49 カウントダウン

 新フィールドでのレベル上げはまずまずの成果を収めた。トウヤはさっそく塔からダイビングし、チャージショットのタイミングを掴む練習を始めた。

「四階まで上がった途端にタイミング掴むのが難しくなった。」

 頭にコンブを引っかけたトウヤが岸壁に取りついてよじ登ってくる。それを見ながらアキラはゲラゲラと遠慮なく笑い転げていた。

「槍の裏ワザか、あれ? びっくりしたぜ、海底から突進で岸に駆け上がってくなんてよ。」

「正確には海底からじゃなくて、海中からだよ、トウヤ。空中以外はどっからでもOKな優れ技でね、これだから槍はたまりませんなー。」

 槍使いもまた、トウヤが選んだサポート職同様に人気のない職種だ。その為にバグに近しい裏技も調整される事無く豊富に存在していた。帰り道をショートカットするだけでなく、泳いで岸へ這い上がる際にも槍使いは時間の節約が出来るのだ。塔の中で突進のスキルを使うことは危険極まりなかったが。

 巧く階段を突進スキルで駆け下りて、二階からはそのままダイブする。水中で再びスキルを使えば、相当の時間が節約できた。スキルレベルも上がって一石二鳥だ。

「へーへー、それで俺の下手な泳ぎを高みの見物で笑い転げてたってワケか。」

「だって、どーやったらそんなモンくっ付けてこれるのー? ワカメだよ、ワカメ。ギャグか。」

 またぞろ笑いがぶり返し、晶が盛大に笑うとトウヤはむくれた顔をした。吐き捨てるように何か言ったが、聞こえなかった。改まり、トウヤは武器をインベントリへ仕舞い込んだ。

「そろそろ時間だし、今日はこれで切り上げるか。だけど、なんか俺だけ装備がグレードアップして、申し訳ねーなぁ。」

「うっさい、自慢か。」

 ニヤニヤ笑いが嫌味だ。

 トウヤには貰い物のぴったり系スウェットスーツがよく似合っていた。スリムボトムとパーカーは黒で金字の派手なブランドロゴが入っている。課金の衣装はパーカーを腰に巻く事も出来る仕様で、現在のトウヤの出で立ちはそうなっている。インナーの袖なし灰色シャツには細身ながらシャープな筋肉が浮き上がっていた。

「もうすぐ夏休みだなぁ、」

 青く輝く波を見つめてトウヤが呟いた。何気ない台詞に胸がきゅうと鳴った。


 夏休みが近付いてきた。晶の悩みも深刻さを増してきていた。

 最初は興味本位だけで、こんなに長く続けるつもりなどなかったのに。気付けばゲームにINする事が当たり前となり、どうにかして続ける方法を考えている始末だ。借り物のゲームはいずれ返さねばならない。

 智之の就活は順調に面接を幾つか取り付け、内定をもらうのもじきだろうと思えた。智之の話ではそんな風に感じられた。引きこもりに近い実態を持つ男だから、そんなに簡単には行かないだろうと踏んでいたのだ。面接の日時が決まったという報告を、いつも微妙な気分で聞いていた。素直に喜べないことを申し訳ないと思った。

 いつかは辞めねばならないと思っていた。それも、そう遠くない日に。智之に言って、アキラのキャラを改変して別の顔にしてもらって、それでおしまいにしようと思っていたのだ。辞められなくなったのは、誰のせいだろう。

 トウヤの知り合いの女性プレイヤーが現れた時、あの動揺が一つの契機になった。微かだった継続の思いは、あれから強まる一方だ。もう少しだけ、この世界に留まっていたい。

「ばっかみたい。何処の誰かも解かんない相手だってのに。」

 辞めればもう二度とトウヤというプレイヤーとは会えなくなるだろう。

 ログアウトの白い空間は否応なく一人の寂しさを煽り立てる。呟いた言葉はいつまでも耳に残り続けた。


「ただいまー、」

 いつものように智之が就活から帰って、晶は入れ違いで家へ帰る。ただいまと言ってみたところで、晶の母親は仕事で夜遅くまで空けているから誰の返事もありはしなかった。この後、一時間ほどで食事を作り身支度を終えて自室へ引き上げるのが晶の日課だ。母の分の食事は冷蔵庫で保存しておき、一人で夕食を済ませる。

 勉強している時に、珍しく母親が晶の部屋の戸をノックした。

「晶、ちょっといい?」

「ん、いいよ、なに? お母さん。」

 勉強机から椅子をくるりと回転させて、ドアの前に立つ母の方へと向き直った。母は何かを逡巡するようで、なかなか話題を切り出さない。晶は辛抱して待っていたが、じれったさに椅子の背が鳴った。

「晶、あなた、向こう隣りの櫻井さんの家へ出入りしてるって、本当なの? ご近所さんに聞いたんだけど、しょっちゅうお邪魔しているそうね?」

 余計な告げ口をする者が居たことを、晶はまず腹立たしく受け止めた。

「いったい、あそこの家で何をしているの? 年頃の女の子が、大学生の独り暮らしの部屋にそんなにしょっちゅう行くなんて、大丈夫なの?」

「お母さん、心配しないで。あの櫻井くんよ、別にやましい事なんて何もないよ。考え過ぎだよ。」

 母親を安心させるために、晶は努めて明るい口調を作った。

「えっとね、実は勉強とか教えてもらってるんだー。彼は出掛けてて、いつ帰るか解かんないから、待たせてもらってるの。やっぱ大学生に教えて貰うと違うんだよね。」

「そうなの? じゃあ、一度お礼に行かないといけないわね、お世話になってるんなら……、」

 母の沈んだ表情を見ると胸が痛んだ。生活が苦しく、晶を学習塾に通わせてやれるほどの余裕はないから、勉強と言われると強くは出られない。晶はそれを知っていたが、弱いところを突くつもりなどなかった。

 しまったという、後悔の念が湧き上がった。

「あ、あのさ、お母さん。櫻井くんね、こっちに来てあんまり知り合いとか居ないんだって。このアパートにも知り合いがぜんぜん居なかったから、あたしと友達になれて嬉しいって言ってくれたよ。」

 母の笑みは無理をして作ったものだった。


 どうして智之の提案を受け入れてしまったのだろう。後悔は別のルートを通り、あらゆる過去を辿っていった。智之の誘いを蹴ってアキラを消し去ってしまっていたなら、こんな苦しみも無かっただろうか。母を悲しませることも。それでもゲームを辞めてしまう決心は付かなかった。引くに引けない状況に落ちている。

 珍しくトウヤがメールをくれていた。贈り物が添付されていて、その中身は晶が欲しがっていた課金のワンピースだった。

『取引版でお値打ち価格の奴、見つけた。俺だけサブマスに服貰って申し訳ないから、おすそ分けな。(これでPK負けても出費が減らせるぜー)』

 引くに引けない。嬉しいはずなのに、涙が溢れてきた。


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