28 のうきょうぎゅうにゅう
修学旅行のシミュレートは、時間切れリタイアという結果に終わった。担任の教師にこってりと絞られ、ようやく冬夜のグループが解散して家路についたのは午後8時を回ってからだ。補習などに引っ掛かればこの時間になることはザラで、保護者は別段文句も言わない。受ける生徒はたまったものではなかったが。
学校にもバーチャル設備は整えられているが、学校施設内だけのリンクが基本で、外部のネットワークに接続した時にはコストの関係でお試し枠や政府が発行する特別枠を利用することになっていた。バーチャルネットは、リアル世界に設置された機材とネット世界に構築されたアプリケーションを繋ぐことで接続される。このアプリケーションは、『枠』と呼ばれるデータ割振りのスペース確保用ルーチンのことだ。
黎明期である。まだまだバーチャル世界にはソースの無駄が多く、無差別にリアル社会の人々を受け入れるだけの余剰もなかった。バーチャル世界に存在するための僅かなスペースを分割し、切り売りしたものが『枠』であり、年々拡張されてはいるがとても人類すべてに割り当てられるものではない。それ以前に、富の再分配もまだ十分と言えなかった。科学技術ほどには人間の生活様式は変化しなかった。
バスを降り、すっかり暗くなった通りを歩く。冬夜が住むのはドーム居住地(タウン)で、一年を通して快適な空間であるために季節の違いが解からない。カレンダーでは11月だ、学校近くのバス亭では木枯らしが吹いて吐く息が白かったものだが、タウンに入った今はすっかり解からなくなった。
街路樹が豊富で、道はモダンな石畳だ。オモチャのような家々が点々と並び、窓に暖色の明りが灯っている。明るく道を照らす街灯が闇を追い出し、お年寄りがゆっくりとウォーキングで近付きそのまま冬夜の横を通り過ぎていった。高級住宅地では常に高機能監視カメラが目を光らせている。犯罪者は近付きもしないものだ。夜といって危険など何もなかった。隔離された安全地帯だ。
スチールの脚立のように武骨なフォルムの、脚だけのロボットが前方を横切った。買い物に行くか、帰りかの補助マシンだ。隠遁生活のシルバー世代も多い街だから、補助マシンはよく見かける。携帯端末にある買い物のメモ欄をチェックするだけでその商品はストア内で用意され、このマシンによって宅配される仕組みになっている。金がモノを言う地域を代表するようなサービスだ。
ドームタウンは敷地を取る一軒家が多いが、通常一般家庭は集合住宅に住んでいる。都会の高層ビル群の中にポツポツと穴のように凹んで存在するために、タウンから見た夜空は奇妙な円形をしている。光の壁の中に、丸く、星空が貼り付けられたように見える。一極集中は極まり、人は都心だけに住んでいて、田舎の夜空はとても綺麗だそうだ。
玄関前に門戸がある。母が園芸でこしらえた花壇には花が溢れ、植木鉢のサボテンは水を滴らせて輝いていた。小さな小さな庭だ。それでも、一般に比べれば結構なぜいたく品だ。都会で広い庭を持てるほど、冬夜の家庭は裕福ではない。
「ただいまー、」
玄関の戸を潜った。
リクライニングには母が寝そべっていた。バーチャル接続機器を使っている様子だから、冬夜はそのままキッチンへ向かう。宅配事情が格段に良くなったために、ホテルやレストランなどのデリバリー産業が発展した。食事の為に結婚する男性は激減し、それに伴い専業主婦も死滅した。仕事を持たない婦人はセレブだけだ。冬夜の母は保険会社に勤めている。今日は休みなのだろう、時々すべての家事がボイコットされる日もある。今日はたまたまその日だったらしい。別に困りはしない。掃除はロボットが勝手にやるし、食事はデリバリーが豊富だ、金さえあれば何の不自由もない社会だ。
冬夜の母は、バーチャル世界のゲームに熱中できるものを見つけたらしかった。熱中といっても、リアルで仕事の忙しい母なので、片手間にやるのんびりペースのものだそうだが。なんでも『田舎暮らし』というタイトルで、農家ごっこをするゲームだそうだ。
冬夜はリクライニングに眠る母に、そっとタオルケットを掛けなおす。空調は上げておいた。眠っている身には少し肌寒いんじゃないかと思った。自身はカップ焼きそばの湯切りをしようとして、軽い火傷を負った。広い庭に、ニワトリが二羽、つがいだそうだ。なんの早口言葉なのだと思いつつ、聞いていた覚えがある。
晶から見れば充分ぜいたくな暮らしをしている冬夜だが、人の欲望に限度などはない。欲望と呼べるほどでもないほんのささやかな夢だ、「広い庭がほしい、」「縁側があって、」「のんびり暮らしたい。」人はどんどん理想から遠ざかっている。
トマトの収穫時期だそうだ。バーチャルな世界では、リアルそのままにどんな生活も現実を越えた理想の姿で体験できる。トマトは本来害虫に弱く、風雨にも弱く、病気にも弱い。シロウトが放ったらかしで作れる作物ではないが、バーチャルでは今年もたわわに、真っ赤に熟した粒ぞろいのトマトが畑に整列している。プレイヤーはただ種を撒くだけだ。勝手に雨が降り、陽が差し、芽が出て育って実がつく。リアルでは後進国の自然に近い環境で育ったものが持て囃された。
山羊を飼っている。山羊なのに牛の乳が出る。いや、農協牛乳が出てきて、消毒も必要なしに乳を搾ればそのまま飲める。容器に入れておけばチーズになっている。出鱈目な世界だが、大人気だ。リアルの酪農は海外資本の大規模農園が安い労働力で生産するものだった。
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