少女の日常。
「朝だ、起きろ」
最近の少女の朝は、このドスのきいた女の声で起きるのが日課になっている。
一度だけ女が起こすより早く起きて身だしなみを整え、女に朝の挨拶をした日が有った。
だが女は少女を見つけた瞬間、ゆらりと少女に近づいて来て唸るように言った。
「子供は気にせず、起こされるまで寝ておけ」
有無を言わさぬ迫力に、少女は涙目でコクコクと首を振るしかなかった。
それ以降、少女はたとえ目が覚めていても女が起こしに来るまで転がっているのだ。
なので女に起こされ、髪を整えられ、服を見繕われて、少女の一日が始まる。
「おはよう・・・」
朝の食事にと、もう慣れた廊下を歩いて食堂に少女がたどり着く。
そこで若干どころか、物凄く眠そうに目が開いていない男が少女に挨拶をし、少女はぺこりと頭を下げて応える。
男は女と会話しているし椅子にもちゃんと座っているが、目がほぼ閉じている。
少女が来た翌日こそちゃんと起きていたが、男は朝が弱かった。
これも少女には既に慣れた光景となっていたので、気にせずいつもの席に座る。
「いい加減目を覚まして下さい、ごく潰し」
「五月蠅い年増。年取って朝が早いお前とは違うんだ」
「「あ゛?」」
日課のように交わされる打撃の応酬。そして崩れ落ちる男。
この二人にとってはこれが挨拶の様な物だ。
最初の頃こそ怯えたり、男を心配していたりしていた。
だがこれが毎日の光景なせいで、少女も慣れてしまっていた。
故に少女は気にせず目の前の食事を食べ始める。
だが男や女の方をちらちら見るのは変わっていない。
そして、美味しいご飯に喜ぶ笑みも変わっていない。
もっきゅもっきゅと小動物の様に食べている。
「ゲフっ、くそ、目が覚めた」
「それは何よりでございます」
男は特に何事もなかったかのように食事を始める。大概頑丈である。
本来ならこの二人の関係が理解出来ない物だと思うのが普通だが、少女にはそんな判別がつく程の見識が無かった。なにせ、ずっと格子生活だったのだ。
なので少女にとってこの光景は、あたりまえの日常の一幕である。
「そういえば、今日仕事ないんだよ」
「とうとう仕事が無くなりましたか。貴方の代でこの家も終わりですね」
「おい年増、勝手に家潰すな」
「そう遠くない未来の事実でしょう?」
睨みあう二人をほおっておいて、少女は美味しいデザートを無言で食べていた。
この屋敷の最近の平和な朝の光景が、そこには有った。
男の飼い犬は、何処か呆れた様子でその光景を眺めていた。
「お、角っこちゃん、おはー」
少女が廊下を歩いていると、屋敷の使用人の一人に声をかけられた。
広い屋敷なので、男の傍によくいる女以外にも住み込みで働いている人間が居る。
数は多くないがけして少なくもない。種族も割と豊富だ。
複眼の人間や単眼の人間も居る。少女の持つ角とは形が違うが、角のある人間も居る。
彼女はその一人であり、少女を構う人間の一人でもあった。比較的特徴の薄い、普通の人間だ。
少女は彼女が嫌いではなかった。いや、おそらく好きな人だと認識している。
優しく頭を撫でてくれる陽気な女性と認識していた為、彼女を見つけると傍に寄っていく様になっていた。
「今日も可愛いねー。今日は何して過ごすのー?」
彼女に今日の過ごし方を聞かれ、少女は首を傾げる。
そういえばと、今日は何も言われてない事に今気が付いた為だ。
少女はこの屋敷に来てから、文字の読み書きや計算等を教えられている。
普段なら朝の食事の後にその日の予定を言われていたのだが、今日は何も言われなかった。
「あや、何も言われてないの?」
少女はその言葉に、コクコクと頷く。
彼女はそれが可愛かったのか、笑みを浮かべながら少女の頭を撫でる。
時々少女の角を優しくなでるのも、少女が彼女を気に入っている理由でも有った。
「じゃあ、今日は一日自由時間だねー」
少女は自由時間と言われて固まってしまった。
自由時間。つまり何をしてもいい時間。
だが同時に、何をして良いのか解らない時間になってしまったからだ。
勿論ここに来てから、少女にも自由時間は有った。
けどそれは、勉強の合間の休憩みたいなものだ。
だから一日何もやる事が無いと言うのは初めてで、どうしたら良いのか困っていた。
「ふむ、じゃあ、今日は一緒にお仕事してみるかい?」
彼女に仕事をしないかと言われ、少女は笑顔でコクコクと頷く。
その顔はやる気に満ちていた。
少女は感謝をしていた。自分を買ってくれた主人に。優しくしてくれる人達に。
なので仕事をするという事は、この屋敷の主人である男に恩返しを出来ると思った。
そして彼女達の手伝いも出来ると思っての返事だったのだが、少女の返事に彼女は困った顔をする。
「あ、あー、えっと、冗談だったんだけど・・・うーん」
そう、あくまで冗談のつもりだった。
少女は奴隷として買われてきた身だが、主人がそう扱っていないのを彼女は知っている。
何より何が目的で少女を買って来たのかは、良く解っていない。
少なくとも仕事をさせる為に、何かをさせる為に買って来た風では無い事だけは理解していた。
その為、少女が仕事にやる気を出してしまった事に困っていた。
「仕事がしたいのならば、すればいい」
「あ、せんぱーい」
少女は後ろから聞こえた、聞きなれたつもりだが、やはり怖い声に驚いて固まる。
女がいつの間にか自分の背後に居た事にも驚いたが、やはりこのドスのきいた声が怖い様だ。
無論、女の鋭い目も怖いのだが。
「いいんですか?」
「構わん」
「ふーーん?」
先輩である女の表情を見て、彼女はニヤッと笑う。
少女には何故笑うのか分からず、首を傾げてしまう。
ただ、こんな鋭い目をした女に笑顔を向けられる彼女を凄いとは思っていた。
いつか自分も女と笑顔で話さなければと少女は思うが、しばらくは無理であろう。
「なんだ?」
「べーつにー?」
「ふむ、喧嘩か? 買うぞ?」
「あたし旦那さんと違うんで! あんな頑丈じゃないんで!」
女がゴキゴキと指を鳴らすと、彼女は首をぶんぶんと降って後ずさる。
男が良く女に殴られているのは、使用人皆が知っている。
その為、女の言動が脅しでは無い事も良く知っている。
とはいえ女が男以外の人間を殴る事は、滅多な事でも起こらない限り無い。
「少し、部屋で待っていろ」
女は少女にそう伝えると去っていった。
少女は女に言われた通り、彼女にぺこりと頭を下げてトテトテと自室に向かう。
「気に入られちゃってるねぇー」
女と少女を見て口から出た彼女の呟きは、少女には届いていなかった。
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