1999年5月28日 『目に見えぬ真実』

 浅い睡眠しかとれない日が3日続き、

昨夜はほとんど眠れなかった。

私は悩んだあげく、花音君との約束もあり、

その番号にかけてみることにした。

何の話しをしようか?

私がわかるだろうか?

いろんな不安があったが

その不安は意外な事で幕を閉じた。

携帯に出たのは『彼』ではなく

花音君だったのだ・・・


「もしもし・・・?」


明らかに寝起きの声だったこともあり、

私はとっさに切ってしまった。

すると私の携帯がすぐさま光った。

迷ったが私は通話ボタンを押し、

耳に当てた。


「おはようございます。

 取ったら切れてしまいました」


「おはようございます。

 すいません。

 ちょっと動揺してしまって・・・」


「そうですか。

 もしかして例の件ですか?」


「えぇ」


「今夜とか・・・ご都合はどうですか?

 直接聞いてみたいんですけど・・・

 夜はまずいですかね?」


「いえいえ

 私は独り身なんで

 都合はつけられますよ」


「ボクの仕事先なんですが

 そこでよろしいですか?」


「お仕事中によろしいのですか?」


「好都合なくらいです。

 住所をメールで送りますね」


「わかりました」


「では、後ほど

 くれぐれもお気をつけて

 いらっしゃってくださいね」


「ありがとう。

 では、後ほど」


私は断る理由も無かったので

了承して電話を切った。

夕方、彼の言う

待ち合わせ場所へと向かった。

途中から降りだした雨に

一抹の不安を感じながらも、

足取りが重くなかったのは、

目に見えぬ真実に

『何か』を期待していたからだろう。

程なくして、

協調性がないにも関わらず

違和感を感じないレトロなビルが

目に飛び込んできた。


「ここか・・・」


ここの最上階の一番奥の突き当たりの店。

そこが花音君が指定した場所だ。

久しぶりに階段を七階まで上った。

たまにはと、エレベーターではなく

階段でと息巻いたのは良かったが、

結果、この年には死を覚悟させるのには

十分過ぎる程の道のりだということが

分かった。

強制的に年を感じさせられたが


「フッ・・・年だな・・・」


と独り言を言う時点でも

まさしくそれ以外の何者でもない。

ドア前まで行き、

息を整えドアを押し開けると


「いらっしゃいませ」


と耳障りの良い声が聞こえてきた。


「ほぉ~プールバーか・・・

 懐かしい・・・」


私の目の前に現れたのは、

70年代を思わせる店内と、

経営者のセンスを伺わせる

雰囲気の良い店内だった。


「どうぞこちらへ・・・」


とゆっくり自分の目の前へと

私を導く声・・・

ベストを粋に着こなした花音君だった。


「呼びつけてすいません。

 お詫びに奢ります。

 何にします?」


と綺麗な細い指でメニューを差し出した。


「では、カルピスを・・・」


この年齢でカルピスを注文すると

少なからずクスッとされるもんだが、

彼は含み笑いのない笑顔で注文を受けた。


「どうぞ・・・」


10秒もたたないうちに

それが完璧な状態で目の前に置かれた。

なんとも美味しそうに

それはそこに佇んでいる。

彼は、私の様子を伺いつつ、

手際良く仕事をこなしている。

なんとも心地良い青年だろう、

早く聞きたいであろうに

私のタイミングを

尊重してくれているようだった。


「では」


と私が口を開くと、

透き通るような眼差しで


「はい」


とだけ答えた。

私は


「半分・・・」


とだけ彼に告げると


「半分?・・・」


とおうむ返しされた。


「えぇ

 体験した事で、

 キミの知りたいことの

 半分はわかったよ・・・

 ただし残り半分がまだ・・・」


そう言うと、彼は


「不都合がなければ・・・」


と私の目を見た。

私は、にわかには信じがたい出来事を

見たまま感じたままを伝えた。

彼が『彼』になる瞬間のこと、

名前は『シオン』だということ、

白銀の長髪に黒銀の瞳であること、

話し方や仕草、

彼自身今は現状を受入れているということ、

全てを知ってか、導かれてなのか、

彼の行動に迷いが一切無かった事、

親子との出会いから別れまで・・・

そして、その後、

偶然にもその親子と遭遇し、

母親から聞かされた

驚愕の交換条件まで・・・

憶えている限りのことを全て話した。


「そんなことが・・・

 やはり、

 カムイでは無かったんですね・・・

 シオン・・・」


と彼は困惑した様子もなく

受け止めているようだった。

私はさらに続けた。


「率直に聞かせてくれないかね。

 キミは今の話しを聞いて

 『彼』をどう思うかね?

 私は正直、

 驚嘆と落胆が入り交じった状態で

 気持ちの整理が着けられずにいるよ」


伏し目がちな私を見て、

彼がこう口を開いた・・・


「氷・・・融けちゃいますよ・・・」


そしてこう続けた


「ですよね・・・

 だから半分・・・

 なんですよね・・・」


その言葉には失意は感じられなかった。

彼自身こそ不安と期待のまっただ中におり、

お互い、まだ迷走はしていても

希望は捨てていないことも共感できた・・・

『来て良かった』

私は心の底からそう思えた。


「お逢いできてよかった」


彼がそう言ってくれた時、

私は心から

『彼』を・・・『彼自身』を

信じてみたくなった。

そして、知りたくなった。

『目に見えぬ真実』というものを。

グラスの底に小さな氷が戯れ

消えるのを二人で見届け


「ではまた・・・

 近いうちに・・・」


「本日はありがとうございました。

 お気をつけてお帰りください」


営業のそれではない素の笑顔で

しかし、場をわきまえた口調で

私を出口まで見送ってくれ

それぞれの居場所へと戻った。

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