙な感じだが、そうなるのには理由がある。単純にたどり着くのが大変なのだ。

 桜の広場にたどり着くには、まず滝道を外れなければならない。それなりに道幅もあり、手入れもされているけれど、舗装のない急な道は、歩くのに靴を選ぶ。

 高いヒールでなければパンプスやサンダルでも歩ける滝道とは違い、がっつりと歩ける靴が必要だ。私が出かけたのは平日の昼だったが、通りかかるのはハイキングの途中という感じの人ばかりで、満開の花を相当長い時間独り占め状態で、ゆっくり楽しむことができた。

 箕面と言う場所はこういう事が多くて、大抵の観光マップにはのっている野口英世像も、たどり着くのにはそれなりの根性を必要とする。初めて行ったときはまず途中の道でなんども地図を確かめた。どう見ても観光マップにかかれているスポットに行く道には思えなかったからだ。なまじ滝道になれていると、そこから外れたときにいきなり「山」に遭遇してびっくりする。

 たどり着いてさらに首をかしげた。

 見事にうらぶれていたからだ。

 あの場所に銅像を設置した根性には敬意を表するが、なぜそこまでしてという疑問を感じずにはいられない。

 滝道沿いの目立つところに笹川良一が老母を背負って歩く像というのがあって目立っているだけに、知名度に勝る野口英世の扱いが腑に落ちない。

 ところで笹川良一像を見るたびに思うのだけど、着物のお母さんを背負うのは背負われる方も大変だったのではなかろうか。道のりも長いことだし、せめて背負子を使うとかいっそ駕籠にでものせてあげたほうが良かったのではないかと思う。

 しかし箕面で一番冷遇されているスポットは野口英世像ではない。

 私の見解ではそれは箕面山頂である。

 山を登るというときにまず誰の頭にも「登頂」という言葉が浮かぶ事だと思う。「登頂」つまり「頂上に登る」ということだ。

 箕面の観光マップで終着点として扱われるのは箕面大滝だ。滝道も大滝まで続いている。だが、考えても見てほしい。滝ということはそこは頂上ではありえない。

 では大滝をさらに登れば箕面山頂にたどり着くのかといえばそれも違う。

 実は箕面山頂は大滝とはほぼ無関係に存在している。

 箕面山頂を目指したいと志すなら、まず観光マップを捨てなければならない。観光マップには山頂がのっていないからだ。

 箕面の教学の森から五月山方面に向かう道を記したハイキングマップをぜひ入手していただきたい。そこで西側に散見する山頂の名前を見てみよう。中に箕面山頂の文字を見つける事が出来ると思う。

 地図によっては道が山頂のそばを掠めるだけで、つながっていないこともある。ここで怖気づくようでは箕面山頂にはたどり着けない。

 まず足ごしらえはしっかりしよう。

 水と食料も忘れずに。お弁当とまでは言わなくても、甘いおやつは欲しいところだ。

 汗を拭くものも必ず用意して欲しい。帽子は日差しだけではなく頭上からふってくる木の葉や虫も防いでくれる。

 そしてとりあえず箕面山頂を掠める道を目指そう。

 もちろん無舗装の山道だが、整備はしてあるし、道標も多い。道標はしっかり確認しておこう。山頂にたどり着くのに重要なポイントになる。

 そしてなんとか「この近くが山頂のはず」という地点までたどり着いたら、ぜひ気をつけて見てほしい。ささやかに箕面山頂への道を示す道標が見つかるはずだ。

 そこまで頑張ってたどり着いたとして、はっきり言って見るべきものはない。

 木が茂っていて見晴らしは悪いし、本当に大したものはなにもない。三角座りで一人でお昼ごはんなぞ食べれば、侘びしい気分を味わえることは間違いない。昼食をとるにふさわしい場所は他にいくらでもあるだろう。

 山の知名度の割にろくに知られていない山頂にたどり着いたという、へそ曲がりな満足感はないでもない。

 しかもこの山頂は行き止まりで、帰りはとりあえず道まで戻るより他にない。これほどにときめきのない山頂もめずらしいのではないだろうか。

 若楓から話がそれて妙な事になったけれど、この「がっつり観光」と「妙なハズレ感」こそが箕面の味だと、個人的には気に入っている。

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