第伍話「悪意 中國山地」

山陰陽

 日本人民共和国が滅亡し、が山陽道に覇を唱えていた頃、山陰道では、出雲いずも尊久たかひさを棟梁とする「出雲介いずものすけ」一族が独立勢力を築き、他方では近衛このえ秀国ひでくに和泉いずみらの率いるが、への遠征を繰り返していた。宇喜多軍は、出雲介と同盟して近衛家に抗戦していたが、による大坂・神戸の共倒れと、尊久公の怪死を機とした出雲介の没落、に支援された畿内軍の有利を考慮し、出雲と共に畿内との講和を決断した。なお、この大震災に際して近衛和泉は比叡山に帰依し、「方広院ほうこういん」という法号(生前戒名)を称するようになった。


 それから14年の歳月が過ぎた現在、私達は伯耆ほうき夜見ヶ浜(弓ヶ浜)のを訪れていた。畿内軍閥の幕下で山陰山陽の実権を握る宇喜多王は、九州鎮台・アメリカ連合軍に再占領された屋代島の奪還と、主として周防長門における連合軍との戦闘に備え、北アフリカ・アラブ諸国などから達を徴募し、境港から日本列島に入国させた上で、神戸に護送していた。神戸には畿内軍諸将のほか、中華大陸からの軍事顧問団も参列しているが、その思惑は、宇喜多側とは必ずしも一致していないようである。


 傭兵隊長の一人、ユーゴスラビアYugoslavia セルビア陸軍出身のジャルコZarko司令官は、磐見七尾ななお城から長門萩・周防山口を見下ろしている。既に事態は、我が国の歴史に前例なき、国際紛争の様相を呈しつつあった。しかし、それは真理の表層でしかなかった。


 遂に開けられたパンドラの箱、この戦争の闇深き深層に、私は眼を疑った。大罪の廃墟に夜這よばれた出雲の勇将、山路やまじ兵介へいすけの前に、「」と呼ばれた現世の武者、宇都宮うつのみや宗房むねふさがその姿をあらわす。そして、一度は時代の陰影に消えたはずの亡霊達が、20世紀の悪夢が、再び世界を徘徊し始めていた…。


第伍話「

・原作:八幡景綱

・編集:十三宮顕


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 薄暗い寝室の壁に、二つの人影がロウソクの傾きに沿って揺れ映っていた。


「久し振り」


 一人は煙草を灰皿に押し付けて、スクッと立ち上がった。


「ああ、何年振りかな」


 もう一人は背もたれの長い、古びた木製の椅子に腰掛けたまま、顔を上げて対面する者を見詰めている。


「正直、長過ぎた。例え、あの日より一年しか経っておらなんだとしても、私には半世紀ばかりの様に感じられたよ」


 立ち上がったと共に椅子へ向けて歩み、椅子の前で立ち止まった。


「私も、君を待っていたよ。…会いたかった、ずっと」


 膝を付けそうなほどに屈める相手の顔を見詰めて、感涙は彼の自制を堪えきれなかった。


「勿論だとも! この日を、この瞬間を、待っていたのだから!」


 椅子すらも包むように、煙草救済体を寄せて抱擁せざるを得なかった。


 離別の間に積み重ねられた想いは、只管ひたすらに相手を抱き締める力となった。その感激は、他所者よそものの思い及ぶ限りではない。


 椅子より相手を抱き締めながら、涙声を耳元に掛けた。


「友よ…、我が朋友よ…」


 戦友はこうして再会した。


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 東西に広く、両海洋に挟まれた山陰陽()のほとんどはの支配下にあった。


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 を軍事制圧する近衛このえ秀国ひでくには側近である女官近衛このえ和泉いずみの補佐を得ながら、苦心して山陰陽の平定を成し遂げて行った。特にを拠点とし、ムスリムとしてのネットワークを駆使して大いに強勢を示してきたと、に広大な館を設け「日本人の民族性を刺激」する創国神話を喧伝する事で出雲地方の支配を正当化していた出雲介いずものすけ尊久たかひさがそれぞれ率いる軍閥を従えるのには非常に苦労をした。一進一退の攻防を繰り返した後、劣勢を否定し難い情況を見て取った宇喜多清真は出雲介尊久自ら率いる軍勢を神戸にて出迎え、「」と呼ばれる軍事同盟を締結し反近衛派として等との関係を結ぶ等外交を展開し山陰陽の諸勢力に次々と調略を仕掛け、秀国を悩ませていた。出雲介尊久は宇喜多が結び付けた外交関係を背景に攻勢を繰り返し、勢力延伸の果てに伯耆ほうきを巡って遂に近衛秀国の親征と正面から激突した。猛将出雲介尊久の采配と、配下で「」或いは山中やまなか幸盛ゆきもりなぞらえて「麒麟児」と呼ばれた山路やまじ兵介へいすけの英雄的な武勇に煽られた出雲勢は畿内軍を幾度か退け、三好みよし秀俊ひでとし等秀国配下全将軍に敗北を味合わせる大奮闘を見せた。しかし、尊久は秀国に迫った際に彼より負わされた傷を癒しに向かった出雲玉造たまつくり温泉の宿にて入浴中に前触れなく苦しみ出し、そのまま湯船の底に沈んで死んだ。後を継いだ孝久よしひさは幼く、孝久を擁した祖父盛久もりひさは倅尊久の死に憔悴しょうすいしきって精彩を欠く事目に余った。境港陥落と中華ソビエトからの軍事支援を受けた畿内軍閥の攻勢により宇喜多の手による調略で従った諸将は次々と降伏し、或いは壊滅させられた。最早、盟友出雲介を統率する者はなく、宇喜多も徹底抗戦を断念。宇喜多は出雲地方へ侵攻した畿内軍との戦闘を避けて援軍要請を適当な理由で拒むと密かに畿内の有力者である近衛このえ秀保ひでやすに接近し、神戸に軍を率いる秀国を自ら迎え入れて降伏した。孤立無援となった盛久と孝久は出雲一畑いちばた薬師に出向いた宇喜多清真の説得に応じ、宇喜多からの仲裁依頼を受けた近衛秀保の口添えを得た秀国を平田館に迎え、服属を願い出た。こうして近衛秀国の手中に山陰陽は粗方落ちる事となった。功績には礼と実を以て報いる秀国は和泉の反対を押し切って、出雲介を下すのに大きな役割を果たした宇喜多清真を山陰陽方面のに任じると共に、彼に「」として地方の全権を委任した。


 結果的に宇喜多は秀国を「調略」し、山陰陽をまんまと寝取ったような者である。今なお、近衛秀国からの覚えは良く、対して側近の近衛和泉と畿内軍閥の将軍である三好秀俊は彼を公私両面で嫌っていた。一応軍閥の頂点たる秀国の覚えを盾に服属後に出仕していたを引き払い神戸を改めて拠点とした宇喜多はムスリムとしての立場を明確にしてモスクmosque建設やウラマーulama招聘しょうへい等の〈利益誘導〉に注力する一方、旧出雲党の将兵や官吏達の怨みの矛先を大坂の三好達へ向けるように上手く誘導しながら、かつて共に反抗した関係性を巧みに用いて畿内軍閥が自派に取り込めないでいる彼らを山陰陽方面軍に出仕させて山陰陽における自らの影響力を高めた。


 加えて、宇喜多は反東京の意思を明確にする秀国の意向に従い、資源開発で莫大な利益を得ていた東京方のの事業を妨害するために、ムスリムの多い資源国家から資源を多く輸入し、安価な輸入資源の国内流通量を増やして、以来の資金源の切り崩しに掛かった。畿内軍閥の実質的な宗主でもある中華ソビエト政府の有力派閥「」とのコネクションを生かし、境港までの航路を中共海軍に守らせる等徹底したやり方は清水氏と彼らを軍事的に「保護」する役割を自負して来た東京政府に強い危機感を抱かせていた。


 宇喜多は更に山陰陽の「未回収地」の平定にも手を出し、周防長州地域への政軍両面の浸透を進めて行った。益々、和泉達の不興をよそに秀国の覚えめでたくなる宇喜多だったが、彼の巧みさはその出来の良さ故により一層の脅威を敵対者達に与えてしまった。


 防長にてを巡る血の惨劇が起きたのは、必然であった。

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