杉三中編 Triangle
増田朋美
第一章
Triangle
第一章
コンサートホール
「籠原大学卒業演奏会」と書かれた看板。
コンサートが終わって、聴衆が出てくる。その中に杉三と蘭もいた。
蘭「今年もよくやるなあ。毎年見に行ってるけど、さすがに名門校と言われるだけあるな。」杉三「そうかなあ。全然面白くなかったよ。」
蘭「なんで?」
杉三「だって、ありふれた曲ばっかりなんだもの。楊琴にしろ、笛にしろ。去年とほぼ変わらないプログラムだったし。それに、僕の好きだった古筝をやってくれた人が一人もいなかった。」
蘭「今年は出なかっただけじゃない?来年は出るかもよ。」
杉三「蘭は、そういうけど、毎年出ない。もう何年も続いてる。」
蘭「何年ってどれくらいだ?」
杉三「僕たちは、十回以上見に来ているから、、、。」
蘭「つまり十年か。でも、十年前のことなんて誰も記憶していないと思うけどね。」
杉三「そんなことないよ。十回前までは、古筝弾いてくれた人がたくさんいたのに、だんだんに減っていって、誰もいない状態でこの三回は続いてる。」
蘭「読み書きできないのに、そんな正確に記憶できるはずがないだろ。」
杉三「本当にそうなんだから。」
と、そこへ、立派な燕尾服を着た男性が近づいてくる。
男性「よく見ていてくれましたな。そんな昔から本学の演奏会に来てくれているなんて、とてもうれしいです。」
蘭「あ、すみません、失礼なことを言ってしまって、」
と、頭を下げる。
蘭「ほら、杉ちゃんも謝れよ。」
男性「いえいえ、いいんですよ。古筝専攻の学生が激減したのは、まぎれもない事実ですから。それはもう仕方ありません。」
杉三「じゃあ、新しい人を入れてください。僕は、古筝が何より好きです。校長先生ですよね?」
男性「まあ、近いかな。籠原大学理事長の籠原牧夫です。」
蘭「理事長!も、申し訳ないです、こんななれなれしくしゃべってしまって。本当に身の程知らずで、、、。」
籠原「いいんですよ。彼の言っていることは何も間違いではありませんので。やはり、学校を維持するだけに固まってしまうと、こうなってしまうものですな。」
杉三「そうですか。もう、新しい曲は弾いてくれないのですか。」
籠原「そうですね。私たちが作りたかった大学とは少し違ってしまいました。もう、よく知られた曲をやるしか、大学をPRする手段がないのです。」
杉三「だったら、もっと難しい曲をやってさ、これだけすごいのが弾けるんだって、アピールすればいいんじゃない?僕、ずっとここへきているから覚えているんですけど、確か、すごく個性的な曲をやった古筝奏者がいたじゃないですか。彼をゲストミュージシャンで招くとかすれば、もう少し知名度は上がると思うんですけどね。彼の演奏を聞いて、本当にすごいなって感動したことを記憶しております。あれだけ大拍手をもらっていれば、彼もそれなりの名声を得たのでは?」
籠原「あなたは、本当に、古筝が好きなんですな。あなたが本学へ入ってもらいたいものですよ。」
杉三「僕も大学にいってみたい。」
蘭「何を言っているの!杉ちゃんは、ひらがなさえも読めないのに。大学というところは、それなりに苦労をしてきた人が学ぶところなんだから、僕らがのこのこ入ってはいけないの。それくらいわからないと、」
籠原「いえいえ、苦労してはいる場所じゃありませんよ。今の時代は。みんな授業をしても、スマートフォンをいじっていますから。純粋に大学へ来たいという生徒は、今は少なくなりましたね。」
杉三「うん、そうだね。だって、大学なんてみんな、ただの付属品だしね。この蘭が若かったころは、きっとみんな大学へ来たいという気持ちだったから、真剣に勉強していてもおかしくなかったんだと思うよ。でも、今は誰でも大学へ行けるから、全然勉強なんてしないよね。つらいだろうね。」
蘭「杉ちゃん、あんまりべらべらと言わないの!」
籠原「いえいえ。かまいません。まさしくそうですから。あなたは、読み書きができないと言っておきながら、世情をよく読む力がありますな。お兄さんは、大学を出ているのですか?」
杉三「お兄さんではないよ。友達だからね。僕の友達の伊能蘭。ちなみに蘭の大学は、ベルリン芸術大学。で、僕の名前は影山杉三。杉ちゃんと呼んでください。」
籠原「すごいですね!それでは、日本の大学に満足しないわけですよね。ドイツのほうが、よほど素晴らしいですからな。なるほど、お二人が大学のことを、そうやって批評できるのがよくわかりました。どうでしょう、うちの大学へ来ていただいて、少しお話してくれませんか。生徒たちに、大学で学ぶというのはどういうことなのか、聞かせてやってほしいです。」
蘭「僕は遠慮しておきます。ベルリン芸術大学を卒業したのは確かですが、それにふさわしい職業に就くことはできませんでした。まあ、確かに大学の思い出というものがないわけではないのですが、でも、僕はこのように体もきちんと効くわけでもありませんので。」
杉三「じゃあ、代わりに僕が行ってあげる!」
蘭「杉ちゃん、馬鹿も休み休み言えよ!大学どころか小学校すら行ってないのに、どうやって学生に勉強を促せるのさ!それに、教育者はことごとく嫌いだと自分で宣言してもいるじゃないか!」
籠原「いや、それは面白い。頼もう!影山さん、あなたのような方が大学にいらしてくれれば、勉強することの本当の素晴らしさを、生徒たちに見せることができますよ。ちなみに楽器は演奏されますか?」
杉三「杉ちゃんでいいよ。ピアノと古筝を少し。」
籠原「得意な曲はありますか?」
杉三「はい、戦台風とか。」
籠原「おおー!素晴らしいですね。音大レベルの曲ですよ。でも、文字を読めないのに、古筝の数字譜はどうやって?」
杉三「みんな聞いて覚えるんです。それしかないですよ。逆を言えば。」
籠原「ああ、そうですよね。それではなおさらいい。それではですね、近いうちに大学へお迎えに行きますので、本学の講堂で、戦台風を演奏してください。私が、この方は読み書きができない方だとして紹介しますので、読み書きができない中、古筝を学んだ感想を言ってくれませんか?」
杉三「わかりました。僕は馬鹿だけど、役に立つのなら何でもやります。」
籠原「ありがとうございます。」
蘭「ああ、とうとう引き受けてしまった、どうしよう、、、。」
籠原「大丈夫ですよ。戦台風が弾けるということは、とても高度な技術があるということですからね。下手でもいいのです。彼が、古筝に対してどれだけの愛情を持っているのかを、うちの生徒たちに伝えてやりたい。古筝専攻は、一番人数の少ない学科ですから。もし、彼が文字を読める人であれば、ぜひ、本学で学んでもらいたいものでしたな。」
蘭「そうですか、、、。まあ、お役に立てるのであればですけど、、、。」
籠原「じゃあ、ご住所を教えてください。日付をお知らせしますので。」
蘭「わ、わかりました、、、。」
と、しぶしぶペンをとり、住所を書く。
籠原「ありがとうございます。じゃあ、よろしくお願いいたします。」
杉三「頑張って練習してうまくなります。」
籠原「よろしくね、杉ちゃん。」
杉三「はい!」
数日後。杉三の家の前にピカピカの高級車がやってくる。籠原が、自ら運転し、杉三と蘭を、
「籠原大学」と書かれている看板のある、大きな建物に連れていく。
二人、籠原にてつだってもらって車を降り、大学の敷地内へ出る。
杉三「へえ、ここが籠原大学ってとこなんですか。」
籠原「そうですよ。ちょっと、車いすの方には行きにくいかもしれませんが、、、。」
杉三「そうだね、道、でこぼこ。」
籠原「よろしければ、お手伝いさせましょうか?」
杉三「そうだね。」
と、一人の男子生徒が、二人の前を通りかかる。
杉三「やあ、こんにちは。」
生徒、軽い会釈をする。
籠原「おい、久保君、てつだってくれないかね。」
久保「僕みたいな人でよければですけど、、、。」
籠原「君の自己評価はいつもそうだ。卑下する必要ないんだよ。」
杉三「君の専攻は何なの?」
久保「古筝ですが、、、。」
籠原「それはいい!彼が古筝を今から弾いてくれるそうだ。ぜひ、聞いてみてくれたまえ。きっと勉強になるよ。」
久保「わ、わかりました、、、。」
籠原「じゃあ、この付き添いの方を押してやってくれ。」
久保「はい。」
籠原が杉三を押し、久保は蘭を押す。
杉三「ずいぶん古い建物なんだね。」
蘭「変なこと言わないの。在学生さんなんだから。」
久保「いいんですよ。それだけ歴史があるということだから、僕は気にしていません。」
杉三「へえ、偉いね。でも、ほかの人には不便なんじゃないの?新しくするのは難しいのかな?」
籠原「ああ、立て直そうという話も出たんですけどね。結局、没になってしまいました。はい、講堂につきましたよ。」
杉三「えっこれが?」
籠原「ええ。」
それは講堂とは思えない小さな建物だった。
杉三「講堂ってのは、コンサートホールみたいな、立派な建物ではないんですか?」
籠原「まあ、定義としてはそうですね。昔はそういう建物もあったんですけれども、二年前に台風が来て壊れてしまったのです。」
杉三「じゃあ、新しいのは、、、。」
籠原「まあ、作ろうと思ったんですが、それもかなわなくて、、、。」
蘭「あんまり根ほり葉ほり聞くなよ。」
籠原「いえいえ、いいんです。じゃあ、中に入ってください。」
と、ドアを開ける。中には部屋があったが、本当に小さな部屋で、パイプ椅子が置かれていたが、百席も満たなかった。その席の前に古筝が一台置かれていた。椅子には、豊胸を強調した、まるで娼婦のような服装をした女子生徒たちが座っていたが、どの生徒も真剣に聴きに来たという表情ではなく、ただ座らされて、早く遊びたいという表情だった。
籠原「どうですか?リハーサル入れます?」
杉三「いや、本番で大丈夫。」
籠原「じゃあ、お願いします。」
と、部屋のドアを開ける。耳をつんざくような汚い発音で、女子学生がうるさくしゃべっている。
籠原「静かに!」
効果は全くない。
籠原「静かに!」
杉三はそれを無視して静かに古筝の爪をはめ、戦台風を弾き始める。はじめは、無視してしゃべっていた女子学生たちであったが、彼が演奏を続けていくと、古筝のほうを向く。そして、おしゃべりはぴたりとやみ、全員彼の演奏する古筝の音に聞き入る。曲が終わりに近づくと、全員が彼のほうにくぎ付けとなる。
演奏が終わると、割れんばかりの大拍手。
生徒「すごい!」
生徒「どこかの大学を出たの?」
杉三「いや、僕はただの馬鹿です。」
生徒「どうやってうまくなったの?」
杉三「いやあ、うまくなったって気はしないよ。ただ、流れていたのを聞き取って覚えただけだもの。」
生徒「耳コピで覚えたの?」
籠原「皆さんに言い忘れましたが、この方は読み書きができないそうなんです。だから、数字譜なるものも、全く読めないんだそうですよ。そうですね、杉三さん。」
杉三「はい。僕はただの馬鹿で、皆さんのように、ちゃんと楽譜を読んでいないでこの戦台風を弾いています。なので、あんまり正確ではないですよ。でも、こうして覚えているのですから、楽譜を読める皆さんは、僕よりもっと、うまくやれるんじゃないかなあ。」
生徒「なるほど!それではあたしたちは、もっとうまくなれるんだ!」
杉三「うん、きっとできるよ!」
生徒「理事長が連れてきた演奏家なんてろくなもんじゃないと思っていたけど、面白い方を連れてくることもあるのね、理事長、ありがとう!」
籠原「どういたしまして。」
生徒「ねえ、杉三さんまた演奏に来てくれない?」
杉三「いいよ。僕、歩けないから、てつだってくれないと来れないけど。」
生徒「そんなの、私だったら、手伝うよ。ご覧の通り、おでぶちゃんなんだから、力持ちよ。」
杉三「そうか、じゃあ、お願いしてもいいかな?」
生徒「いいわよ。もう一曲やって!」
杉三「いいよ。じゃあ、高山流水は?」
生徒たちが拍手するので、杉三は高山流水を弾き始める。弾き終わるとさらに大きな拍手が飛び出す。
生徒「もう一曲やって!今度は古典じゃないものはできる?」
杉三は少し考えて、映画「神話」のテーマソングを弾き始める。また弾き終わると大拍手。
生徒「すごい!すごい!」
籠原「皆さんも、彼のように真摯に勉強してくださいね。」
生徒「わかりました!また演奏に来てね!」
と、予鈴を告げるチャイムが鳴る。
生徒「ああ、授業に戻らなきゃ。私、真剣に勉強する気になってきた。」
生徒「私も!今日はありがとね。またこの学校に来てね!絶対よ!」
と、それぞれの場所へ戻っていく。
籠原「ありがとうございました。生徒たちにとっても、いい刺激になったようです。」
杉三「いえいえ、僕みたいな馬鹿な人が、お役に立てるか心配でならなかったので、緊張していましたけど、とてもうれしいです。」
蘭「正直、うまくやれるか、心配で仕方なかったよ。」
久保「でも、演奏、とても素敵でした。古筝を学んでいる僕も顔負けですよ。自己流とは思えなかった。」
籠原「また、何かイベントがありましたら、ぜひ演奏に来てください。じゃあ、お二人をお送りいたします。」
久保「僕も手伝いますよ。幸い、しばらく授業はないので。」
籠原「ああ、悪いね。玄関まで運んであげて。」
久保「はい、わかりました。」
と、蘭を移動させてやる。二人は、籠原の運転する車に乗り込んで、家に帰っていった。
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