夕暮れ街の写真屋さん

@sakurasky

第1話 夕暮れ街の写真屋さん

 暗闇と静寂が街を包み込む。立ち並ぶ住宅を横目に歩みを早める。まっすぐ行って二つ目の信号を右に曲がる。

 家に着くまであと少しだった。普段と同じように、まっすぐ道を進んで、一つ目の信号に着いた時、見慣れない建物が視界に入った。こんな建物あっただろうか。昨日までは何もなかった空き地だと思っていたのに、いつの間にか建物が建っている。それとも最初から、存在していたのだろうか。

 あたたかい灯りを照らすその建物に、興味をそそられて、思わずそちらへ歩き出していた。少しくらいの寄り道だ。前を通りかかるくらい、大丈夫だろう。

 気づけば、その建物の正面に着いていた。一見住宅にも見えるその建物は、小さな写真屋だった。


「あなたにとって大切な一枚が見つかります。

夕暮れ街の写真屋さん」


 お店の方は、まだ空いているらしい。営業中の札がかかっている。少し寄るくらいなら、そんな思いでドアノブに手を伸ばした。


「こんばんは」


 無表情で黒髪の若い男性と、優しく、人懐っこそうな笑みを浮かべた茶髪の若い女性が立っていた。男性の店員の性格を表すように、面倒くさそうでぶっきらぼうな声だった。


「ちょっと、お客さんに、その態度はないでしょ」

「でも、もう夜だし、店閉めようかと思ってたのに」

「もう、そんなこと言ってるからダメなのよ」

「あ、すいません。もう、店を閉める時間でしたか。入ってきちゃって、すみません」

「大丈夫ですよ。まだ、営業中だし、必要だから入ってこれたんですよ」


  彼女の言葉の意味がわからない。


「普段は、入れないんですか?」

「そうですね、まず、お店を見つけられないんですよね、必要じゃないと」

「はあ」

「そんな説明だとわけわからないだろ。面倒くさい。だからなるべく人を」

「そんなことしたら、お店を開いた意味がないじゃない」


 ここにいてもいいかわからず、帰ろうと背を向けようといた時だった。


「今から、お茶淹れますね。ここで出会ったのも何かの縁です。せっかくだから、ゆっくりしていってください」


  帰ろうとしたことを遮るように、女性に声を掛けられた。


「あ、すみません。ありがとうございます」

「そこの椅子に座っていてください。ほら、案内」

「はぁ、こちらへどうぞ」

 

 面倒くさそうな男性の案内で、席に着く。


「ハーブティーなんですけど、飲めますか。夜なのでカフェインがない方がいいかなと。でも、紅茶もコーヒーも、緑茶もあるので、違うのがよければ、遠慮せずに言ってくださいね」

「あ、ハーブティーで大丈夫です。ありがとうございます」


 改めて、周りを見回すと、そこには、温かみ溢れる木々で作られた家具が並んでいた。白を基調にして統一感のある室内。暖色系の差し色が、部屋に温かみを感じさせる理由かもな、そんなことを考えながら、座っていた。


「どうぞ、カモミールティーです。リラックス効果があるので疲れが取れるかも」

「そうなんですね、いただきます」

「どうぞ、お口に合うといいんですが」


 りんごのような香りが広がる。少し独特な味だ。好き嫌いが分かれるかもしれないが、嫌いじゃない。俺には、飲みやすかった。


「大丈夫ですか」

「大丈夫です、飲みやすいですよ」

「よかった。少しお疲れのようだったので、リラックスできたらと思ったんですけど、余計なお世話だったかなと」

「そうだったんですか、お気遣いありがとうございます」

「いえ、お仕事帰りですよね。遅くまで、お疲れ様です」

「ありがとうございます」


 あたたかい笑顔に、見ている方まであたたかくなった。ハーブティーのおかげだろうか、疲れた心に染み渡る。


「疲れているのは、仕事だけか」


 そう男性がつぶやいた。

 

「え」

「いや、なんでもない、気にするな」


「そういえば、ここ写真屋さん、なんですよね。写真撮るんですか?」

「あ、写真も撮れるんですけど、あなたの場合ちがうかな」

「え」

「そういえば、お名前聞いてなかったです。すみません、教えてもらってもいいですか」

「あ、山本です」

「山本さんですね。分かりました」


 そう言って、男性の方を見た。


「山本さん、写真好きですか?たくさんあるんで、よかったら記念に見ていってください」

「ありがとうございます。じゃあ、少し」


「お兄ちゃん、持ってきて」

「え、兄弟なんですか」

「実は、そうなんです」

「兄弟でお店なんて素敵ですね」

「うーん、どうなんでしょうね」

「四六時中、うるさいやつと一緒にいる気持ちがわかるか」

「お兄ちゃんが面倒くさがりやで、接客できないくせに。一人だとすぐに潰れちゃうんだから」

「はいはい、いてくれて助かってます。ありがとうございます」

「もう、棒読み」

「いいですね、なんか、仲良くて。大切にされた方がいいですよ。いなくなった時、後悔しますよ」

「そうですね、こうやって言い合えるのお兄ちゃんだからこそかもしれません」

「急に素直になるなよ、気持ち悪い」

「お兄ちゃん、今言われたことわかってんの。後悔しても、遅いんだからね」

「…分かってる」


  陰りを帯びた声が気になった。


「これ、写真だ。たいした写真じゃないけど、良かったら」

「あ、ありがとうございます」


 優しい赤のようなピンクからオレンジのグラデーションが綺麗な空。

 眠そうな子猫の写真。

 夜空に浮かぶ大輪の花火。

 他にも、まだまだありそうだ。


 …これは。


 青色のグラデーションが綺麗な海。水の透明さが美しい。波の音が聞こえてきそうなくらいリアルだ。実物のよう写真に思わず引き込まれた。


 3年前、この海を見た。妻との新婚旅行だった。修学旅行は、京都と奈良しか行ったことがないから、新婚旅行は沖縄がいいと笑う彼女。国内旅行でいいのかと尋ねる私。二人で話し合った末、沖縄に決まった。これからもっとお金がかかるだろうし、国内でもいいところはたくさんあるよ、その一言が決め手だった。

 沖縄の海は澄んでいて、とても綺麗で、遠くから眺めているだけでも、十分だねと笑いあって。でもせっかくだから、波の音を聞きたいよね。夜の海なんかロマンチックじゃない?泳げた方がいいから、昼間の海の方がいいだろ、そんな他愛もない話をしたんだっけ。



チャプ、チャプ。

ザザ、ザブーン。

ザバーン。


 そうだ、あの時もこんな波の音が…


「なにボーとしてるの?飽きちゃった?」

「え」


 懐かしい、優しい声がした。


「海、こんなに綺麗じゃない。もう少し、見ていかない?」


 優しい陽だまりのように笑う彼女。



 どういうことだ。俺は、さっきまで、写真屋にいたはずなのに。


 目の前には、さっき写真で見た海が広がっている。


 写真に取り込まれた?

まさか、そんなはずは…

それよりも、なんで彼女が…


「ごめん、今日何日だっけ?」

「もう、どうしちゃったの?今日は、10月2日だよ」

「そっか、ありがとう」


 新婚旅行で沖縄に行った日だ。

どういうことだ。時間が戻っている?まさか、そんなはずは。これは、夢なのか?


「え、っちょっとどうしたの?なんで、泣いてるの?海に感動した?」

「そうかも」


 嘘だ。君に会えたから。そんなことは言えなかった。

何度拭ってもこぼれ落ちる涙は止まらない。情けない。でも、こんなの反則だ。



「待っててば」

「あっちがいい」

「こっち空いてね?」


  行き交う人々のざわめきの中、泣いている俺に、あわてる彼女。


「ごめん、本当に大丈夫だから」

「本当に大丈夫?」

「うん、少し涙もろくなってるのかな?海が綺麗で、一緒に来れて良かったなって。君と来れて本当に良かった」

「どうしたの?いつもは、恥ずかしがって、そんなこと言わないのに。あ、新婚旅行だから?」

「そうかもしれない。だけど今、言っておかないと後悔すると思うんだ。言わなくて後悔するよりも、言ったほうがいいと思って」

「変なの。でも、嬉しいな。ありがとう」


 照れるように笑う彼女。花が咲くような笑顔。愛おしくて、このまま時が止まればいいと思った。何よりも、彼女に会いたかった。彼女の優しい笑顔が好きだった。その笑顔を見られることが当たり前に思っていた。でも、この世に当たり前の日々が続くことなんてありえないんだよな。

 

 「大切にされた方がいいですよ。いなくなった時、後悔しますよ」


 自分で、言った言葉が跳ね返る。今までもっと、伝えておくべきだった。君が一緒にいてくれるだけで、俺はとても幸せだったと。


 妻の凛花は、新婚旅行の二年後、癌が見つかる。一年の闘病生活を終えて、この世からいなくなってしまう。 現実の俺は、彼女がいなくなったことを受け止めきれずに、暗い毎日を過ごしている。夢かもしれない今、何か変えたとしても、未来は、きっと変わらない。現実では彼女がいない日々が続くのだろう。それでも、やり直したい後悔が積もり積もって、今、君に会えているのだとしたら、伝えたい。


「君に出会えてよかったと本当に思うんだ。俺は、君のことが大好きだよ。今もこれから先も、ずっと大切だと思ってる。」


 出会わなければ、こんな痛みに泣くことはなかったし、彼女を失う辛さを知らなくても済んだ。彼女がいないという現実に絶望しなくてもよかった。でも、同時に思うんだ。どんなに傷ついて苦しんで、落ち込むことがあっても、俺は君と出会えて本当に幸せだった。君と過ごしてきた日々は、かけがえのない宝物で、いつも心の中にあって、ずっと俺を支えてくれている。


「私も、あなたのことをこれから先も、大切に思ってる。大好きです。あなたに出会えてよかった」


 優しい笑顔で、彼女が微笑んだ。



「そうだ、せっかくだから、沖縄の海をバックに写真撮ろうよ。カメラある?」

「あるよ。これでいい?」

「うん、大丈夫。あ、すみません。カメラ、お願いしてもいいですか?」

「大丈夫ですよ。じゃあ、撮りますね」

 カシャッ




  気づけば、沖縄の海から、元の写真屋さんに戻っていた。


「夢だったのかな、現実だったのかな。でも、優しい夢を見ました」

「良かったな」

「え、いいの?」

「三年前の妻との新婚旅行の夢です。実は、三年前の新婚旅行、些細なことで喧嘩したんです。理由も覚えてないくらいだから、多分、どうでもいいことだと思うんです。でも、最後の旅行だったんです。もっと、写真とか、楽しい思い出、作りたかったなってずっと後悔していたんです」

「そうだったんですね」

「でも、夢だったかもしれないですが、妻に想いを伝えることができてよかった」

 無表情な青年が少し微笑んだ気がした。



「この写真、持って帰れば」

「え、この写真」

 

 そこには、沖縄の海で笑いあっている俺と凛花が映っていた。

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