第三章 告白 一

第三章 告白



 水曜日の朝。

 俺はいつもよりも早く駅に着いて響子のことを待っていた。いつもより早く目が覚めてしまい、家にいても特にすることがないのでちょっとした気まぐれを起こしたというわけだ。

 屍喰鬼、吸血鬼、獣化能力者。

 超常の存在であるそいつ等が自分の通っている学校に紛れ込んでいて、挙げ句の果てに俺の命をねらっているというのだ。

 荒唐無稽な話と笑われても文句は言えないが、それが事実だということを俺自身が知っていた。学校だけじゃない。通勤通学で賑わうこの人混みの中に、あるいは物陰に、あるいは地下に、超常の存在は潜伏し、そして時として俺たちの命を奪っている。

「おはよー明。早いねー、今日は私の方が待つ番だと思ってたんだけど」

「ああ、おはよう響子」

 響子は、なんて言うかいつも通りだ。

「明、大丈夫? なんかものすごく難しい顔してたけど」

「ああ、色々あったけど、もう大丈夫だ」

「そっか。よかった」

 響子には気付かれない方がいいだろう。

 そもそも好奇心のために命を賭けるなんて馬鹿げたことの筈なのだ。それは俺も分かっている。日常なんて平穏であるならそれに越したことはない。自分から手を出さなければ、超常の側から命を狙われることもないだろう。


×××


 学校へと向かう途中の駅のホーム、ちょうど昨日『人身事故』の起こったあたりだ。やっぱり、どうしても思わず身構えてしまう。あれが事故なんかじゃないと知ってしまったなら尚のことだ。何気なく周囲を見渡した。幸い屍喰鬼の気配は感じないので、今日もあんな事が起こるなんて事はないだろうけど。

「……あ」

「どしたの、明?」

 俺は無言のまま、人混みの中のある一点を指さした。

 間違いない、彼女だ。

「お! 昨日の転入生じゃん。そうだよね?」

「だと思うけど」

 俺がそう応じた直後、響子は月城さんへ手を振った。

「おーい」

 そして人混みをかき分けて彼女の方へと歩いていく。俺も響子の後を追う。

「あなたたち昨日の?」

 月城さんは怪訝そうな声でそう言った。どうやら昨日、向こうの方から俺たちのことは見えていたらしい。

「おはよー、えーっと、月城さんで合ってるよね?」

 響子のこういう多少強引で馴れ馴れしさすらあるような態度は、人間関係を広げていく上では俺も見習わなきゃいけないのかもしれない。唐突に話しかけられたにも関わらず、月城さんは落ち着いた態度で応じた。

「ええ、そうよ」

「俺たちは隣のクラスの賀上明と」

「狗井響子だよ、よろしくね」

「こちらこそよろしくね、賀上さん、狗井さん」

 今の俺には月城さんと『友達』になる必要がある。そう言った意味ではこの場所で偶然彼女に会うことが出来たことと、響子が月城さんに話しかけてくれたことはとても幸運だった。

 ともかく、今日は俺と響子、そして月城さんの三人で学校へと向かうことになった。響子は楽しそうに月城さんと話している。厳密にいうなら響子が月城さんへと一方的に質問していて、月城さんがそれに応じているのだけど、そういうある意味一方的な会話を初対面の人間としても相手を不快にさせないというのは、響子の才能なのかもしれない。

「……そう言えば月城さんは聞いたことがある? 吸血鬼の噂」

 響子のその発言に、俺は思わず身構えた。

 響子にとっては何気ない質問だったのかもしれない。だけど、そのことを月城さんに聞くことは、ある意味ではあまりにもストレートすぎる。その意図がなかったとしても、まるでかまを掛けているかのような問いかけだった。

「吸血鬼、ですか?」

 響子の問いかけに対して、月城さんはいっさい顔色を変えることなく応じた。

「そう、吸血鬼。最近変な事件が起きてるっていう噂があってね。それが吸血鬼の仕業じゃないかって話」

「いいえ、特に聞いたことはないですわ。それに、結局は噂なんでしょ?」

「確かにそうなんだけどさ。でも、火のないところに煙は立たないっていうじゃん? きっと何かあるんだよ」

 何かある、か。確かにその通りだ。その何かは、煙の原因である火は、他ならぬ月城瞳自身なのだから。

「そうかもしれないわね。そういえば、吸血鬼とは少し違うけど、私も変わった噂を聞いたことがあるわ」

「ふーん、どんな話? ちょっと気になるな」

「大した話じゃないわよ。ただ、全身毛むくじゃらの人間、まるで狼男のような人物が人間を襲っているという話よ」

 なるほど、自然な形で情報収集、というわけか。突然吸血鬼だの何だのとかいった話題を上げるような人物なら、その手の噂について他に何か知っているかもしれない、という訳なんだろう。響子は腕を組み、何か考えるような素振りを見せた後答えた。

「うーん、私はその話し聞いたことないな。でも、なかなか面白そうだね。吸血鬼や狼男、そんなのが本当にいるとしたらさ、なんかワクワクしない?」


×××


 そんなこんなで学校に着いた。月城さんとは廊下で別れたので、今教室にいるのは俺と響子だけだ。時計はいつも俺たちが教室に着くよりも十分近く早い時間を指している。そりゃ他に誰もいないわけだ。

「それにしても響子、やっぱりすごいな」

「ん? 何が?」

 響子はとても自然に近くの机へと腰掛け、暇そうに足を振っている。行儀が悪いとかそんなことは、もはや今更なのでそのことに関して何か言うつもりはない。

「初対面みたいなのにあんなに会話できるなんて」

「そうでもないよ。でも変わった子だなっておもったよ、私は」

「月城さんが?」

「うん。まあ、何となくそう思っただけなんだけどね。そういえば、明はやっぱり月城さんみたいな女の子が好きなの?」

「な、何をいきなり」

 びっくりした。響子がこの手の話題を振ってくるとは。他に誰もいないとはいえ、とてつもなくド直球な上に様々な誤解を生みかねないような質問だ。

「何とかして仲良くなりたいって、明からそんな感じがしたんだよ」

 恐るべき響子の直感と言うべきか。

 ある意味では当たりだ。でも、それらの全てを響子に対して打ち明けるわけにはいかない。もしも響子が超常の存在について何か知ってしまえば、響子の身にも危険が降りかかる恐れがある。だからといって妙な誤解を生み出すのもよくないだろうけど。

「いや、俺は別に」

 その結果として、何となく誤魔化すように言葉を濁す返答しかできないのは、俺の会話能力のなさ故だ。

「私も月城さんとは友達になりたいと思うけどさ」

 誤解を恐れずに言うのであれば、俺は響子と『仲がいい』と思っているし、響子のことは『好き』だ。でもそれは、あくまでも友情的なものだ。

 ……と、思う。

 自分の人生をふと思い返してみると、どうにも俺は恋愛というものにことごとく縁のないままここに至っている。正直に言うなら恋愛的な意味における『好き』と友情的な意味合いにおける『好き』の間に一体どんな違いがあるのか俺にはよくわからない。まあ、そんなんだから未だに女子との距離の取り方がよくわからないのだが。いや、そもそも、俺にとっての女子の基準点が狗井響子という人物だという事に、何か根本的な問題があるのかもしれない。

「でも明、気をつけた方がいいよ」

「気をつけるって、何を?」

「月城さんのこと。あの子、何か隠してるような気がするんだ」

「珍しいな、響子がそういうこと言うのは。誰かのことを悪く言うなんて」

「いやいや、そんなつもりはないんだ。別に月城さんの悪口を言いたいわけじゃないんだよ。ただ、なんて言えばいいんだろう、どうしてもモヤモヤするんだよね。うーん、うまく言葉に出来ないな」

「隠してるも何も、俺たちは月城さんと初対面だろ? そんな相手に何もかも包み隠さずに打ち明けるなんてこと、しないと思うけど」

「まあ、確かにね。その通りだよ。明の言うとおり、誰にだって隠し事はあると思う。月城さんにだって、明にだって、私にだってもちろんある。自分のプライベートな部分を相手に対して知られたくないと思うのは当然だし、相手が隠しておきたいって思ってることをわざわざ詮索しようとは思わないし、ましてや、それを誰かに言って回るなんてことはしないよ」

「人としての常識ってやつだな」

「例えば、明が私の着替えてるところを見るために、偶然を装ってタイミング良く道場に入ってくることに気が付いていても、明の名誉の為にそんなことを誰かに言って回ったりは絶対にしないし」

「誤解しないでくれ響子、そんな事実は何処にもないぞ」

 唐突に話を蒸し返さないでください。あれはただの事故なんです。

 いや、それによって俺が何か嫌な思いをしたというわけじゃない、むしろ幸運だったとすら言えるのだから、あれは響子にとっての事故というのが正しいだろう。だからといって、断じて、故意ではないということを、強調しておきたい。

「だからたとえ話だよ。私だって本気でそんなこと思ってないって。でも私がそのことを学校中に言って回れば明の人生は大きく狂わせられるわけで」

「本当にごめんなさい。ただの偶然なんです」

「そんなことはともかく、……えーっと何の話だっけ?」

 俺の人生が大きく狂うことは『そんなこと』らしい。それと、脱線したあげく話の本筋を忘れないでください。

「誰にでも知られたくないような秘密の一つや二つあるって話」

「そうそう、そういう話。だから別に月城さんが何か隠してるってのは別に何か言うべきことでもないし、それ自体には何の不満も疑問もない」

「じゃあ何が問題なんだよ」

「これはあくまでも直感だし私の主観だから、明はぜんぜん気にしなくていいんだけどさ。月城さんの場合、全部なんだよ」

「全部?」

「まるで、自分のことを何一つ知ってほしくないみたいな、そんな気がするんだ。まるで別の誰かが自分の正体を隠すために『月城瞳』を演じているみたいな感じがするんだよ」

 俺だって月城さんの正体が吸血鬼だということ以外、彼女については何も知らない。だけど、響子の言葉があまりにも真実に近づきすぎているという事はわかる。

「まあ、私の考えすぎだろうね。さっきまでの話は全部なし! 忘れてくれていいよ。というか忘れて。私だって月城さんとは友達になりたいし。美少女転入生の謎に包まれた正体、とかさ。本当にこんな間近でマンガみたいなことが起こったらおもしろいんだろうけど」

 それは俺たちのすぐ近くで、現実として、それは起こっている。

 そして、響子には絶対に超常の存在と関わってほしくない。だからこそ俺は言った。

「普通は起らねーだろうよ。そんな出来事は」

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