………

 夜の明けぬ内に境港に接岸した大型タンカーから乗り移った貨物列車に「運搬」されて来た男達は、暫し浴びなかった陽射しに顔をしかめつつ、神戸の兵舎に収容された。


 神戸の兵舎に収容されたのはおよそ90名で、殆どが日本列島に地縁のない者ばかりであった。国籍を問えば、それぞれリビア、エジプト、アルジェリア、モロッコ、カルタゴ、とマグレブMaghreb地方の出身者が多く、それ以外には文化的共通点を持つソマリランド、スーダン―特に北部―、シリア、トランスヨルダン、アラビア、バーレーン、アナトリア、そしてパレスチナのアラブArab諸国出身者と大陸としての括りをされる南アフリカ、ローデシア、ケニア、アンゴラ等のサハラSahara以南のコーカソイド、ネグロイドの者達、そしてほんの僅かな日本人が居た。彼らは収容先からしてわかるように兵士である。それも、金銭報酬を以て自他の血を流す「傭兵」という職業人達であった。別地区の兵舎にはヨーロッパ人やアジア人の傭兵達も居るが、傭兵の中でもここ神戸兵舎収容組の90人余りの者達はわば「VIP」であった。と言うのも、傭兵隊長として彼らを率いる男は宇喜多の旧友なのである。



「全体、気を付けっ!」


 ザッ、と一斉に音がして、すぐに止んだ。自由闊達な無法者、という認識が成される傭兵達であるが、一糸乱れず顔立ちに義務感の滲んだ男達を見て、山陰陽太政官側用人である三沢みさわ実幸さねゆきは思わず息を呑んだ。90名に号令を掛けたのは、元マリMali軍兵士であったトゥアレグTuareg人の男である。長年戦ったマリ政府に一度は雇われたものの、互いに奪い合って来た仲であるマリ兵と水を分かち合う気にはなれず、集団蜂起の折に脱走し、紆余曲折を経てこの部隊の副官となった。元々の名前は既に捨て、今は傭兵として「ターリクTariq ヤシーンYacine」と名乗っている。ターリクはジブラルタルを陥落させた将軍(ウマイヤ朝アラブ帝国)にあやかった者だと三沢は聞いていた。


「諸君、長旅ご苦労であった」


 兵舎でのささやかな歓迎の催し、その前準備となる畏まったセレモニーというのが日本人の行動の常であった。兵舎管理を行う官吏と山陰陽の武官達を引き連れて歓迎の儀を執り行い、長旅への労いの弁を述べる将軍亀井無我、そして「同盟国」代表として軍吏の高官達と肩を並べて傭兵達の歓迎に出席した中華ソビエト共和国軍事顧問団陸軍砲兵教導官Xu國鋒Guofeng砲兵少校、副官の女性士官Zhou子珍Zizhen砲兵上尉、そして大坂からは近衛秀国配下の将軍で闘将として勇名を誇っていた三好秀俊と御付として元中華ソビエト共和国軍の将校で現在大坂にある士官学校「豊実館」の顧問を担っている男YuLong、公務のため欠席した宇喜多の代理として三沢実幸が出席しての催しであった。


 亀井の長々とした話を袖にして、三沢は傭兵達1人1人の顔を比べ見ていた。大坂中央では兵力への不安から傭兵や高給を餌に建設労働者や肉体丈夫な失業者達を入隊させる等の努力をしていたが、多くの兵にはどこか浮世に腕を引かれている面相があり、元赤軍出身の古参兵達に士気や覚悟の面で劣る所があったのだが、ここにいる傭兵達にはそれがない。無感想な表情の一方で、目の奥にはある意味「ぎらついた」と言える、強い意志が秘められているようだった。僅かにいる日本人傭兵にもそれは同様である。彼らと一緒に運搬されて来たはずの日本人―と呼ぶのは少し気が引けるが―兵士は個人特有の事情でここには並べないが、この列に在る日本人とて決して面構えに見劣りはないのだ。三沢は頼もしく思った。


「―敬礼っ!」


 ターリクの声が三沢を物思いから呼び戻した。演説が終わって、号令と共に腕を額の所まで持ち上げる動作も様になっている傭兵達から踵を返す亀井の顔はどこか安堵した表情であり、三沢は彼との共感を初めて持った。言っては悪いが、傭兵達の敬礼は大坂の威張り散らした若手将校やここにいる〈美人将校〉の周上尉より決まっている。共感にも至るというものだ。そう三沢は思った。


 三沢による宇喜多からの祝辞や許、三好等の歓迎の弁が終わると、一行お待ちかねの(はずの)宴会場へと向かう…のだが、三沢は別件があるために宴会場に入る余裕がなかった。ターリクを先導として兵舎内運動場に向かう傭兵達を尻目に、三沢は別件に向かおうとしたが、ふと後背より声がかかった。


「オツカレサマデシタ」


 甘い声のカタコト。周子珍である。彼女は日本語での会話自体はできるのだが、いささか発音に難儀している所があるのに加え、日本風の社交辞令を言い馴れていないため、この点は未だカタコトから抜け出せなかった。


「まだ、変な発音ですな、上尉」


「あれれ、まちがったかな?」


 話し相手のせいか、敬語は使わない。そして、何を参考にしたのかは知らないが、彼女の日本語はくだけた表現が多い。大坂の方広院ほうこういん様が聞いたら、即修正物だろう。三沢は周の言葉を聞くたびにそう思った。


「なんとなく、イントネーションが違う」


「むむむ…。うぅーん、むず、むずかしいなぁ」


 人指し指を自分の顎に当て、困った顔をする上尉の姿が三沢には微笑ましかった。出会った時から「標準語」に洋語を加えてペラペラと話し出した顧問団の許少校やそもそも日本語を覚える気の更々ない、Bo忠発Zhong海軍中校に比べたら、よっぽど。


「しかし、それでも粗方は出来ていますから」


「ほんと? やった、やった」


 目まぐるしく表情の変わる子珍だが、どうやらこれが素であるようで、当初「カマトト女」と思って何時化けの皮が剥がれるかを楽しみにしていた宇喜多・三沢の主従は、頭は良いが邪気がなく、とことん万事へ正直な周に多少ペースを乱されていた。


「最初に比べたら、雲泥の差ですよ」


「ウンデイノサなんだ。ほう」


「…ことわざは、これからですね」


「ことわざだったの、ウンデイノサ?」


「ええ。『大きく差が開いている』って事です」


「差…ああ、ウンデイの『差』?」


「そうです、そうです。良く出来ました」


「よくできました!」


 子珍には今度諺の辞書でもあげよう。大坂で研修を受けて以来、方広院和泉という講師の影響を強く受けていた三沢は、日本語を継承して行く事に対して強い責任感を持ち始めていた。


「ところで、上尉は行かないのですか、宴会?」


「わたし、お酒きらい」


 嫌いなのは私も同じだけど、そりゃ付き合いだろう……。どうやらこの子にはそういう感覚はないようだ。


「それに、これからお仕事あるの」


「御仕事、ですか?」


「はい、大島をとりかえす準備」


「‥‥‥‥‥‥‥」


 随分、さらっと言ってくれたな。


 周防大島奪還作戦。これは屋代島の陥落直後から山陰陽征長軍司令部で練られて来た作戦計画であったが、大坂が当初難色を示していたために一旦暗礁に乗り上げていた。


「……大坂からの依頼?」


「? それは知らない」


 思わず聞いてしまったが、上尉は恐らく知らないはずだ。三沢は思った。宇喜多はあくまで自軍での大島侵攻を狙っていたのであり、そこへ中共顧問を関わらせるつもりはなかったのである。来日当初とは打って変わって最近人が穏やかになった許は顧問団が属する大坂との関係を密にしているため、内々に別儀が下りたのであろう。慎重な許は部下達を適当に言い含めて作業に駆り立てるだろうが、その真意は直前になるまで理解できやしない。まして軍事作戦なら決行されれば勝敗以外誰も気にしないのだ。許は結局、そういう手合いの人物で、加えて、他の傭兵達のセレモニーには顔を見せない三好秀俊が来ているのはこのためかも知れない。ふとそう思った。


「大島への攻撃に許少校や上尉は参加するのかな?」


「うーん、どうなんだろう?」


 上尉は本当に何も知らないようだ。


 …これ以上、無駄か。三沢は適当な所で話を切ろうとした。


 すると、今度は上尉が話を振ってきた。


「ところで三沢くん?」


「はい?」


「境港に来たアレなんだけど、アレって何入ってるの?」


「アレ…?」


「ほらほら、砲無しのBMP-2! その中身ってなあに?」


「…ごめんなさい上尉。正直何言ってるかunderstand出来ません」


「むぅ、何で!?」


 言っている事が伝わらなくてふくれる上尉に苦笑いするしかない三沢だったが、そもそもBMP-2は大坂の師団にしか回らない代物で、山陰陽にそんな物が入って来るとは思えない。


(傭兵共を積んだ便でBMP-2が? んな話聞いてない…傭兵?)


 三沢は少し意地汚くなった。


「上尉、正直に言います。私は境港にBMP-2が入って来ているなんて聞いてはいない」


「え、うそ」


「本当です。そもそもBMP-2は大坂の本隊しか使っちゃいないし、ウチはBMP-1の改修タイプで一応間に合っているからね、御存知の通り。一輌だけ送ってくるのもおかしな話だ」


「…あれ、でも少校が」


 かかった。三沢は手応えを得た。


「許少校がどうしたの?」


 三沢はどうにも腑に落ちないといった具合の上尉から漏れた言葉に食い付いた。上尉はつい、しまった、と言わんばかりの顔をした。


「ええっと、ええっとね」


「ん? どうしたんです、上尉?」


「ええ…っと、ね。…ん・・・・・うぅんと…」


 上尉は少し戸惑う様子で言うべき事を探していた。しかし、一度口をついてしくじると会話のペースは乱れるより他になくなる。まして言葉には不自由しているのだから、尚更だ。


(…別に、北京語で問いただしてもいいんだけどね。この場で二三時間)


 三沢は内心、そう思っていた。彼は困った顔をする子珍に愛おしさと一抹の嗜虐心を覚えていたが、落とし所は定めておくべきだと考えていた。


 昔、無邪気故に人の神経を逆撫でする美人な女の子と研修で一緒になった時は落とし所を考えずに欲望に突き動かされるままに言葉の揚げ足を取り、話せば話すほどドツボにはまるようにした事があったが、結局彼女は泣くに泣いてボロボロになり実家に帰ってしまった。大坂城に呼び出されて和泉御前から大目玉を貰ったのは良いご褒美、もとい苦い経験だ。あの時傍らでニヤニヤしながら自分を値踏みしていた宇喜多様にムカつきながら誓ったのだ。もうあんな真似はしない、と。


 ……周子珍の顔が涙でグシャグシャになりながら、嗚咽おえつ交じりに言い訳する様も見てみたいだなんて、露にも思わない。三沢は内心にケリをつけ、落とし所を定めた。


「…まあ、いいや。許少校はBMP-2が入って来ているのをどっかで聞いたのかな?」


「ううん、うん。たぶん」


 「探って来い」、そこまであからさまじゃなくても「それとなく聞いてこい」って所かな。三沢は当たりをつけた。


(何も報せずに「輸入」した事への不審視か、或いは…許少校、人が悪くなったな。穏やかになった分だけ)


 三沢は恐らくあの「日本人」の事だと思った。の事は確かに太子党には話してはいない。境港に着いた偽装タンカーとて宇喜多の指示で先日漸く通達したばかりだ。ちょっと煽り過ぎたかも知れない。飽くまで許少校達軍事顧問団は太子党の手先であり、詰まらない悶着は避けた方がためになるというものだ。


「正直な所、私では何とも答えられません。申し訳無いんですが」


「そう、そうなの」


 平静を保つためか、相槌あいづちが素っ気ない。何というかあからさま過ぎて却って妙だ。


「只もしかしたら」


「うん」


「大坂からこちらへBMP-2が寄越される様な事があるのかもしれない。その訓練用かもしれないですね」


「おお、なるほど」


 周は先程までの困り顔とは打って変わって表情が明るくなった。どこまで演技かは知らないが、できれば素の反応であって欲しい。わざわざ人を疑って生きたくはない。…可愛い娘は特に、困るよりも(できればボロボロになるまで)困らせたいぐらいだ。


「こちらも何か分かれば連絡致しますので、今日の所はこれでご勘弁を。宜しいですか、上尉?」


「はい、アリガトウ」


 アクセントのズれた感謝に調子の狂う心持ちであったが、三沢は適当な別れをして、会場を出ていく周の背を見送った。


 周が離れたのを見届けると、少し身体から気が抜ける感がした。


「やれやれ、キナ臭くてかなわない」


 溜息と共に、三沢の口から愚痴がこぼれた。


「大敵を前に、利害の身で一致出来るか…我が事ながら見ものだよ、全く」

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