4月22日の落花(3)
「君のことが好きなんだ」
顔を真っ赤にしながら、私の前に立った彼はそう言った。
様子が変だとは思っていたが、まさか、そんなことを考えていたなんて。
あまりに急なことで、どう反応していいものか、対応に困ってしまう。
「……」
私と彼の間には、何とも表現しようのない、微妙な空気が漂っている。
私は、彼のことをどう思っているのだろうか。
いや、そんなこと、考えるまでもない。
私が考えていたのは、彼がどんな私を望んでいるのか、ということだけだった。
その答えは、今まさに、彼の口からはっきりと告げられたのだ。
ならば、その望みに応えてあげるのがいいはずだ。
それで私たちは今まで通り。
彼は望みを叶えるし、私は彼の望む私になることができる。
何も問題はないはずだ。
それなのに、どうしてか、「はい」の一言が口から出てこない。
その言葉は、今の私が言っていいことなのだろうか。
彼は、今の私に、それを望んでいるのだろうか。
そもそも、好きとは、いったいどんな感情なんだろうか。
今まで通り、相手の望む私になることはできたはずだった。
それでも、どうしてか今日の私には
そんな私になることがどこか躊躇(ためら)われた。
「私は……ね」
私は何を言おうとしているのだろう。
「私ね……」
その言葉を言ってしまったら、もう、彼が望む私ではいられないかもしれない。
「……」
それでも、彼だけには。
一瞬でも、わずかの間だけでも
私と同じような人だろうと思った彼だからこそ
私は”本当”を告げることにした。
「好きって、なんだろうね」
「……え?」
「好きってことはさ、西村くんは、私のことを想ってくれているってことだよね」
それはきっと、明確に自分のことを理解しているからこそ芽生える気持ちなんだ。
だから、今の私にはわからない。
「うん。そうだよ。どうしようもないんだ。
中原さんのことを想うと、こう、胸が熱くなって
想いを伝えずにはいられなくなるんだ」
「そう……なんだ」
それはきっと苦しいことなのかもしれない。
胸が熱くなるほどの想いは
いったいどれだけ刺激的なんだろうか。
想いを伝えずにはいられないなんて、それはどれだけの力が働いているんだろうか。
「私には、よく、わからないな。
好きとか、恋とか。
強烈なほどの想いとか。
そんな、人のことを一気に変えてしまうようなもの
私には、わからないよ」
どうしようもなく悲しいんだ。
目の前の、一生懸命想いを伝えようとしてくれている彼に
自分は応えてあげることができない。
こんなにも、私は私を欲しているというのに
未だ、私には、私がどういう人間なのか
その問いに応えてくれる声は聞こえない。
「そう……なんだ」
ああ。目の前で、一緒に頑張ってきた彼が落ちていくのが見える。
精一杯の想いを伝えてくれたのに、それに応えることができないなんて。
なんてひどいことをしたのだろうか。
どうして「はい」の一言が言えなかったのだろうか。
そんな、罪悪感に苛(さいな)まれる私に向かって
彼はこう告げた。
「じゃあ、少し時間をくれる?」
「時間?」
「うん。だっておれもわかるんだ。
今、中原さんはどんな思いでその言葉を口にしているのか。
どれだけ何かを欲しているのか。
だから、時間が欲しい。
それで、一緒に考えたいんだ。
一緒に探したいんだ。
中原さんが迷っていること。
探しているもの。
それはきっと、おれも探していたもののような気がするから」
そう、なのだろうか。
このなんとも言えない想いは、彼に伝わっているのだろうか。
気付けば、彼も私も、目から大粒の涙がこぼれていた。
ああ。これほどまでに、私たちは何かを欲しているんだ。
その何かがわからないのに、目の前の彼はわかっているのに。
それなのに、私のために、一緒に探してくれるなんて。
「……見つからないかもしれないよ」
確証なんてどこにもない。
「大丈夫。探し物は得意だから」
「結局断るかもしれないよ」
約束することなんてできないから。
「大丈夫。そのときは、もう一回最初からやり直すから」
「なにそれ。全然わかんないよ」
溜まっていたものが、身体からはがれていくような気がした。
彼は、優しく、大切なものを扱うように
私の手を、そっと握ってくれた。
「大丈夫。おれだって全然わかんないから」
「なにそれ」
温かい。人の手は、こんなにも温かいものだったのか。
繋がった手を通して、彼の想いが伝わってくるような気がした。
この心地よさ。温かさ。優しさ。
もしかしたら、これが恋の形なのかもしれない。
つながった先の、彼のことを想って涙が止まらない。
私が探しているものは、この人が教えてくれるのかもしれない。
この人がもっているのかもしれない。
だからこそ、私は……
「よろしく、おねがいします……」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
目からこぼれる涙が止まるまで
私は彼とのつなぎ目である、彼の手を、ずっと握りしめていた。
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