平成ゲーム小説集

松本周

第1話 ドラゴンクエストIV(前篇)

 その昔、日本中の子供たちがゲームをやっていた。

 任天堂の家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータ、そして全世界でメガヒットとなる伝説のゲーム「スーパーマリオブラザーズ」が発売してからというもの、その出生や成り立ちを問わず、ほとんど全ての少年たちがこの遊びの虜になった。1988年、エニックス社によるロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト3」の発売時には、このゲームを買い求める人々が店頭に長蛇の行列を成し、劣悪で作り込みが甘く異常に高難易度な全く売れないソフト(いわゆるクソゲー)との抱き合わせ商法、そして買いあぶれた少年たちによるこのソフトの窃盗騒ぎ(いわゆる「ドラクエ狩り」)などが社会問題となった。当時漫画家として絶頂にあった鳥山明のデザインによるこのゲームのパッケージを観ると、今でも僕の身の内に、冒険へのあこがれの感情と共に、あの時子供ながらに感じたただならぬ緊張感が思い起こされる。光あるところに必ず闇が存在するように、熱狂はその字義通り大いなる狂気もまた含む。ある物が時代の空気を身に纏う時、それは決して爽やかで穏やかに吹く風ではなく、必ず倫理を超えたいかがわしい匂いを伴う。テレビゲームを巡る歴史は黄金を巡る歴史に似ている。つまりほとんど先天的に、その発見時から現在に至るまで、日常を侵犯するほどの殺伐とした暴力性を孕んでいたのである。

 この、ファミリーコンピュータによるテレビを使ったゲームという遊びは、省略して「ファミコン」と、あるいはただ単に「ゲーム」と呼ばれたが、それは今思えば奇妙なことだった。この世界には、古くから育まれてきたトランプや将棋やバックギャモンやすごろくなど多種多様なゲームの歴史があったが、僕たちがただ単に「ゲーム」と言う時、それは間違いなくテレビゲームの事を指した。単なるカテゴリーの新参に過ぎなかったものが、いつの間にか一般名詞を乗っ取って衆目の一致するところとなったのである。テレビゲームは少なくとも僕が確認した1988年以来、この意味ではこの世のあらゆるゲームの中で最大の権勢を誇っている。「ゲーム」は魔術的であり、蠱惑的であり、ありとあらゆる努力を費やしてでも手に入れ、全ての時間を注ぎ込んで没頭するに然るべきものだった。

 僕は7歳だった。

 そしてファミコンを持っていなかった。

 この端的な事実の証言は、当時の我が家において、僕が両親に対し自らにファミコンを買い与えることを懇願し続け、両親がそれを拒み続けるという、この上なくありふれた物語がいかにうんざりするほど日々展開されていたか、を意味する。両親もうんざりしていただろうが、僕も心底からうんざりしていた。何故こうまで説明しても父と母には事の重大さを一向に理解してもらえないのだろう。僕はジョークの要素などひとかけらも無く、魂の底から本気でファミコンを求めているのに何故それが伝わらないのだろう。僕は人生において重要な多くの事をゲームから学んだが、それを手に入れる以前から既に重大な学びがあったということになる。つまり、「人生には時として本気で願っても手に入れられないものがある」。

 ゲームを求める欲望は、他のどの種類の欲望とも質が違っている。食欲とも性欲とももちろん全く違う。一刻も早く続きを知りたい漫画の連載を追いかける気持ちに近いと言えば近いが、その気持ちが「乾き」ならば、ゲームを求める気持ちはほとんど「怒り」に近かった。優れた漫画家の紡ぐ物語が少年にとって天啓であるとするなら、それは「少年ジャンプの回し読み」という形でやがて全ての少年に分け隔てなく与えられるものだった。しかしゲームは違う。単に紙の束を回してもらえば済むものではなく、まずそれ相応の設備を自宅に整えなくてはならない。教会を建築するようにファミコンを買ってテレビと接続し、聖書たるソフトを購入してハードにセットし、そこでようやく自らが司祭となってゲームプレイという神聖なミサを執り行うことができる。つまり体験状況が限られ、少年ジャンプよりもはるかに希少性もコストも高いうえに所有者の独占性が強いコンテンツであるために、座して待っていても決して与えられることは無いのだ。そして漫画との決定的な違いは、ゲームとは次の天啓が降って来るのを待つものではなく、既に全回答がショーケースの向こう側に陳列されているものだということだ。最終回に向かって果てしなく続いていく漫画と異なり、ゲームは発売の瞬間既に完成している。近所のおもちゃ屋で買えもしないゲームソフトのパッケージを睨み続ける僕の執着心は、約束の地が目の前にあるというのに分厚いガラス壁で隔てられて近付くことができない熱心な信者の心境にそっくりだった。

 思い起こすと、今となっては両親の判断は完全に正しかったと思える。要するにまだ僕に自制心と名のつくものはほとんど育っておらず、そのような幼子にゲームを与えることは、60年代のヒッピーにヘロインを与えるようなもので、あっという間に退廃に飲み込まれ、これから世間の豊饒な多様性の荒波をかき分けて生きて行かなければならない僕の人生を考えた時に、あまりにリスキーな選択だった。両親は僕が本気でゲームを求めているのを理解しなかったのではない。理解していたからこそ「こいつに今ゲームを与えるのはヤバい」と遠ざけたのだ。

 しかしもちろん当時の僕にとっては退廃も世間もどうでもいい。恥も外聞も無い。とにかくゲームをやることを諦めきれなかった。

 それでどうしたか。

 もちろん、既にゲームを持っている者の家に行ったのだった。

 僕はその当時、同級生上級生、同性異性を問わずありとあらゆる友達の家に行ったが、その目的は全てファミコンをやりに行くことだった。友達は全員ファミコンを持っていたが、それは僕がファミコンを持っている者としか友達になろうとしなかったための当然の帰結である。ただひたすらゲームをやるということ、それ以外には何も無く、家の様子もそこで食べたお菓子も会話も友達の顔も名前もほとんど覚えていないが、プレイさせてもらったゲームの事は全て覚えている。スーパーマリオブラザーズに始まり、アーバンチャンピオン、グーニーズ、燃えろ! プロ野球、スパルタンX、グラディウス、ロックマン、高橋名人の冒険島、等々。全てが夢と冒険と欲望に満ちた素晴らしいゲームだった。あの、ゲーム開始2秒で死ねるクソゲーと名高い「トランスフォーマー コンボイの謎」ですら僕にとっては聖書の一篇のように神々しかった。

 ある時、全ての友達が同時に同じゲームをやり始めた。

 それがドラゴンクエスト3だった。

 ドラクエ3、それは奇妙なゲームだった。僕の目にはそう見えた。

 まず、動きが妙にゆったりしている。キャラクターは誰一人飛び跳ねたり走ったりしない。蹴ったり殴ったりもしない。荘重な音楽に合わせて小さなキャラたちが野原をてくてくと歩いていくと、突然画面が真っ暗になり、鳥山明の手に成る、ポップで、まさに動き出した瞬間を切り取ったような絵のモンスターたちが現れる。カーソルで文字を選択すると、画面が明滅し、テキストの羅列と共に数字が現れ、何度かそれを繰り返すと敵が消え、また小さなキャラたちは平原をてくてくと歩いていく。その繰り返しだった。

 僕はそこで何が起きているのか、その繰り返しが何のために行われているのか、よく分からなかった。

 僕は友達がドラクエ3をプレイする画面を見て、何らかの魅力を感じとったわけではない。むしろ、これの何が面白いのだろうと思った。派手なアクションも無い。火の玉さえ登場しない。盛り上がりも盛り下がりもしない。どこをどう楽しめばいいのだろう。僕は途中からあまりテレビ画面を見ていなかった。代わりに、このゲームをプレイする友達の顔を見ていた。

 その顔も奇妙だった。彼らがドラクエ3をやりながら見せる表情は、他のどのゲームをプレイする時とも違っていた。極度の興奮も無く、苛立ちも喜びも無い。ただ、何かうっすらとしたにやにや笑いが、彼らの顔全体を覆っている。彼らは明らかにゲーム内世界にトリップしており、まるでゲーム自体に操られるかのようにコントローラーを握りしめてボタンを押し続けていた。これまでの他のどんなゲームよりも夢中になっている彼らの集中力が、僕にもありありと伝わって来る。そしてそれは途切れることなくどこまでも続いていく。それが何故なのか、プレイしていない僕だけが分からない。謎だ。そんなゲームはそれまで見たことがなかった。だから僕はむしろこのゲームに惹かれたというよりは、訝しみ、捉えどころが分からずにもやもやとしていた。初めて人間の赤ん坊を目の当たりにした猫のように。

 そのようなもやもやした感情を抱き続けたのは、他のゲームと違って、僕が全くドラクエ3を遊ばせてもらえなかったからだった。それまでの大体のゲームは、待っていれば友達からプレイのチャンスを与えられた。当時のゲームは対戦型か、あるいは一人用であっても数回のトライチャンス中にゲームをクリアすることが求められる「ライフ制」を採用したアクションゲームが多く、「死んだらプレイ交代」が少年たちの間で絶対の不文律となっていたからだ。僕は毎日、友達の死を今か今かと待ちわびながら、自分にプレイチャンスが回って来る順番待ちをしていたわけだ。しかしドラクエ3はそのルールをやすやすと破壊した。ドラクエ3には原則的に終わりがなかったのだ。一回の友達の家の訪問時間内ではほとんどゲームが進まない。キャラが死んでも王様のところに戻されるだけで、プレイは延々続いていく。しかもどうやらドラクエ3には「成長」というシステムがあり、すなわち死のうが進もうがそれまでの成長は全て、そのゲームをプレイし続けてきたものの所有物だった。やすやすと受け渡せるものではなく、また中途半端に数十分受け継いだところで何の意味も面白みも無い。物語の始まりから、まとまった時間、しかも継続してプレイしなければ成立しないゲームだった。


 ドラクエ3をプレイする友達の下には常に何人も少年たちが集まっていた。そして彼らはカンダタがどうだとか黄金の爪がどうだとか、訳の分からない情報を交換し合い、スクルトだのベギラマだの謎の呪文を呟きながらきゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでいる。全員ドラクエ3を持っているのだ。僕だけがその話題についていくことができない。そんな状況が、友達の家にいてプレイを眺めている間はもちろん、学校の休み時間でも永遠に続いていく。僕は何かの罰を受けているような気分だった。

 そして鳥山明デザインの恐ろしくクールなゲームパッケージから受ける印象だけが、僕の中でどんどん肥大化して行った。ゲームができない僕に出来ることは想像しかなかったのだ。途轍もなく物凄いことが僕の知らないところで起こっているという妄想から、僕は逃れることができなかった。そしてドラクエ3をやりたいという気持ちが心底からあふれて抑えることができなかった。ゲームそのものを求める気持ちと、こうまで友達を引き付けるこのゲームの謎を解き明かしたい、という感情の両方が僕の中で一日中煮えたぎっていて、僕はひたすらへたくそな絵でスライムやドラキーといったモンスターの絵を教科書やノートの片隅に模写し続けた。

 つまりこのころ、僕にとってドラクエ3の魔力はゲーム内よりもむしろゲーム外でその効果を発揮していたのである。

 僕はなんとかしてドラクエ3をプレイできる方法を探したが、とにかくファミコン本体を所持していないということが致命的だった。ゲームをクリアして僕にソフトを貸してくれようとする寛大な友達がいても、僕の家にはファミコンという「教会」が無いのである。そこで僕は悪魔のささやきに身を委ねることになった。本屋で売り切れた「週刊少年ジャンプ」の代わりに止むを得ず「週刊少年チャンピオン」を買うような妥協、すなわち、ドラゴンクエスト3の代わりにドラゴンクエスト1をやりに行ったのである。

 近所に住んでいた従兄がファミコンを持っていて、ドラクエがあるから遊びに来い、やらせてやるよ、と僕を誘った。僕はまんまとその罠に引っ掛かった。案内された部屋でゲームを起動してみれば、それが僕が求めていた3ではなく1だということは一目瞭然だった。当然僕は従兄にそのように指摘した、これドラクエ3じゃないよ、と。

「ドラクエだよ。いいからやっていいよ」

 従兄はそう言った。僕は止むを得ずプレイさせてもらうことにしたが、残念ながらこれは、当時の僕の基準によれば完全なクソゲーだった。

 まず主人公がずっとこっちを向いている。右に行っても左に行っても上に行っても一生正面を向いている。当時日本中の小学生から突っ込まれた、かの有名なカニ歩きである。そして僕はそもそも、ゲームが始まった最初の王様の部屋から出ることができなかった。どう足掻いても玉座の間の扉が開かないのである。従兄は僕が如何にアホで無力であるかさんざん罵倒し、結局最後まで部屋から出る方法を教えてくれなかった。しかも僕からコントローラを奪い取った従兄は、自分がこのゲームをプレイしている間、すぎやまこういち作曲の美麗な音楽に合わせて、従兄が作詞した「ナガイさんの歌」という謎の歌を僕に永遠に歌わせる、という今考えても全ての意味がまるで分からない試練を課し、僕は従兄とドラゴンクエスト1の事が心底嫌いになった。そしてドラクエ3がもう発売しているのにまだ1をやっている従兄は日本一バカだと思った。

 そうしてドラゴンクエスト3を全くプレイできないまま1990年になった。




 1990年。それはドラゴンクエスト4が発売された年だった。

 既に僕は8歳であり、間もなく9歳になろうとしていた。

 少年ジャンプやファミコン通信(通称「ファミ通」)で伝えられるドラクエ4の開発進行の状況は、僕の血を3を遥かに超えて滾らせていた。それは無論僕に限った話ではない。

「ドラゴンクエスト4 導かれし者たち」

 このタイトルを見るだけで、今でも僕の全身に震えが走る。ある種の音楽がイントロダクションだけでその時代の空気を身に纏った記憶を呼び起こすように、僕の少年時代の記憶はゲームに結びついている。


 ドラクエ4は傑作だと思いますか?


 ▶はい

  いいえ


 この選択肢が与えられたとしたら、発売の遥か以前から日本中のゲーム少年全員が間違いなく「はい」を選択した。よく考えれば不思議なことだ。ドラクエ3という偉大なベースメントがあるとは言え、当然だがまだ完成してもいないこのゲームを体験したことがある者は誰もいなかったのだ。それなのにそこには、疑問を差し挟む余地すらなかった。ドラクエ4は最初から絶対的な預言としてそこにあった。

 この時代は広告やPRによって大衆をほぼ完全にコントロールすることができた最後の時代であろうし、ゲームという文化自体に有無を言わさぬ魔法が掛かっていた時期ではあった。しかしそれでも、おそらく我々に確信をもたらした最大の根拠は、やはり鳥山明であっただろう。当時週刊少年ジャンプで連載中の「ドラゴンボール」がサイヤ人篇に突入する前後あたりから人造人間篇の中盤辺りまでの鳥山明は、当時の少年たちにとって神にも等しい存在であり、その絵には呪術的としか言いようのない抗いがたい魅力があった。ライアン、アリーナ、クリフト、ブライ、トルネコ、マーニャ、ミネア、そして主人公の勇者ら、ドラクエ4の登場人物たちの公式イラストが公開されると、その名前と顔を僕は一瞬で脳に焼き付けた。僕は心に誓っていた。ドラゴンクエスト4だけは、何としてもプレイする。準備は整っているのだ。今の成長した僕ならば、たとえ目の前にどんな扉があったとしても、メニューを開いて「とびら」のコマンドを選択して前に進むことができるだろう。

 雑誌上では毎週のようにドラクエ4の特集記事が組まれていたが、その情報はまるで異常にフィルターの分厚いドリップコーヒーのように、何かの嫌がらせではないかと思うほど少量ずつ絞り出されて僕らの前に提示された。今作では城の扉が開く動きがアニメーションになったとか、オープニングではドラクエのロゴが派手に現れるとか、今冷静に考えれば恐ろしくどうでもいい情報が、極めて小出しに、そして極めて大仰に示される。それがまるで世界の命運を握る秘蹟の一端であるかのようにだ。ドラクエに限らず大作ゲームは全てそうだった。「完成まで、開発進行状況は50%!」とかいう数字が毎週示されるのだが、その数字は苔がむすほどの遅々とした速度でしか上昇して行かない。今思えばそれはどう考えてもゲーム雑誌記者が適当に書いた数字に決まっていたが(「エニックスさん、今週の開発状況は大体60%ってとこでいいっすか」「いや、別に先週と状況変わってないんで」「そうですか、じゃあまあ50%ぐらいにしときます」)、僕はこの情報を心の底から信じ込み、宇宙からやって来るメッセージの交信状況を見守る科学者のように今か今かと完成を待ち続けていた。そうすれば、やがて自らの目の前に立ちはだかる決定的な障害さえも乗り越えることができると信じて。

 だがそれは欺瞞だった。僕は、自分がドラクエ4に到達する前に超えなければならない致命的な問題を身の内に抱えており、それは時が解決する類いのものでは決して無かった。ドラクエ4の発売を待つ日々、実は僕は現実から目を背け続けていたのだ。発売が幾ら近づこうと、僕がそれに備えてどれほど妄想という名のイメージトレーニングを繰り返そうと、実は根本的な問題が未だに解決していなかった。

 僕はこの期に及んでまだファミコン本体を手に入れていなかったのだ。

 日本国の法律により労働が禁じられている小学2年生たる僕は、自ら金銭を稼いでゲームを買うことが叶わない存在であり、結局のところ両親を説得することだけが唯一の道だったが、いまだにそれに成功していなかった。両親は僕の話に聞く耳を一切持たず、ゲームを害悪であると信じ込んだままだった。こんなものを僕に与えれば、学業を始め僕の人生形成に致命的な悪影響を与えるに決まっている、と。どうして親というのはいつも分からず屋で、そして常に正しいのだろうか。もちろん、ゲームが僕に与える好影響などあるわけがない。幼い僕にも本能的に分かっていた。論理が成立していない時に相手を納得させるための手段は、アピールか威嚇の二つに一つである。僕なりに努力はした。それも最大限の努力を。クジャクが大きく羽を広げるように、ゴリラが激しくドラミングするように、僕はひたすら学業に励んだのである。両親が僕の本業がそれにあると認識している以上、そこで有無を言わさぬ成果を上げるしかない。その結果、今となっては考えられないことだが、その頃僕の学校での成績はずば抜けていた。小学校にいる間じゅう、僕はほとんど学年トップの成績を修め続けていた。徹底的に予習と復習を繰り返し、常に半年先の課程まで先んじて学んでいたために、誰もまともに勉強などしない田舎の公立の小学校では圧倒的で、無敵と言ってもいいほどだった。とは言えそれは頭の良さとはほとんど全く関係ない。確かに努力はしたが、僕の勉強の仕方はまるでゲームの攻略本をプレイ前に予め熟読してから臨むようなもので、あるいはレベルを上限いっぱいまで上げてからボスキャラとの戦闘に挑むようなもので、そこまでやれば誰がどうコントローラーを操作しても勝利は初めから決定づけられていた。小学生レベルであればそのやり方は完璧に機能する。多くの同級生が僕(の成績)に一目置いていたはずだが、それが両親にファミコンを買ってもらうというたった一つの理由のためとは誰一人知らなかった。僕はテストが行われたり学期が終わって通信簿が付けられるたびに、大将首を取った荒くれ者が戦の後に殿様に対して褒美をせびるように、両親に対して成果を突きつけつつ代価としてファミコンを要求した。しかし両親はなかなか折れなかった。本やボードゲームや野球用具といったそれほど熱心に求めた覚えが無いものは買ってもらえても、ファミコンだけは決して買ってもらえなかった。必死の努力を繰り返す息子が不憫だったのか、その拒絶は次第ににべもなく撥ねつけるというよりは、暴れ馬を必死でなだめるような感じになっていったが、結果が変わるわけではない。僕はその度に失望したが、プロサッカー選手が来る日のビッグクラブへの移籍を心待ちにしてひたすら練習に励むように、再び勉学の日々に戻って行った。

 僕は昔から我慢強く諦めが悪かったが、それは結果であって本質的な性格ではない。要は、単純に視野が狭く柔軟性を欠いていただけだ。完全に事故を起こすまで軌道修正が効かない異常にステアリング性能の悪い車のようなものだった。一旦一つの物に執着し始めると、それ以外のものが目に入らなくなってしまう。何カ月だろうと何年だろうと待ち続ける。それが手に入るまでとにかく待ち、そして手に入れてからも、それが完全に壊れてしまうまで愛用し続ける。相手と気持ちが全く通い合わないのであれば僕とて諦めるしかないが、幸か不幸かファミコンは無言で、あらゆる者を受け入れる存在だった。ファミコンは誰も選ばない。僕たちが選ぶのだ。その点でもファミコンは神に似ていた。神は沈黙していて、救われるのは僕たちである。




 結局、ファミコンを手に入れることができないままドラゴンクエスト4の発売日がやってきた。電車が線路を走って行く光景だけを映したほとんど意味不明なテレビCMが放映され、再び店頭に長蛇の行列ができ、再びクソゲーとの抱き合わせ販売が行われ、日本中の少年のもとに310万本のドラクエ4が届けられた。

 僕の家を除いて。

 僕の心は荒涼としていた。虚しく、冷たい冬の風が吹きすさんでいた。これほど願い、努力しても叶わないのならば、僕は一体どうすればいいのだろうか。僕は実力行使に訴えることを考えないでもなかった。つまり、窮乏した国家においてあらゆる外交努力が無為になればその国が戦争を起こすように、僕は家出ないし両親の財布から金銭を抜き取る、などの過激な手段に及んでみてはどうかと考えた。しかしどちらも何の意味も無い行為だということは考えを進めてみればすぐに分かった。家出したところで別のファミコンのある家の養子になれるわけでもなければ、同情した両親がファミコンを買い与えてくれるわけでもない。むしろ両親が恐れている僕のファミコンに対する過剰な情熱が際立ち、僕はそれからますます遠ざけられるだけだろう。そして後者は論外だった。一時的に金を盗んでファミコンを買ったところで、プレイする場所が無い。そのファミコンを自宅のリビングのテレビにつないでドラクエ4をやることなどできるわけがないのだ。どちらもかえって事態が悪化するばかりなのは明白だと、僕には理屈以前に直感で理解できていた。僕は結局幼いころから過剰な道を往ききれず、どこまで行っても妙に冷静なところがあったのだった。

 とは言え事態は深刻だった。僕は学校に行くのさえ嫌になっていた。学校に行けば、既にドラクエ4を手に入れプレイしている友達の話を聞くことになる。今回はモンスターが仲間になるとかAI戦闘がどうとかはぐれメタルがどうとかいう話を聞かされるのは心底我慢がならなかった。苛立ちを抑えきれずに、正気を失うまでは行かなくとも、世界の不条理に絶望して早退くらいの事はするかもしれない、僕と言えども。

 結局どうすることもできず、僕は耳をふさいで生きることになった。あらゆる友人から遠ざかり、そして、自分に言い聞かせることになった。「ドラゴンクエスト4はこの世界には存在しない」、と。それはかなり難しいミッションだった。何故ならゲームの発売後も、週刊少年ジャンプでは毎週のようにドラゴンクエスト4の新情報が煌びやかに伝えられていたからだ。他の何を遠ざけられても、ジャンプを毎週読むことだけはどうしても避けられなかった。当時、小学生がナメック星におけるドラゴンボールを巡る戦いから目を背けることは絶対に不可能だったからである。然らばその度に誌面の片隅にドラクエ4の影はちらつき続ける。世界の果てに生える巨大な世界樹の威容や、メタルキングなる過剰な経験値を持つレアモンスターの存在がまことしやかに囁かれるのを、自分に無関係な出来事だと言い聞かせるのは、文字通り自らを欺く身を切られるような行為だった。

 やがてある種の諦念が僕の全身を覆っていった。自分のあらゆる努力は、今までも、これからも、何の意味も成さないものであるのだろうと。どう足掻いても叶わない願いであるならば、僕はこうしてドラクエ4をプレイすることができないまま生涯を終えるのであろうと。僕の人生はそうしたさびしくむなしいものであり、フィールドに横たわったただのしかばねのようにわざわざ調べても何の反応もない空虚なものであるのだろうと。大げさだろうか? しかし少年とは大げさなものなのである。あらゆることに真剣で全力で、冒険に飢え、成長に飢え、妄想によってそれらを更に強大なものに育て上げる。僕や彼らにとって、本当にドラゴンクエスト4が面白いゲームなのかどうかは本質的にはどうでもよい。要は己の欲望を叩きつけられる器であるかどうかだ。一旦目標に定められた以上、器の形に添って欲望が形作られるため、代替は他の器では不可能になる、それだけのことだった。そのような認識に基づいて大人は欲望をコントロールする。ある欲求は別の容易な欲求を消化するうちに誤魔化しやり過ごすことができる、と分かっている。しかし僕はこの時、これ以上ないほど子供だった。器の事も欲求のことも、己の事は何一つ理解できずに自分の身の内から発する炎に耐えられず焼きつくされていたのだ。



 

 ドラクエ4をやる機会は唐突に訪れた。それは全く、自分にとって予期せぬ瞬間だった。その瞬間には認識できなかったが、僕の人生においてはそうしたことがこの後も幾度となく繰り返されることになる。奇跡はいつも、さりげなく、いきなり訪れる。そう、僕は正式な形で、「ゲームの教え その1」としてこう記そう。


 ゲームの教え その1

 奇跡は諦めかけた時に起こる。


 その時、ドラゴンクエスト4の発売から既に2か月以上が経ち、僕は小学3年生になっていた。僕の神経は終りの無い断片的で継続的な情報の渦に切り刻まれて摩耗し、あらゆるゲームは欲望の対象というよりは叶わなかった悲しく遠い夢の思い出となっていた。僕は最早ファミコンをやりに友達の家に行くことさえ少なくなっていた。行くとしてもドラクエ4を持っていない友達の家にしか行かなかった。そうでなければ自分の届かなかった夢を突きつけられて無駄に傷口をえぐられるだけだったからである。僕という人間は基本的に、何の目的もなく、単に習慣化してしまった学校の勉強の予習と復習を繰り返し続けるだけの存在となっていた。

 その日僕は学校から帰ってきて、ただいまを言いながら靴を脱ぐと、2階の自分の部屋にランドセルを置いてから、リビングに降りてきた。母親も姉妹も、家族は誰もいなかった。代わりにテレビの前のテーブルの上にファミコンとドラゴンクエスト4があった。

 僕の全身の動きが固まった。

 たぶん僕はその瞬間、えっ、とか、あっ、とか言った。

 ドラクエ4だ。

 見間違いようが無い。テーブルの上にファミコンがある。赤と白のマシンに黒いカートリッジが突き立ち、僕とテレビのそれぞれに向かって正面を向いていた。その隣には、不敵に笑う勇者とドラゴンが描かれたあのパッケージが置かれている。それはドラゴンクエスト4のパッケージだ。

 数秒遅れて全身に鳥肌が立った。

 ドラゴンクエスト4だ。

 僕の手は自然とテレビのリモコンに伸びていて、電源スイッチを押した。ブラウン管がぼんやりと光り、やがて砂嵐が現れた。チャンネルは初めからチャンネル2になっていた。それを確認した瞬間、僕はファミコンの電源をオンにした。

 黒い画面にアルファベットの塊が6つ順々に現れ、一瞬の空白の後、画面に現れた「IV」のロゴが、ファンファーレと共に光にあふれた。高らかに天から舞い降りるサウンドの絶頂と同時に、「DRAGON QUEST IV」のタイトルが完成し、雲海の向こうに聳える城が僕の目の前に現れた。

 僕は無表情で、思考はほとんど停止していた。

 僕が思ったことはただ一つ、これは間違いなくドラゴンクエスト4だということだけだった。オープニングが終わり、真っ黒いメニュー画面の選択肢でカーソルが点滅するのをぼんやり眺めながら、やがて僕はコントローラーを手に取った。

 

 ▶ぼうけんをする

  ひょうじそくどをかえる

  ぼうけんのしょをつくる

  ぼうけんのしょをうつす

  ぼうけんのしょをけす

 

「ぼうけんをする」を選択すると、「ぼうけんのしょ 1:としあき」という文字列が現れた。それは進行状況が保存されたゲームデータのタイトルで、主人公の名を意味する。「としあき」とは、もちろん僕の名前ではないし、その他心当たりも全く無い名だった。父の名前でもなく、親戚の名前でもなく、僕が知っている友達の中にもその名は見覚えが無かった。漫画やアニメでもそんな名前のキャラは記憶にない。だが名前など何でもいい。僕の本名も別にどうということはない名だ。今、僕の身に何が起きているのか全く分からないが、ひょっとしたら1分後に父か母が帰って来てこのファミコンは一瞬のうちに取り上げられ、全ては再び夢の中に消えてしまうかもしれないのだ。迷っている暇はない。「としあき」で構わないから今すぐこのゲームを開始する。僕はAボタンを押してそのぼうけんのしょを選択した。画面が暗転した。

 

 第五章 導かれし者たち


 金の装飾に縁取られた青地の上にその章題が現れた。

 第五章?

 誰かが途中までこのドラゴンクエスト4をプレイしており、ちょうど四章をクリアしたところまで進めているのだった。一瞬、このままゲームを進めて良いものか考えたが、僕がプレイする分には不都合はないと即座に判断した。ドラゴンクエスト4は全五章構成になっているが、章が変わるごとに操作キャラもストーリーも完全に切り替わり、その度にレベル1からのスタートとなることを僕は既に知っていた。CIAの局員が行ったこともない中東の情勢を熟知しているように、僕はこれまであらゆる場所でドラクエ4の情報を仕入れて来たのだからその程度の知識は当然のものだった。むしろ四章までを誰かが先に進めておいてくれたわけで、クリアまで大幅に近付いた地点からスタートすることになるのをありがたいと思うべきだった。四章までをすっ飛ばすことでストーリーの筋がさっぱり分からなくなるのではないかという恐れは全く無かった。これから何分、何時間このゲームをプレイできるか分からないのだから話の筋など今はどうでもいいし、大体真っ正直に最初からプレイしたところできっと、物語の何がどう展開しているか、僕の頭でまともに理解できるわけがないのだ。重要なのはモンスターと戦い、レベルを上げて、より強い武器をそうびして、ボスを倒し、また次の場所へ向かって行くという、大いなる循環に身を委ねることだけだ。

 僕はコントローラを握り、画面に集中した。のどかな村で優しい村人たちや幼なじみととしあきが穏やかに暮らしていたところ、突如魔物の軍勢が押し寄せ、村人たちはとしあきをかばって皆殺しにされてしまうという、後年発達したゲームグラフィック表現でまともに描写を試みればR18指定となってもおかしくない凄まじい大殺戮のオープニングを経て、としあきはただ一人荒野を歩きだした。どうやらかなりひどいことが起きた、という認識くらいは僕にもあっただろうが、初めて敵モンスター「スライム」との戦闘画面になった瞬間、僕の意識はほぼ完全にそれを忘れて戦いに切り替わった。

 僕はちくちくと「たたかう」のコマンドを選択し、全編舞い踊るように急速に展開する戦闘BGMとそれに重なるサウンドエフェクトに身を委ねた。打撃がぶつかる音、殴られる音、戦闘が終了したことを示す効果音、そして、経験値が蓄積されてとしあきがレベルアップする時のファンファーレに。僕はほぼ何も考えていなかったし、何も感じていなかった。ただ音楽のリズムに合わせてボタンを押すだけで、その音楽が良いものなのか悪いものなのかも分からなかった。無論、今となればドラゴンクエスト4におけるすぎやまこういちの劇伴の異常な完成度の高さは理解できる。それはドラクエシリーズ全体でも頂点と言える出来栄えであり、振り返ってみれば、僕はこのサウンド群から生涯潜在意識に刷り込まれるほどの影響を受けていた。この時の僕に、まだそれを理解する余裕はない。しかし、ゲームであろうと漫画であろうと小説であろうと映画であろうと、優れた作品に共通するのは優れた音楽的なリズムであるという僕の認識はここから始まったのだ。優れた音楽は僕にコントローラーのボタンを押させる。良いゲームには必ず良いゲームBGMが伴う、その法則はこのドラクエ4はもちろんのこと、スーパーマリオブラザーズ以来脈々と受け継がれる日本テレビゲーム界の誇るべき伝統だった。

 僕はボタンを押し続けた。僕は限りなく無表情で、同時に限りなく薄く笑っていた。

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