第一章

物憂げな少女

「エマお嬢様!いつまで寝ているのですか?」

「・・・」

「今日は私と城下のドレスショップで衣装合わせでございます。夕方にカイル王子が評議会からお戻りになられますのでお時間はございません!さあ、準備なさってくださいま・・・せ!」

「・・・」


 此処は花の都と謳われる西洋一の芸術国ソニア、王族であるホールズワースの城である。時刻は朝八時。朝食に現れなかった私を起こしに来たのは使用人であるミシェル。結構容赦ない人で、カイル様から「傷つけなければ基本的には何をしてもいい」と言われているらしい。今もなかなかベッドから顔を出さない私の布団を強引に剥ぎ取った。


「おっ・・・お嬢様!準備できているではありませんか!それならその姿のままベッドに入るのはおやめください!洋服が皺になってしまいます!」

「・・・ええ」

「・・・どうなさったのですか?新しいドレスを一着新調してもいいと御后様からのお言葉を戴いてからずっと元気がないように見えるのですが?」

「・・・気づいているなら、ほっといて」

「そうはいきません!もしかして、マリッジブルーですか?婚姻は来年ですよ?」

「・・・」

「心配なさらなくても、エマお嬢様には生涯愛してくださる王子様がおいでです。お聞きになられたでしょう?カイル王子は十年前からあなたをお慕いしていたと!それに、もう今は礼儀作法を厳しくする時代ではございませんし、あなたの経歴も嘲笑われる時代ではございません。町娘も王族になれる時代はあなたがここに来られるずっと前から来ていたのです。十年前のパーティでフィンガーボウルの水を飲んだことももう来客者の記憶には残っておりません」

「記憶に残っている人がいるじゃない・・・今ここに」

「今忘れました」

「そう・・・」

「と、に、か、く!馬車の用意はもうできております。あとはお嬢様が乗るだけですので!は、や、く!」

「わかってるわ、よ!もう!ミシェル嫌いになる!」

「嫌いで結構でございます!お戻りになられたらまた好きになっていただきますゆえ!」

「好きになんかならないわよ!もう!」

「お嬢様朝食は召し上がってないでしょう?ドレスショップの近所に新しいサンドイッチのお店が出来たそうですのでそちらに行きましょう!」

「え」

「はい、行きますよ!」


 エマ=ホールズワース、先月の誕生日で十九歳。元はストリートチルドレンだった私が、今はソニア国王の一人息子、カイル様の婚約者。九歳の時に死にかけていた私を助けてくれた魔族がマジックで私に大量のコインを出してくれた。そのお金で裕福な町娘になりきり、ホールズワースのパーティに紛れ込んだ。元は資産家たちとの懇親パーティだっただけにマナーを知らなかった私は、ある人に食事を勧められ、その勢いでそばにあったフィンガーボウルの水を飲んでしまった。その行為によりあっという間に浮いてしまった私。恥ずかしくて帰ろうとしたところをカイル様の目に留まり、気にいられた。早い話が結果オーライというもの。

 私には目的があったのだ。別に王族の女になって玉の輿になりたかったわけではない。私にコインを出してくれたあのマジシャンの魔族に、もう一度会いたかった、ただそれだけだった。言ってしまえば私の初恋の人なのだ。あの人に会うために綺麗になろうとした。「綺麗になったね」って言ってほしくて、着飾ったり髪を整えたり、痩せて骨ばっていた身体も少しだけ丸くした。そして、国中の情報が入るここならば、マジシャンの魔族というそうそういないであろう人の特定も容易だと踏んだのだ。

 そして最初は国王の養子としてホールズワースの一味となった。ここまではよかった。まさか沢山いるカイル様の妃候補の中から私が選ばれるなんて夢にも思わなかった。あの懇親パーティは当時十六歳だったカイル様の未来の婚姻相手との見合いパーティも兼ねられており、前述のとおり来賓者は皆資産家や他国の王族だ。当然お見合い相手も資産家や王族の娘ばかりだったから、しかも最初に失態をやらかした私がそんなキラキラした女性の中から選ばれるなんて普通なら想像もつかない。その女の人たちも、最初はこのお城に数年住んでいたらしいが、カイル様にあっという間に追い出されたらしい・・・私は全く知らなかった。


 そして今日ミシェルと一緒にドレスを合わせに行くのも、一週間後に控えた婚約発表パーティの為だ。・・・このことを国中の人に知られてしまったら、私はもうあの人を見つけたとしても会えなくなってしまう。私が候補の中から選ばれることが想像もつかなかったとはいえ、これを最悪の状態だと認識していなかった考えの浅さに我ながら呆れてしまう。この生活を捨てて逃げてしまえばいいのではと何度も・・・もっと言うと昨日も考え付いたのだが、そう簡単にはいかないということを右腕の生々しい何かの痕が物語っている。・・・その物語る痕とは何なのか・・・今晩にでもわかる。


 憂鬱な気持ちを抱えた私とは裏腹に使用人のミシェルはとても楽しそうだ。この人は私がホールズワース家の養子になった日、いわば今から10年前に新人メイドとして入った人。そのころから手際の良さから使用人長に気にいられ、2年目で既にカイル様のお世話役を任されていたのだとか・・・。だから、彼女は逃げ出したい願望を抱く私にとっては敵にあたるけれど、それを無しにしたら「大切なお坊ちゃまの奥様になる方」な私をカイル様同様に大事にしてくれるから・・・悪い人ではないのだけれど、あの人を見つけた時にいつか彼女を振り切らなくてはならないと考えると、必要以上に仲よくは出来ない。


「カイル王子は青がお好みですが、青いドレスはもう数着お持ちですので、たまには違う色のドレスを着たお嬢様が見たいと・・・そう仰っておりました。何色がいいですか?」

「じ、じゃあ・・・赤」

「あぁ、赤はいけません。赤もカイル王子はお好きですが、ドレスで着るのはタブーでございます。誘惑の色ですからね」

「ゆ、誘惑?」

「特に魔族は強くそそられる色だそうですよ」

「魔族・・・」


 あの人もこういうドレスが好きなのだろうか。私がこれを着たら・・・もしも来賓者の中にあの人が紛れていたら・・・攫ってくださるかしら。


「ミシェル。私、これ着たい」

「いけません。私の首が飛びます」

「お願い。2回も衣装替えするんでしょう?なら出入り口を閉め切る1回目の衣装替えの時に着ればいいじゃない」

「それは・・・そうですが」

「ね、お願い。それにカイル様も赤が好きなら是非着たいわ」

「・・・それではそれをお嬢様の口からカイル王子に伝えてくださいね。私が伝えると首が飛びますので」


「物理的に」と付け足して渋々赤いドレスの購入を決めてくれた。異様に胸が高鳴るのを感じる。頭の中はあの人の事でいっぱいだ。ただの妄想に過ぎないとわかっていながらも、もしかしたら、会いに来てくれるのではというゼロに近い希望を捨てきれない。パーティの前日に届くように城に送ってくれと、ミシェルが店主に注文し、私たちは店を後にした。


「思ったより早く終わりましたし、アイスクリームでもいかがですか?」

「・・・遠慮しておくわ」

「では、お嬢様の大好きなザッハトルテでも」

「・・・それもいい」

「お嬢様・・・まだ憂鬱ですか?」

「そもそも・・・どうして町娘の私が王子の妃に選ばれるの?」

「それは・・・カイル王子があなたをお慕いしているからです」

「カイル様の妃になるべき人はいっぱいいたわ!海の向こうのジギタリスのお姫様とか、世界で初めてペガサスの繁殖に成功させたエキウムの牧場の娘さんとか!」

「確かに昔は世間体を気にした婚姻が常識でした。でも今は違います。朝も言いましたが、そんな時代は終わったのです。カイル王子は自分に正直なお方です。ですから、あの方ほど政略結婚が出来ない方はいません。御心配せずとも、あの方は本当に心の底からお嬢様を愛しておいでです・・・それだけは私の口からも言えます」

「でも私、あの人がわからないわ・・・だって・・・あの人は」

「・・・そこから先は仰ってはいけません。ここは外です。誰が聞いているかわかりませんからね。今お嬢様が憂鬱なように、きっとカイル王子もどうしたらいいのかわからない時期なのです。初婚の男性の戸惑いに年齢も地位も関係ありませんから・・・。ですから、今だけ耐えてくださいとしか・・・私には言えません」

「・・・」

「さあ、やっぱりアイスを召し上がってから帰りましょう!すぐ近くのアイス屋さんとっても美味しいんですよ!おススメはストロベリーとピスタチオでございます」

「じゃあ、ストロベリーで」

「承知いたしました、買って参りますのでこちらでお待ちくださいませ」

「・・・えぇ」


 ミシェルが小さくなっていく。私はその後ろ姿をぼうっと眺めながら、深いため息を吐いた。それにしても、カイル様が前より変わられたことをミシェルは気付いていたのね。あの言い方だとミシェルもカイル様の変貌ぶりに戸惑っているように感じられる。・・・っていうことは、元から二面性のある人ではなかったことになる。・・・いや、でも人なんてわからないね。ロボットじゃないんだから、生まれて死ぬまで同じ性格で居続ける人なんてそうはいない。ってわかっているんだけど・・・あまりに変わりすぎて今のカイル様は正直怖い。元からカイル様と一緒になる予想も心の準備も出来ていなかった私にとって、今の生活は苦痛とも言えた。


「・・・はぁ」と更に深い溜息が出る。


「あれー?何か嫌なことでもあったの?」

「っ!?誰っ!?・・・んぐっ!!んー!」


 突然後ろから口を塞がれた。咄嗟にミシェルの名前を呼ぼうとしたが、背後から別の人の手がナイフを私の目の前にちらつかせた。叫んだら殺すという意味だろうか・・・そのまま口を塞いでいた人の指が私の口の中に侵入し、かき回しながら、もう片方の手で私の上半身を抱きかかえ近くの茂みまで連れて行かれた。


 茂みに入り込むと、通路のようなものがあった。彼等はそこをまるで自分で作った道と言わんばかりに軽々と通り抜ける。そういえば前に聞いたことがある・・・連続強姦失踪事件の話。その事件の犯人だけが知る秘密の通路があると・・・それがここだというの?もっと路地裏のような道を想像していただけに、こんな人通りの多い広場に堂々とあることに驚いた。


「ふぅ。やっぱり連れが女だと拉致るのも簡単だな」

「まぁあの女が離れなくても力ずくでいけたがな」

「まったくだ」

「なぁ、こいつ絶対淫乱だぜ!俺の指咥えながらずっとエロい声出してやがった!」

「あぁ、聞いてた聞いてた!・・・へぇ・・・結構可愛いじゃねぇの。控えめな身体も嫌いじゃねぇぜ?」

「んっ・・・!」

「おぉ。感度もいいじゃん・・・やべ、興奮してきた」


 三人の男が私を舐めるように見つめ、時折指で身体をつついてくる・・・気持ち悪い。


「お前ら、しっかり押さえとけよ」

「え、お前からかよ」

「決まってんだろ?昨日の賭けで勝ったしな。終わったらやらせてやるからよ」

「しょうがねぇな」

「なっ!や、やめて!いやっ!」

「あ、口も塞いでおけよ。こいつ声デカそうだし。それに・・・お前の太い指咥えるの好きみたいだしな」

「へへっ。そうだな」

「何・・・やだ!やめてっ!んぐっ・・・!」

「ほらほら、お嬢ちゃんの好きな指だよ。アレだと思ってしゃぶってごらんよ」

「お前のアレはジェリービーンズだろうが」

「んだとコラ!」

「っははははっ!!」


 下品に哂う男二人の手が再び私の口と腕の自由を奪う。振りほどこうとすると、さっきのナイフを首元にあてられた。こうやって脅して乱暴していたのね・・・なんて卑劣な奴ら!

 そしてもう一人の男の手が私の胸元を這い回る・・・いや・・・気持ち悪い・・・誰か助けて!


「ぐふっ!」


 ・・・。

 突然私の身体を触っていた男が、私から見て右に吹っ飛んだ。私を拘束していた男たちは唖然としていたがすぐに我に返り「おい、大丈夫か」と飛ばされた男を起こしに行った。自由になった私は助けてくれた人の姿を見ようと視線を上に移す。すると・・・人間じゃない。黒くしなやかにうねる髪、吸い込まれそうな赤い瞳、そして何より・・・既視感のある血色の悪い肌といつか見た初恋の人と同じ色、形をした角と翼・・・嘘でしょ。


「悪いな。ここは俺の縄張りなんだ。とっとと帰ってくんね?」


 手をぱっぱと払いながら、男たちをゴミを見るような目で見下す魔族のような人。


「っ!なんだテメェ!」

「聞こえなかったか?か、え、れ。って言ったの。言葉の意味わかる?おっちゃん」

「んだと!馬鹿にしやがって!」

「あぁわかんねぇか。お前らアソコがジェリービーンズのガキだもんな?そこのセントラルスクール、今授業中だぜ?脳みそ蓄えに行ってくれば?」

「こンの野郎・・・!」

「おい、待て!」

「あ!?」

「こいつ淫魔だぞ・・・俺達がナイフで刺しても怪我一つ負わねぇ化物だ!」

「だから何なんだよ!」

「俺達何人掛かっても意味ねぇってことだ!退くぞ!」

「あぁっ!お前らで勝手に逃げるんじゃねぇよホモ野郎」


 強姦魔たちは小物のような発言を残して去っていった。同時に・・・淫魔?と呼ばれた魔族の手から光が消えた。というより発光していたことに今気付いた。魔法でも使うつもりだったのだろうか・・・。

 やれやれ・・・と呟いてすぐ、淫魔がこっちを向いた。そしてこちらに向かって歩いてくる・・・え、なに?待ってちょっと・・・!


「ほれ、大丈夫か?」


 あ、そういうことね。私が腰を抜かして座り込んでいたから、手を差し伸べてくれたのね。優しい人。ありがとうございますと一言言いながら差し伸べてくれた左手を握り返して立てるように力を借りようとすると、一瞬彼の身体がビクンと跳ねた。


「え?」

「あぁ、いや・・・何でもねぇ」

「?そう、ですか?・・・助けていただいて、ありがとうございました」

「あ、あぁ・・・」


 こうして見ると・・・似ている。ものすごく似ている。この沈黙の心地良さ、手に触れたときに感じた何とも言えない心が跳ねる感じ。・・・聞いてみても、いいかな。


「あの・・・」

「な、何だよ。まだ何かあんのか?」

「あなた・・・十年前くらいにこの辺りでマジシャンとかしてませんでした?」

「っ!?」


 淫魔は目を見開いて私を見た。・・・何か知っているわね、その反応。でも、もし本人だったらこんなにそわそわすることないはずだけれど・・・親族か何かかしら。


「し、知らねぇな・・・人違いだろ」

「いいえ!今身体がビクッてなりました!・・・私の事、覚えていませんか?十年前にマジックで私の事救ってくださったでしょ?」

「知らねぇっての!」

「じゃあその方の親族とかでしょうか?とても似ているんです!あなたが!」

「だから!知らねぇって言ってんだろ!」

「キャッ!」


 折角立たせてもらったのに、冷たい石畳の上に押し倒され、組み敷かれた。顔を覗き込むと・・・彼の目は泳いでいる。


「い、いいか・・・二度は言わねぇぞ。次同じこと聞いたらここでお前を犯してやるからな」

「っ!」

「わかったらとっとと行け。今なら逃がしてやるから」

「・・・」

「・・・は、早くしろよ」

「・・・はい。助けていただいてありがとうございました」


 そう言って、踵を返した。確かにそうよね。私が十年前に知り合った魔族の方とは声も違うし、雰囲気も若い。冷静になってみればわかることなのに・・・完全に変な人って思われただろうなぁ・・・。


 はぁ・・・。と落ち込みに落ち込みが重なった重たい溜息が出た。茂みを出ると穴が空いていたが、そこを同じような色の葉っぱで隠した。いっそ強姦グループが出入りしているなら隠さずにいてやろうかとも思ったけれど、もともとはあの魔族の縄張りなのよね?彼に罪はないし、見なかったことにする。こうして私はミシェルの待つ広場に戻るのであった。


「お嬢様・・・」

「う・・・」


 ミシェルに「待っていてくれ」と言われた場所に戻ると、そこには空のアイスクリームの容器を握りしめてあくまでも笑顔で待っていたミシェルがいた。謎の恐怖を感じた私はとっさに嘘を吐く。


「ご、ごめんなさいミシェル・・・お手洗いを探していたら迷っちゃって」

「分からない地点で戻ってきてくだされば私がお供致しました。なぜ一人でそのまま探しに行かれたのです?」

「・・・ごめんなさい」

「まったく・・・心配したのですよ?罰としてストロベリーもピスタチオも私がいただきました。美味しかったです」

「お腹壊しても知らないよ・・・」

「溶けてしまわれたら勿体ないでしょう。それに、溶けさせたのはどなたでしたっけ?」

「う・・・私です」

「左様でございます。・・・しかし、何かあったわけではなくて安心いたしました。あまり心配はかけないでくださいね」

「ミシェル・・・ごめんなさい。ありがとう」

「わかってくださればいいのです。さぁ、そろそろ帰りましょう」

「えぇ」


 何かあった・・・か。強姦魔や淫魔の話をしたらもう外に出してくれなさそうだし黙っておこう。でも強姦魔の件は国民の皆様に被害が出たら大変だから、別の形でカイル様に報告しておくことにする。

 広場の外までミシェルに手を引かれると、ちょうどいいタイミングで馬車が来た。王族お抱えの御者さんだ。もちろん顔見知りで「いつもお疲れ様」と感謝を述べると笑顔で返してくれる優しいおじさん。しかし、おじさんは馬車の扉を一向に開けようとしてくれない。かわりに独りでに扉が開いた。そう、既に先客がいたのだ。そして中から開けた人は・・・。


「・・・カイル様」

「評議会が早くに終わった。一度城に戻ったらエマとミシェルはまだ帰っていないって言うから・・・たまには王子が直々に迎えに来るのもいいだろう?って・・・王子って自分で言うもんじゃないな・・・ははっ」

「まぁ!よかったですわね、エマお嬢様。ささ、王子様を待たせてはいけません。お乗りください」

「えっ!?ミシェルは?」

「私は夕食のお買い物をしてから戻ります。お嬢様たちは先にお戻りください」

「え、えぇ・・・」

「エマに着いていてくれてありがとうミシェル。褒美は使用人長に渡してあるから」

「まぁ!カイル王子のお気遣い、誠に嬉しゅうございます。それでは、お気をつけてお帰り下さいませ」

「あぁ。ミシェルも気を付けて帰ってくるんだよ」

「はい」


 そう言って、カイル様は馬車の扉を閉めた。窓から外を覗くとミシェルは笑顔で私たちに手を振る。私も振りかえしたけど・・・顔はきっと笑っていなかったのではないかしら。

 この外出時間を振り返るだけでどっと疲れが出てきた。着せ替え人形のようにドレスを何着も試着する羽目になり、強姦魔たちに襲われるし、淫魔に押し倒されるしで・・・なんて目まぐるしい一日。まぁ最後のは私のせいなのだけど。

 それにしても・・・私、あの淫魔に見惚れていたのではないか。腰を抜かした私に手を差し伸べてくれたあたりからずっと彼の目は泳いでいたけれど、もしあの目と私の目が合ってしまったら・・・犯されるどころでは済まないと、恐怖すら感じた。それでいて身体が熱くなっていくような・・・カイル様に素肌を見られながら抱かれる時には感じたことのない興奮を感じた・・・それが初めての事で、二重の恐怖となった。いや、恐怖なのかは今でもわからない。

 けれど、それらを振り返っているのも束の間、隣にいるカイル様が私の右手を握り、こちらに引き寄せる。突然すぎて思わず声が出てしまった。


「んっ」

「・・・帰りが遅くて心配したんだよ」

「ごめんなさい・・・でも!ミシェルがいたから!」

「彼女は確かにできるメイドだけど、体格の大きな男とかに襲われたら彼女でも勝てない。はぁ・・・評議会がこんなに早く終わるなら、僕が一緒に行きたかったよ」

「そ、それは・・・あっ!」

「・・・お前の事ばかり考えて、何かあったらどうしようって・・・気が気じゃなかったんだよ?だから・・・ねぇ、いいだろ?キスだけだから」

「んんっ・・・!」


 いいだろ?って聞いておきながら、嫌だと言ってもするんでしょう?いつだってそう・・・今だってほら。

 カイル様は私の話を聞いてくれない。いつも私の制止を押し切って自分のしたいことを押し付ける。決してそうじゃないんだろうけど、時々カイル様は私の事が好きなんじゃなくて、私なら自分の欲望を押し付けられるから選んだのではないかと思ってしまう日がある。もし私がカイル様を最初から好きだったらこんな変な思い込みはしないだろうし、寧ろ好きな人からこうやって求められるのは嬉しいに決まっている。けれど、それはあくまで私が昔あの人と出会っていなかったらの話。あの時の魔族に恋をした想いを上から塗りつぶされるかもしれない不安に煽られて、とてつもなく不愉快になる。私の中まで入ってこないでって・・・こんな事思いたいわけではないのに。

 カイル様の事は別に嫌いなわけではないのだ。紳士的で頭がよくて、色々なところに手が回るとても要領のいい人。ルックスだってとても美しい、花の都の王子に相応しい素敵な男性なのだ。けれど、言ってしまえば好きでもない。私の心は違う人のものだから。カイル様とは違い要領の悪い私は、一人の想い人と同じだけの愛情を別の人には注げない。


「エマ・・・愛してる」

「・・・」

「エマも僕を愛してる?」

「・・・」

「・・・エマ?寝ちゃったのかい?起きて、エマ」

「・・・ん」

「起きないと・・・っ!」

「ぐっ・・・あぁっ・・・」


 だから、毎晩どれだけ鳥籠の中で自由を奪われようと、揺さぶられようと、身体に愛情を刻まれようと・・・言うことを聞かないからと首を絞められようと・・・。


「けほっ・・・こほっ・・・!はぁっ・・・はぁっ・・・うぅ・・・」

「ねぇ、エマ・・・僕を愛してる?」

「うぅっ・・・くっ・・・」

「愛してるかって聞いてるんだ!・・・ねぇ、愛してないの?」

「あぁあっ・・・や、め・・・」

「愛していないなら・・・ここで君を・・・」

「あぁ・・・あ、い・・・し・・・て・・・る」

「・・・そう。嬉しいよ」

「っ!げほっ!ごほっ!・・・っ・・・ふーっ・・・ふーっ・・・」

「でも、足りないな・・・僕が君の愛で溶けて死んじゃうくらい・・・もっと言ってよ」

「・・・あい、して、る・・・あ、いし・・・て・・・る」

「ふふっ・・・僕も愛してる。首なんて絞めなくても、僕の愛だけで・・・君を殺せたらいいのに」


 その行為全てが、後に不快感となって残る他ないのだ・・・。

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