ナカにヒトなど、イヤしない!?

メグリくくる

第1話

 声が、聞こえた気がした。

 誰のものかは分からない。だが、それが自分を呼んでいるのだということは、直感的に理解できた。

『―― !』

 直接脳に響いたその声に導かれるように、ゆっくりとまぶたを開ける。まぶたという防壁がなくなり、光が勢いよく飛び込んできた。眩しい。

「――ぁ」

 眩しさに驚き、自分の喉から空気が抜けたような音がした。

 ここは、どこだ?

『気が付いた?』

 次に俺の目に飛び込んできたのは、妖精だった。

 妖精としか言い表しようがなかった。

 初雪よりもその肌は白く、触れれば溶けてしまいそうな儚さを、彼女は持っていた。

 触れれば消えてしまうにもかかわらず、それでも触れた一瞬、その刹那彼女の温かさに触れたいと、その熱に身を焦がしたいと、彼女を自分のものにしたいと思わせるほどの魅力が、その妖精にはあった。

 男にどうしようもないほどの独占欲を掻き立てさせる彼女を見て、自分もその魅力に魅了された男の一人であると、今更ながらに気が付いた。

 そうか。自分は、男なのか。

 頭が、うまく働かない。だが、それも気にならなかった。今、自分の関心は、自分の五感の全ては、彼女を感じるためだけに使われていた。

 目の前の彼女に、触れたかった。まったく枝毛のない銀髪を、指ですきたかった。心配そうに俺を覗き込む、翡翠色の瞳が愛おしい。

 目覚めた直後に、彼女に恋をしていることを自覚した。自分は、彼女を愛するために生まれてきたのだと、理解した。


 俺が目覚めたのは、病院の一室のようだった。俺はベットの上で横になっており、洗濯直後だと思われる真っ白な薄手の布団をかけられいる。

 窓の外は日が沈み始めているのか薄暗く、蛍光灯の光で部屋の中がハイライトされているように感じた。もっと部屋の様子を知りたかったのだが、寝起きの所為か体がうまく動かせず、部屋を見回すことができない。

『あな、たは……?』

 それでも目覚めた直後に出会った妖精と話がしたくて、俺は彼女に問いかけた。

 体だけでなく口もうまく動かせず、発する言葉も途切れ途切れで、ぎこちないものだった。

 俺の言葉を聞いた、フルリムのメガネをかけた白衣姿の彼女は、驚愕の表情を浮かべた。

『そんな。まさか、記憶が……?』

 彼女は狼狽した様子で一歩、二歩と後ろに下がった。動揺した所為か、手にしていた本が落ちる。タイトルは、『変身物語』。

「少し落ち着きたまえ。まずは私が分かるように話してくれないか」

 後ずさりした彼女を、一人の男が支えた。そこで初めて、俺と彼女以外にもこの部屋に誰かいたことに気づいた。

 男はしわの刻まれた精悍な顔付きをしており、髪には白髪が何本か混じっている。だが、それが逆にこの男が乗り越えてきた苦難を物語っているようで、彼の威厳をより際立たせていた。

 だが、俺の心中は穏やかではない。いや、もう脳みそが沸騰しそうなぐらいだった。一目ぼれした彼女に、他の男が触れたのが許せなかったのだ。

 自分でも、何故そこまで彼女に夢中になっているのか分からなかった。

 分かっているのは、俺は今すぐ目の前の男から彼女を取り返したい、と強く思っているということだけだ。

 だが、やはり俺の体は思うように動いてくれない。男に飛び掛るつもりで体を動かそうとしてるのだが、せいぜい自分が寝せられているベットの上で、少し体を揺する程度しか移動できなかった。薄手の布団が俺の動きを制限する屈強な拘束具のように感じる。

 彼女を脇の椅子に座らせ、入れ替わる形で男が俺の目の前にやってきた。

「すまないが、いくつか質問させてもらってもいいかね?」

 よくなかった。

 何も状況が分からない状態であれこれ聴かれるのは不快だし、何より彼女と同じ白衣をこの男が着ているのが許せず、俺は怒鳴り散らそうとした。

 だがその様子を、彼女が真剣な眼差しで見つめていることに気が付き、自重した。

 男の首にかかっている星型のネックレスを見ながら、男の質問に俺は答えていく。質問に答えていく度、椅子に座っている彼女の表情が曇っていく。

 なんだ? 俺は何か間違ったことを言ってしまったのだろうか?

「……そうか。君は本当に何も覚えていないんだね。プランを考えなければ」

「?」

 俺を置き去りにして、男が話を進めることに不快感を感じる。が、それよりも悲しそうに顔を伏せている彼女の方が気になった。

「その質問に答える前に、君の体の検査をしよう。起きたばかりで辛いかもしれないが、立てるかね?」

 男の言葉に従い、俺はどうにか拘束具を引き剥がそうとする。その様子を見ながら、彼女が部屋の外に出て行ってしまった。待ってくれ!

 必死に上半身を起こし、そのまま彼女を追おうとする。だが、一人で立ち上がることはできそうにない。自分の体を自由に動かせないことに、苛立ちを感じた。まるで自分の体じゃないみたいだ。

 悔しさに歯ぎししていると、彼女が部屋に戻ってきた。

「車椅子を、持ってきマシタ」

 どうやら、彼女は俺のために車椅子を持ってきてくれたようだ。彼女の優しさもうれしいが、彼女がそばにいてくれることに、俺は安心した。

「では、私は先に診察室に行って準備しているよ」

 男はそういい残し、先に部屋を出た。

「これに、乗るのデス」

 彼女の手を借り、車椅子に乗ろうとする。近づいた時に感じた彼女の熱と香りが、俺の脈を早くした。

 俺は彼女が持ってきてくれた車椅子に乗り、部屋を出る。廊下の天井には一定間隔で蛍光灯が設置され、俺たちの進行方向を照らしてくれている。

 彼女に車椅子を押されながら、診察室に向かう。蛍光灯と同じで、廊下の窓も等間隔で設置されており、既に日が暮れていることが分かった。

「ここは、『ホシノカケラ』という組織の日本支部デス」

 車椅子を押しながら、彼女が俺に話しかけてくれる。車椅子の車輪が回るたび、廊下に金属が軋んだような音が響いた。

「『ホシノカケラ』?」

 聞きなれない言葉に、俺はオウム返しで彼女に聞き返す。

 目覚めた時よりも、スムーズに言葉が出る。彼女と普通に話せることがうれしい。

「ハイ。ワタシは地球に着てから、『ホシノカケラ』に身を寄せていマシタ」

「地球?」

「着きマシタ」

 思った以上に診察室は近かったらしい。彼女が診察室の扉を開ける。先に先行していた男が、診察室で出迎えてくれた。

「早かったね」

「なるべく早く、彼の状況が知りたいのデス。後はお願いできマスか?」

「任せておきたまえ」

 彼女に代わって男が俺の車椅子を押す。また彼女と離れ離れになってしまう!

もう二度と彼女と会えないような気がして、車椅子を漕ぐ音が、俺の不安をあおった。

「大丈夫デス」

 そんな俺の不安を察してくれたのか、彼女は俺を安心させるように、優しく微笑んだ。

「アナタの、すぐそばにいマス」

 彼女の言葉に偽りはなく、診察を続けている間、彼女は俺のそばにいてくれた。ただし、ガラス越しだったのだが。

 診察室は、俺が座っている寝台の右側がガラス張りになっており、そこから彼女の姿が見えるのだ。始めは自分が観察対象にされているようで不気味だったのだが、彼女の姿が見えたので今はそんな気持ちはない。

 診察は既に終了しており、俺は男から渡された大量の本を読み漁っていた。窓越しの彼女も、俺と同じように本を読んでいる。男から、必要な知識になるから、と渡された本を眺めていただけだったのだが、彼女も本を読み始めたので俺もそれにならったのだ。

 まるで雛が親鳥の後を追うように、俺は彼女の行動を真似していた。

 始めは本を眺めてページをめるくだけで、漫然と本を読んでいるだけだったのだが、男の言った通り、今ではかなり知識を得ることが出来た。

 ちなみに今読んでいる本のタイトルは、『君にも出来る! ロボットの操縦方法 ~初心者編~』。

 この本の内容が、一体どこで役に立つのかはなはだ疑問だが、今は彼女と同じ読書をしているという事実が、純粋にうれしかった。

 彼女の読んでいる本のタイトルは『名前大辞典』。彼女も彼女で、何故そんなものを読んでいるのだろうか? それに先ほど俺を診察した男と、さっきまで何か話をしていたようだ。何を話していたのだろう?

 今は体もだいぶほぐれており、自分一人で立ち上がることも、簡単な柔軟体操を行うことも出来るようになっていた。

 ガラス越しに見える彼女と、ガラスに映った青色の病院服を着て、診察台に座っている体調の悪そうな男の姿を見ながら、俺は座っていた診察台から立ち上がった。

 俺の動きに合わせて、体調の悪そうな男も立ち上がる。認めたくはないが、つまり、あれは俺のようだ。

 ガラスに映った俺は偏頭痛でも患っているのか顔をしかめ、どんよりとした目をしていた。

「どうしたのかね? そんなに暗い顔をして」

 カルテを持って、あの男が診察室に入ってきた。彼ほど渋みがあれば、俺もまだ見栄えがしただろう。だが、それを認めるのは、なんというか、しゃくだった。彼女の前で自分の負けを認めるのは、どうしても許せなかった。

「……別にたいした事はありませんよ。それより、俺の診察の結果はどうだったんですか?」

 自分の容姿の劣等感から、男に少しきつめに当たってしまう。

 そんな俺をよそに、男は手にしたカルテをめくりながら、淡々と言葉をつむいでいく。

「結果は良好。すぐにでも日常生活を送れるようになるよ」

 一瞬、何が引っかかった。

「そうですか」

 だが、その違和感よりも重要な問題が一つある。俺はその件を優先させたかった。

「ただ、一つ問題があってね」

「……俺が記憶喪失、ということですか?」

 俺が目覚めた時に、彼女と男が言っていたことだ。

 俺が『俺』のことを何一つ憶えていないということを鑑みても、俺が記憶喪失というのは疑いようのない事実だろう。

「……その通りだ」

「それで、俺は一体何者なんですか?」

 厳しい顔をした男に、俺は問いかけた。

 ここが『ホシノカケラ』という組織が所有している建物だということは、彼女から既に聞いている。『ホシノカケラ』という組織が何の組織なのかという事も気になるが、それよりも自分自身が何者なのか、という事の方がよほど重要だった。

 俺が一体何者なのか。俺がどういう存在なのか。俺はどう振舞うべきなのか。俺が一体、どういった精神を持ってたのか。

 俺が俺たり得る所以を、俺という存在の定義付けを、俺はしなくてはならない。

 そうしないと、俺はこれからどう生きればいいのか分からない。

「その質問に答える前に、まずは私の自己紹介からしておこう。私の名前は松井 和夫(まつい かずお)。『ホシノカケラ』の科学者、他のメンバーからは松井博士と呼ばれている」

 俺の質問に答えずこの男、松井博士は自己紹介を始めた。

 他人の発言を無視して話す癖があるのか? 俺は早く自分のことが知りたいのに!

「そして、君が起きた時から気にしていた彼女だが」

 彼女の話題になったため、俺はガラスの方に視線を送った。が、彼女の姿が見えない。

 一体どこに?

「ドクダメ」

 彼女の声が聞こえてきたのは、松井博士の背後からだった。

「ドクダメ・クーパー、デス。よろしくお願いしマス」

 腰まで伸ばした艶やかな髪をなでながら、彼女は、ドクダメさんは松井博士に書類を渡した。その書類を眺めながら、松井博士は苦しげに笑った。

「名前は、それでよかったのかね?」

「ハイ。彼がこうなってしまったのデス。ワタシも、この名前を背負いマス」

 背負う? ドクダメという名前は、偽名なのか?

「……そうか」

「あの、一体何の話を? それより、俺は一体何者なんでしょうか?」

「ああ、すまない。それで、私の渡した本は一体どのぐらい読んだのかね?」

 松井は俺の持っている本に目を向け、その瞳を輝かせた。

「ほう! もう『君にも出来る! ロボットの操縦方法 ~初心者編~』を読んでいるのかね! これはなかなか将来有望じゃないか!」

「あの、だから一体何の話なんですか!」

「君が読んでいる初心者編だが、初心者ということは中級者編、上級者編があるわけだ! その後リアル系編、スーパー系編と分岐していくわけだが、私としてはぜひともスーパー系を押させてもらいたいと思っているのだよ!」

「だからさっぱり分かりませんって! 分かるように説明してください!」

 急にテンションを上げ始めた松井博士にドン引きしながらも、ドクダメさんに助けを求めた。

「つまり、こういうことデス」

 俺の視線を受けて、ドクダメさんは俺にうなずきながらも、こう言った。


「アナタには、ロボットに乗って地球を救ってもらいたいのデス」


「……は?」

 ……何を、言ってるんだ?

「アナタには、ロボットに乗って地球を救ってもらいたいのデス」

「いえ、別に聞こえなかったわけではないのですが……」

「では、会話の内容が理解できない、ということデスか?」

 一+一が二になることを理解できないと言っている小学生を見る教師の目で、ドクダメさんが俺に問いかけた。

 急にロボットに乗って地球を救ってくれと言われても、それがどうやったら『俺が何者なのか?』という質問の解になるのか、さっぱり理解できない。

 そもそも、

「急な話し過ぎて、理解が追いついてません!」

「まぁ急な話で混乱することもあるだろう。ふふふ。まさか子供の頃アニメで見たようなやり取りが出来る機会が訪れるとは、しかも私が博士役とは! 中々感慨深いものだ。私は昔からロボットに乗るようなヒーロー、主役よりも解説役のキャラクターに憧れを抱く子供でね」

 松井博士は松井博士で、相変わらずこちらを無視して自分の考えを垂れ流し、どうでもいい情報だけが俺の脳に蓄積されていく。顔と中身のギャップが凄い。

「地球は狙われている」

 そう言って話し始めた解説役の話の内容は、俺が何者なのかということについて、一欠けらの解説もしてくれなかった。

 ドクダメさんが先ほど、『地球を救ってもらいたい』と言っていたので、地球が何かしらのピンチに陥っているということは、既に情報として得ている。

 得ているが、俺の正体の話がそれで流されることに理解も納得も出来ていない。出来ていないが、松井はそのまま話を続ける。ひとまず話を進めるしかないようだ。

「狙われている、ということは、地球を狙っている相手がいるということだ。その相手の名前は、『ギガク』」

「『ギガク』?」

『ギガク』という単語を聞いた瞬間、鈍い痛みが左のこめかみ辺りに走った。

俺は左手の中指でこめかみを、円を描くようにして押さえる。なんだ?

「……その『ギガク』ってやつは、何で地球を狙っているんですか?」

「それは、ワタシの所為デス」

 そう言って、ドクダメさんは俺と松井博士の会話に入ってきた。

「ワタシが地球に逃げ込んだ所為で、『ギガク』に地球が目をつけられてしまったのデス」

「え? 地球に、逃げ込んだ? じ、じゃあ、あなたは」

「ええ。私は地球の人たちから見たら、宇宙人ということになりマス」

「そんな、」

 馬鹿な、と続けようとした。だが、できなかった。

 宇宙人。地球外生命体。

 なるほど。確かにそう言われれば、ドクダメさんの尋常ならざる美しさの説明が付く。

 それほどまでに、彼女は美しかった。妖精ではなく、宇宙人だったのだ。

「ワタシは、地球とは別の星からやってきたのデス。その星のことをワタシたちは『フウリュウ』と呼んでいマシタ。地球と同じように水の豊富な、ステキな星デシタ」

 ドクダメさんは、久々に旧友の近況を聞いたように、懐かしそうに『フウリュウ』のことを語った。

 だが、その表情はすぐに曇る。自分の星のことを過去形で語ったのが、その原因だろう。

「でもある時『ギガク』が、『ギガク』のロボットの大群が『フウリュウ』にやってきて、全てが終わってしまいマシタ。『ギガク』は海を干上がらせ、緑を焼き払い、大地を割りマシタ。何故『ギガク』が『フウリュウ』にやってきたのか、何故『フウリュウ』が『ギガク』に蹂躙されなくてはならなかったのかは、分かりまセン。でも現実として、ワタシたちの星は犯され、滅ぼされマシタ。それはもう、徹底的にデス」

 そう語ったドクダメさんの目には、『ギガク』に対する憎悪があふれ出していた。

「それでも、ワタシたちは、黙って滅ぼされたりなんてしませんデシタ。ワタシたちは大きな犠牲を払いながらも、どうにか一体の『ギガク』のロボットを奪取するのに成功したのデス」

 憎悪を瞳にたたえながら、ドクダメさんの表情は復讐者のそれになる。

「『フウリュウ』からロボットを運び出すことに成功した時、ワタシを残して仲間は全員殺されてしまいマシタ。そして、『ギガク』に対抗できそうな知的文明を持った星を探したのデス」

「そして、地球にやってきたというわけだ」

 松井博士は、ドクダメさんの話した内容がすべて事実であると言っているように、うなずきながらそう言った。

 いや、だからと言って「はいそうですか」と納得できない。出来るわけがない。

「……信じられません」

「そうかね?」

「そうですよ!」

 何で今の説明で信じてもらえると思ってるんだ!

 確かにドクダメさんは、地球外生命体と言われてもおかしくないほどの美人だ。

 だが、だからといって、今話されたことを全て受け入れることなんて出来ない。

 大体、俺は今記憶喪失なのだ。適当なことを言って騙されている可能性だってある。

 何より、一つ分からないことが残っている。

「それで、どうして俺がロボットに乗って戦うことになるんですか?」

『アナタには、ロボットに乗って地球を救ってもらいたいのデス』

 ロボットを地球に持ち込んだと言った、ドクダメさんの言葉だ。

 この言葉から察するに、ドクダメさんが奪取に成功したというロボットに乗って戦うことを、俺は依頼されているのだろう。

 松井博士から渡され、さっきまで読んでいた『君にも出来る! ロボットの操縦方法 ~初心者編~』も、そのために必要な本だったと考えるのが妥当だ。

 だが、何で俺なんだ? もっと適任者がいるはずだろ? それこそロボットの奪取に成功した、ドクダメさんが乗ればいいじゃないか。

「別に、俺じゃなくてもロボットに乗れるんじゃないんですか?」

「いえ、アナタじゃないとあのロボットは動かせないのデス」

「な、何でですか? ロボットを地球に持ち運んだ時、ドクダメさんはその『ギガク』のロボットに乗ってきたんですよね?」

「いいえ。ワタシは宇宙空間を移動する時に使ったシャトルに、『ギガク』のロボットを積んできただけデス。ワタシでは、動かすことが出来ないのデス」

「その理由は、私が答えよう!」

 松井博士が俺とドクダメさんの会話に割り込んでくる。解説するのが好きなのだろう。ノリノリなのがウザい。

「『ギガク』のロボットはセキュリティとして、搭乗者の脳から発せられる脳波と電子信号の組み合わせを記憶させる仕組みとなっておるのだ。事前に記憶されている脳波と電子信号に反応することでセキュリティが解除され、搭乗者はロボットを操作することが出来るようになる。そして偶然にも、事故で病院に運ばれてきた君の脳波と電子信号が、彼女が奪取してきたロボットに記憶されているものと一致したのだ」

「つまり、アナタしか、アナタだけがワタシが持ち込んだ『ギガク』のロボットを操縦することが出来るのデス」

「……俺がロボットに乗れることは、理解しました」

 理解はした。でも、

「その理屈だったら、俺以外にもそのロボットに乗れる人がいる可能性もあるはずですよね? だったら、その人でもいいんじゃないですか? 俺なんかよりも適役がいるかもしれないじゃないですか! まだ地球の、全人類を調べたわけじゃないんですよね?」

 でも、だからって、何で俺が地球の命運を急に背負わないといけないんだ?

 大体、俺、記憶喪失なんだぞ?

 何でそんな、わけが分からない、俺みたいなやつに地球の命運なんて背負わせるんだよ! おかしいだろ!

「三年デス」

 ドクダメさんが右手を挙げ、人差し指、中指、薬指の三本の指を立て、まっすぐ俺を見つめていた。

「三年後に、確実に『ギガク』は地球にやってきマス」

 誤差は多少あるかも知れまセン。と言って、ドクダメさんは腕を下げた。

 俺は驚いてドクダメさんに問いかけた。

「そんな、正確な時間も分かっているんですか?」

「先ほど、脳波と電子信号がセキュリティの役目を担っていることは話したね? あれは無線LANのアクセスポイントのような仕組みも備えているようなのだよ。ある特定の『通信』を受けると、『自分』が存在していることをその『通信』を送った相手に教える、『応答』する仕様になっておるのだ。新幹線に乗っている時、無線LANのアクセスポイントが大量に出るようなものだよ。繋げないが、とりあえず繋げる可能性のあるアクセスポイントの存在だけは表示されるだろ?」

 俺のドクダメさんに対する問いかけにも、平然と松井博士は割って入ってくる。

「……全て理解できませんけど、でも『ギガク』側にその奪ってきたロボットが地球にあることが知られてしまっている、ということは分かりました」

「正確には、まだ知られていマセン。ロボットからの『応答』が返ってから、『ギガク』がロボットを奪い返しに地球にやってくるまで、後三年ほどかかるという話デス」

「だが、そこまで理解できていれば十分だ。やはり君には才能がある! ロボットに乗る、才能が!」

 ドクダメさんが訂正し、松井博士が満足そうにうなずく。

 まずい。このままでは本当に、俺がロボットに乗って戦わないといけなくなる!

「でも、まだ三年もあるんですよね?」

「もう、三年しかないのだよ。もちろん、君以外の候補者探しも継続して行うし、セキュリティを人為的に解除するための、ダミーの脳波と電子信号を発生させる装置の開発も並列して行っている」

「でもアナタ以外がロボットに乗れるようになった後、ロボットで戦うための戦闘訓練に『ギガク』に関する予備知識の学習、『ギガク』と戦う前に準備が山ほどあるのデス。時間がありまセン」

だから。

「アナタに、乗ってもらうしかないのデス」

 そう言って、ドクダメさんは、俺に地球の命運を預けた。

「ご家族にも既に説明している。君が学業を疎かにしないという条件で、ご理解いただけた。地球を守りきった後の生活を考慮されたのだろう」

「家族って……」

 今は顔も思い出せない両親。俺に兄弟はいるのだろうか? 分からない。何も覚えてない。

 というか、学業をお疎かにしない、っていう条件だけで息子をぽんと預けるとか、どうなってるんだよ俺の親は!

「では、君にはこれを渡しておこう」

 ドクダメさんが先ほど松井博士に渡した書類を、今度は松井博士が俺に渡す。

「君の入学書類だ」

「入学書類?」

「ああ。明日から、君は高校生として日常生活を送ってもらう。それ以外はほとんどの時間を対『ギガク』の訓練に時間を割いてもらうことになるだろう」

 俺は松井博士の話を聞きながら、書類を確認する。そこで俺は一番知りたかった、自分が何者なのかをようやく知ることが出来た。

 書類には、こうあった。

 高校一年生。男子生徒。誕生日は一一月二六日。

 名前は、佐々木 千尋(ささき ちひろ)。

「佐々木、千尋」

 口に出してみる。佐々木千尋。俺の名前だ。

 だが、どうもその名前がなじまない。記憶喪失とは、そういうものなのだろうか?

『お願い』

 ドクダメさんはしゃがみこみ、書類を持っている俺の両手をつかんだ。

 ドクダメさんの指が、熱い。ドクダメさんの触れた手が、指が、俺の両手を溶かしてしまいそうだ。

 俺の思考も溶かされていく。さっきまでロボットで戦うことに否定的だったのに、今はドクダメさんのために、この人のために戦わなければならないという使命感に駆られていた。これが、惚れた弱みというやつなのだろうか?

 触れられた俺の皮膚が熱を持っている。違う。内側だ。俺が、俺自身がドクダメさんに触られたことによって、熱を持っているのだ。

 ドクダメさんの顔が近くにある。それを認識し、俺の鼓動がさらに高鳴った。

 俺の両手は、もう書類を持っていなかった。ドクダメさんが俺の両手を握りこんだ時に落としたのだ。

 でも、そんなこと気にならない。俺の両目は、ドクダメさんの宝石のような瞳に釘付けになっていた。

『ワタシのために、戦って』

 こうして俺は、地球を守るためにロボットに乗って戦うことを決意した。


 そして、三年の月日が流れた。

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