西海

 を囲む西国における、による、宣戦布告なき領土争奪の緒戦は、畿内方にその軍配が上がっていた。畿内軍閥に従う宇喜多うきた清真きよざねは、神戸・岡山を拠点に西漸を進め、遂に全域を支配下に置きつつあった。山陽における帝国最後の砦であった、周防山口の飯田いいだ長門ながと県令は、宇喜多軍が差し向けたテロリスト難波なんば香奈かなにより暗殺され、畿内派のすぎ良運よしつらが新県令に擁立された有様である。


 こうした情勢の中で九州軍に必要なのは、瀬戸内の制海権と山陽上陸への足掛かりである。「日本列島の地中海」である瀬戸内海には、からに至るまで、様々な大名や海賊が覇を唱え、この海を征する事なくして、天下など夢のまた夢である。そして周防南東部のには、屋代島やしろじまという花崗岩とミカン畑の広がる島がある。この島を、いかなる手段を使ってでも確保する事が、山陽攻略の一里塚であると、日本帝国は判断した。


 九州鎮台の背後には、非武装中立を夢見、対外軍事依存を憂うる吉野首相の理想とは裏腹に、数多のが物々しく控えている。明治以降、など多くの海外移民が旅立った屋代島に、再び日米両国の歴史が刻まれようとしていた。


 筑紫県福岡市、の海上にて。


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 周防長門を巡る陰謀劇は開戦という結果を呼び込んだ。に派遣されて来た、陰謀好きな東京政府の官僚団の手に乗り、屋代島やしろじま(周防大島)にて吉見よしみ一太いちた陸軍大尉率いる部隊が住民の支持を背景に決起した事で屋代島は九州鎮台に編入された。が、想定の通りに武力行使を決断したは旅団規模の部隊を緊急派遣、親東京政府派住民ごと決起部隊を鎮圧して気勢を上げた。


 全ては唐突な話だったが、東京政府の官僚団と鎮台の幕僚達が全てお膳立てした結果だった。


「まるで満洲事変関東軍のよう」


 首相は顛末を知り、嘆息して甚だ失望した。次第を報告に上がった首相府陸軍副官臼杵うすき鑑純あきずみ砲兵大尉は強張った表情で直立して主人の嘆きを聞いていた。陸軍参謀本部情報課は官僚団の策動を知りながら黙殺、加えて吉見大尉に接触し火砲数門を島に流し入れたのは陸軍の小倉こくら駐留混成旅団、臼杵大尉の原隊なのである。臼杵大尉は生きた心地がしなかっただろう。吉野首相は後年そう思った。臼杵大尉は後に原隊の罪科を償う為に小倉口の死闘の最前線へ出張り、「」の手に掛かった。臼杵大尉の死は首相をして陸軍の統制を断行させる、良い「口実」となったが、この時には後日の不幸を知る由もなかった。結局、角張った顔を更に強張らせた臼杵大尉はひたすら謝罪する羽目になる。


 臼杵大尉を「解放」し、執務室には吉野首相と副官筆頭である蓮池はすいけ夏希なつき、そして在日米軍から帰化して九州鎮台の軍事・外交顧問となった来栖クルスアルフレッドAlfred、空軍副官の有馬ありま晴久はるひさ少佐、鎮台参謀本部から海兵隊に異動し首相の対陸軍政策を支える為に海兵隊副官となっている馬場ばば資房すけふさが残り、軍部の後始末の方策を協議した。


「周防大島の守備隊は予想以上だ! 戦意武装ともに豊かで、易々とは行くまいよ」


 来栖顧問が屋代島の地図を見ながらうめいた。


「87式自走高射機関砲に90式戦車、か。岡山旅団の装備を見る限り、先年寝返った香川の演習部隊の装備だね。純日本製だ。それを我らのアメリカ製輸入品兵器が破壊する、と。東京の設備局連中の発狂する姿が目に見える。堪らないね」


「有馬ちゃん、自重」


 有馬少佐の愉悦を吉野首相がたしなめた。少佐は横柄にも首相の前でふんぞり返って腰を掛け、首相の言葉を聞き流した。


星川ほしかわ如きの軍閥と妥協せねばどうにもならんのは、ソフト以前にハードの差だ。中共とソビエトのスクラップ品を寄せ集めた程度の機甲戦力相手にするから出来上がりもしけてしまう。帝国はきたる統一に備えねばならぬのに、予算をたらふく喰った設備局があの体たらくじゃあね、愚痴の二三も口をつくって物だ」


 制止を受けたせいか、言葉の端々から慎重さを投げて言い切った少佐は今度はムスっとした顔で腕組み背もたれに体重をかけた。皮肉屋で偏屈、加えて帝国空軍の指揮官に成り上がった〈飛行機野郎〉である少佐には帝国の現状への強い不満があった。首相はこの我の強い武官を持て余していたが、東京から派遣され現場部隊にて辣腕を奮うガチガチの極右将校であったせき兵八へいはち空軍大佐以外の選択肢がなく、登用もやむを得なかった。


 首相は視線を端にズラした。端から声が掛かった。


「愚痴った所で」


 そう言って煙草に火を付け、少佐の睨みを吐き出した煙でぼやかした。


「設備局のボケがデリートされるわけでも、大島が返るわけでもないだろう。一々口尖らせて、ピーチク抜かして、男の格を落とすなよ、有馬」


「…何を、貴様」


「はい、やめやめ! ミス・ハスイケ、無用に煽るのは止めてくれないか?」


 少佐が一瞬で紅顔し、こめかみに脈打つ様が見て取れると、顧問が中腰に立ち上がり両手で灰皿と地図を広げる長机の対岸にいる両人を諫めた。


「…夏希ぃ~」


 ボソッと小声で吉野首相は端へと呻き、内心副官の蓮池大尉に頼った数刻前の自分を罵った。


 蓮池大尉は煙草を吹かせ顔を吉野首相から背けている。有馬少佐は相変わらず沸騰寸前の赤ら顔で来栖顧問の横目にも気が付かず、対岸の大尉を脇目に睨んでいる。先程から口を出さない馬場副官は口を結び腕を組んで顛末に関せずといった様である。元々口数を絞りその代わりに頭の中で計略を練るのが副官の常の有り様で、これといって普段から変わりのないのだが、首相からすると、せめてこういう時には一言でも諫めてくれても、と思わないではない。


 外は曇り、午前中だと言うのに執務席後背のブラインドの隙間より日が射さない故か部屋が少し暗く感じる。湿った外気から午後の天候は容易に想像できたが、乾き尽くした執務室では、何が発端で火が付くか却って分からなくなっている。馬場副官が怒り狂った様は見た事がないが、有馬少佐は以前に出張先の禍津日原まがつひはらの学校で大人気なくに激昂して殴りかかって代わりにの頬骨にヒビを入れて3箇月謹慎を余儀なくされ、蓮池大尉はタブロイド紙のしつこい追跡に堪忍袋を断ち切り記者を公道の真ん中で半殺しにして軍法会議で予備役編入処分を喰らい、一見穏やかそうな来栖顧問も米軍時代にはのチーマーの煽りに耐え切れず、10人相手に大立ち回りをして半数以上を再起不能に追い込み、自分も軍を実質追われた。いずれも輝かしい「実績」を持つ紳士淑女ばかりだから本当に恐ろしく、それらが今眼の前に揃ったのだから最早言うまでもなく、戦々恐々とはまさにこの如き様に相違ない。


 結局執務室の口論を端に発したクーデターや政変が起きる事はなかったが、遂にろくな会議にならず各人ピリピリしたままお開きとなった。吉野首相は別件で話があると伝えてきた馬場副官と共に蓮池大尉を執務室に留めて仕切り直した。


「よくもやってくれたわねぇ、夏希ぃ~!」


「そんな誉めないでやって下さいよ。本人がウザがるじゃないですかァ」


 大尉は眉間に皺寄せて迫る首相へ僅かにかかる様に煙草の煙を吐いた。


「蓮池様、礼に欠く振る舞いかと存ずるが」


「えぇ、ホントっ! 無礼討ちしてやるレベルよぅ!」


 馬場副官の無抑揚な諫言に乗っかって、煙で咳込み手で幕を払う内に語気が強まった吉野首相の言葉を蓮池大尉は聞き流して先程までいた椅子へと腰掛けた。元々タメの口を利く大尉だが、主人を主人と思わない態度や振る舞いは時にトラブルの火種になりもする。しかし、それでも首相は重用を続けた。


「で、馬場君は何用があるんだい?」


「ちょっと夏希…!?」


「さっさとやりますよ、ホラ。無駄口は腹みたく引っ込めて」


「だ、誰が下腹パンパンよ!? うっさいわ!」


 手を上下に振って湯気を立てる主を諫めた大尉は会議の時に広げられたままの地図に指を向けた。


だろ、馬場君?」


「その通りです。ネシアから船が出ました」


 副官は複数枚の写真を地図の上に置き、それを一枚一枚摘まんで横一線に並べた。


「…それは?」


 漸く赤みが取れた首相は副官が店を広げているのに関心を持った。


「先日出航したタンカーの積み荷さ。生きの良い猟犬共でしょ?」


 大尉が空に煙を吹いて答えると、首相も席に着いた。


「猟犬って…傭兵?」


「Exactly」


 大尉は地図上の写真の角を一枚爪で弾いた。二三度回転した写真は首相の手許にやって来て、丁度見下ろす所でピタリと止まった。


「アラブ人?」


「いや、ジャップ。風体はパレスチナのお偉いさんみたいだけど。元商社マンでね。の折に見た戦争で狂ってしまった、残念な奴よ…って言われてるね」


 大尉はもう一本煙草に火をつけた。


「どゆこと?」


「ん? ああ、実はね。どうやら嘘っぽいんだ。実は家業だったんじゃないかって風の聞こえもある」


「家業ねぇ…」


 大尉の言葉に首相は不思議そうな顔をした。軍人家系というのは聞いた事があるが、って言うのは聞いた事がないのである。


「昔のじゃあるまいしって顔だね」


「聞き覚え無いもの、そんな話」


「識見を広げてもそりゃあねぇ。アングラそのものだから、自学自習にはちょいとハードルが高い」


 大尉はいつの間にか短くなった煙草を皿に押し付けた。


「ああ、しにくい」


「マグカップはよしなさいね。楽でしょうけど、始末に悪い」


「私がやるんならいいでしょうに」


 ふんっと鼻から小言も交えて吹き出し、大尉は意味もなく煙草を灰皿へ強く押し付けた。


「馬場君も何か言って頂戴」


 首相は苦笑しながら副官に話を振った。副官は首相を一瞥し答えた。


「御両人の仲に入り込むのは野暮というモノでしょう。誘われても躊躇います」


 馬場副官は抑揚もなくそう告げると、先を促すように手元の資料を一部ずつ吉野首相と蓮池大尉へ差し出した。


「…ブレないのね」


 首相は独り言を言った。

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