第9話 狼狽-2
成り行きで先輩と一緒に下校することになったので、一旦教室に戻ることを伝えると、崇先輩は了承してくれた。しかもわざわざついてきてくれたのだ。やっぱり顔は怖いけど根はやさしいのかもしれない。
そして校門まで一緒にいた日比谷先輩が突然「じゃ、きょーやちゃんバイバーイ」と非情な挨拶をしてきた。
「え!日比谷先輩は一緒に帰らないんですか」
俺は思わずそう返してしまっていた。
いや、そりゃそうだろ。だって日比谷先輩がいない、即ち俺と崇先輩の二人っきりということになる。
「そ、俺は寂しくおひとり様~お邪魔虫は消えるから安心してね~」
笑顔でひらひらと手を振る先輩はなんとも残酷なことを言った。お邪魔虫って…それはどう考えても俺でしょうが!
仲の良い先輩同士で帰ったらいいと思うんですけど、とはさすがにいえない。怖いから。
「放課後デート楽しんでね~」
「ちょ、っと!」
デートだなんて…冗談でもやめてくれ。「気持ち悪いんだよくそが!」って言って殺されるのは俺なんだから。日比谷先輩はわざとそういうことを言ってるのだろうか。嫌がらせ?
当の崇先輩はだんまりなので、余計に怖い。絶対怒ってるよ…どうしてくれんの!
そう考えているうちに、日比谷先輩はふらりと反対方向に帰って行った。ど、どうすれば…
「…」
「…」
き、気まずい!
だれか助っ人の一人でも現れてくれないかな、と俺は神様にお願いするのであった。
この無言に耐えきれず、俺が口を開こうとした、ら…
「須永」
「はいいい!!!」
持田先輩様からのまさかの切り出しに俺は心臓が飛び出るかと思った。
何を言われるのだろう。俺冷や汗やばいんですけど。
「家、どっちだ」
「はい!…え?」
「だから、家。どっちの方向」
「えええと、家、ですか!家はこっちの方向です…」
「そうか」
先輩は俺の返事を聞くと、俺が指さした方向に歩き始めた。
あれ、あれれ?
なんか普通に会話できてるんですけど。
おかしい。あれだけ不名誉なこと…主にデート、って発言だろうけど。二人っきりになったことに苛立っていないだろうか。だって俺と帰っても絶対面白くないでしょ…
だが、先輩は俺に何も言ってこない上に、歩くのをやめて、一向に歩き始めない俺を不思議に思っているようだった。
「先輩、怒ってない、ですか?」
怖すぎるのでおずおずと下手から聞いてみる。こういう時は低姿勢で行くのが一番だと思ったのだ。
「な、ななな何に怒るって言うんだよ、おおおおおれが」
「うわあああ絶対怒ってますよねすみません!!」
やや距離をとりつつも、俺は疑問をぶつけてみると、先輩は盛大にどもった。そりゃあもう動揺してますというような感じで。
どもった原因は恭弥が泣きそうな顔で見つめてきたからなのだが、そんなことに露程も気づかない恭弥は、涙目になって慌て始めた。
それが余計に崇を焦らせることもまた、恭弥は気づかない。
怒ってないことを言っても恭弥はなかなか信じようとしないし、さらに泣きそうになることに、その泣き顔を可愛いと思っていた崇も困惑してきた。
そしていらだちの方が上回ると、思わず声に出してしまった。
「怒ってねえって!お前いい加減にしろ!」
「ひっ…!ごめ、なさ…っ」
「!!!」
すでに決壊寸前だったのか、そのどすの利いた崇の声で、恭弥は大粒の涙をぽろりと零した。
それに思わず崇は慌て、恭弥のそばに駆け寄っていた。
「…っ!」
恭弥は崇が近寄ってくることにも、恐怖を覚えたのだろう。肩を震わせて少し後ずさった。
その反応には崇はショックを受けたが、自分が蒔いた種だな、と反省した。
「ごめん、まじで…ごめん。怒鳴るつもりは、なかった。怖がらせたくもねぇんだ」
「…たかし、先輩?」
崇は親指でその涙をぬぐってやると、恭弥の背中をぽんぽんと優しくなぜた。それは子供をあやすようで、ちょっと恥ずかしかったが、なんだか温かい気分になった。
なぜそのようなことをするのか、恭弥にはわからず、崇の様子をうかがおうと彼の顔を覗き込んだ。
「う…っ、いや、今は…我慢だ。俺は段階を踏んで…ゆっくりいくんだ…」
「え?」
「あ、いや…なんでもねぇ」
顔を真っ赤にしている崇が言っていることがいまいち理解できなかったが、先程の恐怖はもうなくなっていた。
「ほら、これ使えよ」
そういって差し出されたのは…
「これ、俺の…」
「返す。お前のもんだし」
先程先輩に渡した俺のハンカチだった。そういえば取られたんだったか。いろんなことに必死で忘れていた。
「あ、ありがとうございます」
「ぷっ、なんでお前がお礼言ってんの。お前のだろ」
「…!そ、そうですね」
なぜかお礼を言ってしまった恭弥に、崇は心から笑った。その綺麗すぎる笑顔に、恭弥は目を奪われ、一瞬呼吸を忘れそうになった。
なんて綺麗に笑う人なんだろう。
恭弥はどきどきと心臓が脈打つ理由を考えることなく、とりあえずポケットにハンカチをしまうのだった。
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