寿司職人の腕

時雨尚未知

待ち望むもの

へぃ、お待ち!

威勢の良い掛け声と共に、カウンターを越えて、目の前に一貫の寿司が現れた。

なんとも言えない形状と厚み、整った寿司。

早速手掴みし、口に運ぶ。

「大将、本当にこれは、不思議な味がするね」

何、あっしの腕だから出せる味でさぁ。

成る程、独特な味は職人ならではか。

脳が味を刻む。

「大将、また変わった食感なのも不思議だ」

そりゃぁ、変わった事でもしなくちゃ、みんな一緒になっちまいます。

確かに、職人の腕は、素人には分からない動きをしているのだろう。

納得しながら咀嚼する。

「しかし大将、一日数限定、一人一貫なのは拘りかね」

量と言うものがありやして。

そういや、数が取れなかったり、脂が多くて体に悪いヤツも居るとの覚えがある。

身を思っての事だろう。

「皆も、大将のこれを求めに来るんだろうね」

期待には応えたいと、毎日考えてますよ。

応える心意気は、素人には想像も付かない程に熱いものだろう。

心と共に、深く頷く。


口を動かしながら、視線は自然にさっきまで寿司があった場所を見ていた。


ただねぇ。

そんな折りに耳に届いた、曇った言葉に顔を上げる。

そろそろ、これは止め時だと思ってるんですよ。

「そんな」

思わず否定の声が出た。が、

「大将がそう言うなら、しょうがないのかもね」

そう言い直した。

止めるか否かは、こちらが口を挟む事ではない。

ただ、不思議な味、変わった食感、限定感、それは魅惑だ。

魅惑の寿司が手に入らなくなるのは、正直言えば、とても淋しい。


ふと、視界に映る光景に違和感を覚えた。

「大将、なんだか」

と同時に、店に新たな客が入ってきた。

「腕が短くなってないかい?」

新たな客は席に着くなり、自分とは違う数限定の寿司を注文する。

大将は短く、へへっと笑うと、無意識に包帯を巻いた腕を擦り、少し足を引き摺り移動すると、新たな寿司を握り始めた。

暫く黙って眺めていたが、急に不快を感じて、手元の湯呑みへ、口に残った塊を吐き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

寿司職人の腕 時雨尚未知 @n_shigure

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ