怖い人。

 その日、少女は何だか調子がおかしかった。

 といっても体調が悪い訳では無く、むしろ絶好調だ。絶好調過ぎると言える。

 体は軽く、意識は透き通り、感覚はとても鋭く、何より内側から力が溢れる様な感覚。

 しかもその感覚は今も強くなっているのだ。今までにない感覚に少女は戸惑いを覚えていた。


 ただし以前の様に加減が出来ない訳では無く、きちんと力加減は出来ている。

 コップも割っていないし、机も破壊していないし、お盆を捻じ曲げたりもしていないし、箒を砕いたりもしていないし、瓶の蓋を開けようとして瓶を破壊などもしていない。


 少女は今迄壊した物を思い出して、そこで少し落ち込んで膝を抱えた。

 だがすぐに復活し、ムンと力を入れる様な動作を見せて立ち上がる。

 ただちょっと涙目になっているので完全に吹っ切れてはいない模様だ。


 くしくしと涙を拭いて気を取り直し、最初の疑問に戻る少女。

 だが悩んでも特に疑問が解決する様子は無い。

 うんーと首を捻りながらぽてぽて歩いていると、少女は前方から女が歩いて来るのを見つけた。


 いや、見つけたというのは正しくない。何故なら少女はまだ視界に女を捕らえていない。

 曲がり角の向こうから女が来ると、見えていないのに解ったのだ。

 だが少女は特に疑問に思わず、ぽてぽてと緩い走りで女の下に駆けていく。


「うお・・・なんだ貴様か。曲がり角で急に飛び出したら危ないだろう。もし危険な物を持っていたらどうするつもりだ。そもそも貴様は少しうっかりしている所が有るんだからな」


 そして曲がり角の所で女に飛びつき、飛びつかれた女は少し驚きつつも少女に注意をした。

 ただ最中は抱きしめて頭も撫でているので、本当に注意をする気が有るのかは疑問がある。

 目付きだけは厳しいので、全く知らぬ他人からすれば怒っているようには見えるだろう。


 ただ少女はその言葉に首を傾げる。何故なら少女には全てが見えていたからだ。

 女が手ぶらな事も、こちらにやって来る事も、そしてその距離も全て。

 見えていたからこそ女の下へ行き、女に抱きつきに行った。

 何故叱られているのか良く解らず、少し困った表情で女を見つめている。


「・・・どうした、私は何か可笑しな事でも言ったか? 疑問が有るならちゃんと聞くと良い。きちんと答えるぞ。変に我慢をする必要は無い。言ってみろ」


 不思議そうに女にそう聞かれ、少女はふと周囲を見渡す。

 そこでやっと少女は自分が何処で女に抱きついたのかに気が付いた。

 本来見えないはずの位置から女を見つけ、女が現れるのが当然の様に飛びついた事に。

 その事を女に伝えようとして顔を上げ――――少女は、驚いて固まってしまった。


「どうした、変な顔をして。私の顔に何かついているか? それとも後ろに何か居るのか?」


 女は少女の反応に首を傾げ、何か有ったと聞くが反応が返ってこない。

 もしかして背後に何か有るのかと振り向くが、それでも何も無い。

 女は一体何なんだと困った顔を見せている。


 当然だろう。少女が見えている物は、女には見えていないのだから。

 女に纏わりつく嫌な感じのするものが。吐き気がする様などす黒い物が。

 そして何よりも、少女よりも大きい、少女とそっくりな一本の角に驚いているのだから。


 実際には角はそこには無い。女は角を出してはいない。だけど少女には見えている。

 女の頭に在る、余りにもどす黒い何かを放っている角が。

 余りにも異様で異質な、有ってはいけない力を振りまいている物が有ると。


 少女はそれが何なのかを訊ねようとして、体が動かない事に気が付く。

 呼吸が苦しく、異常な寒気を感じる。先程迄の絶好調が嘘の様に気分が悪い。

 カタカタと歯が鳴り、まるでとてつもない化け物にでも出会った様な恐怖を感じる。

 女が、恩の有る人が、尊敬している人が、大好きな人が―――――とても、怖い。


「どうした、顔色が悪いぞ。一体な――――」


 膝を曲げて目線を合わせ、少女の肩を掴むようにして様子を見ようとした。

 だが女の言葉の続きは口から出て来ない。

 恐怖に引きつった顔で、化け物を見たような顔で、肩に置いた手を払われてしまったが為に。

 そして少女は数歩後ずさり、震えながら女を見つめている。


「――――」


 女は言葉が出ない。理解不能な驚きで思考が停止し、ただただ少女を見つめている。

 そして見つめられている少女も、まるで蛇に睨まれた蛙の様に恐怖の表情で固まっている。


「んあ? 二人して何固まってるの?」


 そこに彼女がやって来た事で、女の視線が少女から切れた。

 少女はそこではっとした顔を見せ、今自分が何をやったのかに気が付く。

 だが女から感じる恐怖と女への想い、そして先程の自分の行動が処理出来ず、その場から走って逃げ出してしまった。


「え、つ、角っ子ちゃん!? え、なに、どうし――――」


 彼女はいきなり走り出した少女に反応出来ず、とりあえずその場に残った女に顔を向ける。

 だが女の様子を見て彼女は言葉に詰まった。


「ふぐっ・・・うぐっ・・・何だか解らないが嫌われたぁ・・・!」

「先輩何で泣いてんの!? え、ちょっと待って、どういう事!? 待って待ってあたし全然解んない! 誰かー! ちょっと誰か助けてー!」


 弱弱しい様子でボロボロと泣きながら、女は彼女に縋りつく。

 縋りつかれた彼女は今迄見た事が無い女の様子に完全にパニックになり、とりあえず他の使用人達への助けを求める声が屋敷に響くのであった。

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