1999年7月1日 『運命』

 夕陽とは思えない陽射しの中を

散歩コースとは真逆へと向かった。

意外だったのは

花音君の住まいが

歩いて往き来出来る圏内にあったことだ。

別に不思議ということではなく、

ただ意外だったと言うだけだ。

途中、行きつけの酒屋に寄って

手土産に焼酎を選んだ。

老弱男女問わず人気の幅も広く、

気取りのなさが気に入っている。

初めてでも呑み易いものを選んでもらい

2本セットで

紐による簡易包装をしてもらった。

店を出て、ガラスに映る自分を見ると、

CMで良く見かける

粋な男の出で立ちになっている自分に

少々の満足感を憶えた。

手土産の重さがストレスにもならないまま、

目的地となるマンションに着いた。

見た目、

高級マンションとまではいかないが、

洒落た外観である。

住人に開けてもらわないと

入ることすら叶わない

セキュリティ万全といった感じの

エントランスといい、

当たり前のようにそこにある

エレベーターといい、

今時といったところか。

早速、開けてもらい、

エレベーターで七階まで上がった。

角部屋の707号室ということだったが、

エレベーターのドアが開くと

花音君のお出迎えの笑顔が

サプライズで私を歓迎してくれた。


「いらっしゃい。

 お待ちしておりましたよ。

 遠く無かったですか?」


「いえいえ

 思いの外近くて

 びっくりしました」


「そうなんですね。

 さぁどうぞっこちらですっ」


そう言って廊下の奥へと案内してくれた。 玄関を開けると、

なんとも美しい

目を奪われるほどの美貌を纏った

異国の女性が出迎えてくれた。


「はじめまして。

 花音の母、ユリアと申します。

どうぞ、おあがりください」


あまりの流暢な日本語に

私は懐かしさと親近感を憶えた。

ロシア系ウクライナ人だと紹介された。

なるほど、

花音君に漂う雰囲気は母親譲りか・・・

いろんな意味で

楽しい時間になるであろうことが

容易に想像出来た。

リビングに通されると

既にディナーの準備がしてあり、

私に気を遣ってか

豪華な和食が並んでいた。

しかも、何やら私好みのものばかり・・・

私は手土産を

母親へと差し出した。

すると彼女は満面の笑みで受け取り

早速、乾杯用のグラスに注いだ。

ワインボトルより大きい焼酎瓶も、

彼女の注ぎ方と

洒落たグラスのせいで

焼酎がこ洒落た飲み物に変わった。

注ぎ終わると

テーブルの中央にあったフルーツ盛りから

サクランボを3つ取り、

氷と共にそのグラスに1個ずつ落とした。

初めて見る光景だったが、

見た目は完全に乾杯用のシャンパンである。

親睦を深める乾杯にその味は彩りを添えた。

席に座る瞬間、

私はまだ自己紹介をしていないのに気付き、

あわてて自己紹介をした。

シャンパングラスに注がれた焼酎を

空けてもいないのに

顔が真っ赤になっているのを感じたが、

二人の優しい笑顔に

心からリラックスできた。

室内は彼女の好みなのか

洗練された空間なのに温かみのある

不思議な雰囲気を漂わせている。

心が何の負荷も感じない

この部屋で過ごす毎日は、

さぞ心穏やかであろう。

なるほど、

二人に漂うオーラというか雰囲気は

このせいか・・・

日常の

他愛も無い話しで盛り上がりながら、

会話も、食事も、お酒も勧み、

明るくも楽しい会食のなか、

母親がそっと口を開いた。


「息子から全部伺っております。

 息子が

 とんだお願いをしてしまいまして・・・

 本当に申し訳ございません」


そう、申し訳なさそうに私を見た。

空気を悟った花音君が間髪入れずに


「あなたのことも、

 出逢ったきっかけも、

こうなったいきさつも、

 今までの事は全て話してるんですよ。

 だから、

 母に聞かれてまずいことはないし、

 それにボクの主治医だし・・・

 公私含めて母には隠し事はないので

 遠慮なくどうぞ・・・

 で、早速ですが・・・

 今回はどうでしたか・・・」


笑みを浮かべる花音君の横で、

彼女の笑顔にほんの一瞬だけ

翳りが差し込んだような気がしたが、

私は順を追って話した。

目の前で起きた事、

私が思った事、

感じた事、

相手の女性の受け止め方や変わり様、

会話の内容まで、

思い出せる全ての事を話した。

私が話し終わるまで

二人は一言も口を挟むことなく

聴き入っていた。

ふと見ると

僅かではあるが母親の手が小刻みに震え、

感情を

必至で押し殺しているかのようだった。

その手を花音君がそっと優しく包んで


「ボクは大丈夫だよ・・・」


と母に優しく語りかけた。


「えぇ・・・

 わかっているわ」


そう告げる彼女の顔から、

悲哀や恐怖とは明らかに違う

『畏怖』を感じた。


「皮肉なもんですね・・・

 人を助けるチカラがあるのに

 本人には自覚が無いまま

 それをやり遂げるわけですから・・・

 本当は

 『自分』を助けたいだろうに・・・」


その言葉に私はすぐ後悔した。

あたかも他人ごとと言わんばかりの

無責任な発言だと感じたからだ。


「尚更・・・

 もっともっと知りたくなりました。

 ボク自身の中の

 『もうひとりのボク』のことを・・・

すいません・・・

 もう少しだけ・・・

 付き合ってもらえないですか?」


と彼が言うと


「ご無理を言っては迷惑ですよ」


と彼女が続けた。


「いえいえ、

 乗りかかった舟ですし、

 私もなんだか

 人ごとではなく感じているんです。

 ですから、こちらから

 お願いしたいくらいなんですよ。

 お二人に不都合がなければ、

 是非続けさせて頂きたいのですが・・・」


そう私が言うと


「そこまでおっしゃっていただけるなら

 よろしくお願い致します・・・」


と彼女が頭を下げた。


「なんだか、

 湿っぽくなっちゃいましたね、

 もう一回、乾杯しませんか?」


と彼が明るく切り出した。


「何に?」


と彼女が言うと


「『運命』にだよ・・・

 かあさん・・・

 ボクたちみんなの・・・」


この言葉に皆が心を救われた気がして

軽くグラスを重ねた。

楽しい、有意義なディナーを終え、

再会を約束し私は帰路へとついた。

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