プシュケリア

鈴本恭一

第1話


「師よ、あなたは狂われたのか」


「弟子達よ。お前達の見るものが、私には見えない。私の見るものが、お前達には見えない」



 師は言われた。



「私はプシュケリアを見ている。プシュケリアの困窮の喘ぎを聞いている。そして、それはあの娘も同じなのだ」



*** *** *** *** *** *** *** *** *** ***



 師が悪魔を拾ってきた。


 いつものように列を成す病人たちに師がプシュケリアの施しを与えていると、ひとりの若者が血相を変えて駆け込んできた。


「出ました! あの餓鬼です! 例の人食いの!」


 師の家の前に並んだ人々が驚きにざわめく中、師は顔色ひとつ変えず、その若者に尋ねた。



「その者は今、どこに?」


「霊廟裏の空き家です! あいつが街に入ろうとしたんで、俺の仲間がそこまで追い込みました!」


「では、私が行くまで見張っていなさい。見張るだけでいい。決して手を出さないよう」



 師にそう言われると、若者は水を何杯か急いで飲んでまた戻っていった。師は並んだ病人達に、



「私は行かなくてはなりません。あとは弟子達に」



 と言ってそのまま出掛けていった。しかし師は「アロトロバ」と私の名を呼び、



「お前は私と一緒に来なさい」


「はい、先生」



 こうして私達は街の北にある霊廟へ赴いた。





 街に来る旅人や商人が奇妙な輩に襲われ始めたのは、ここ一ヶ月ほどのことだ。


 街と街の間に広がる荒野や砂漠で盗賊や物盗りの類が出るのは珍しくないが、例の被害に遭った者は何も盗まれず、また外傷もなく、ただひどく衰弱しているのだった。


 そういった者はたいてい師のもとに運ばれ、師はその素晴らしきプシュケリアで彼らを癒す。そうして回復した者達が言うには、子供のような小さな何者かに襲い掛かられたらしい。


 街の長老や僧侶達は砂漠の悪魔、人食いの仲間に違いないと断じた。


 血肉ではなく人間の生命力そのものを貪ることの出来る魔物で、子供の外見をし、常に飢えているのだそうだ。


 被害のあった場所は日に日に街に近づいていた。街では警戒を強め、よそから来た子供がいればすぐ街の住民に報せることにした。知らない子供がいればすぐに分かる。


 そして数日前、街の城壁近くをうろうろする知らない顔の子供を見た、という情報があった。早速捕まえて縛り上げようとした若者衆を、師が制した。


 聞けばその人食いの悪魔は触れるだけで人間を死に至らしめるという。その危険性のため、街に入った場合、まず我が師がことにあたると彼は自ら言った。


 反対者は多かったが、師は徳をもって根気強く説得した。反対した者の中には私と同じ弟子たちもいた。


 師は日々プシュケリアをもって多くの病人を救い、富める者も貧しい者も隔てなく癒すかけがえのない人間だった。そんな師が危地に赴くことはない、と弟子達は訴えた。


 しかし師は首を横に振った。



「かけがえのあるなしを決められるのは、天上に坐す至高の方以外にない」



 と師は言われた。



「天より授けられた力を使う機会を自ら失うことこそ、あの方への裏切りに他ならない」



 師の穏やかだが力強い決心を前に、弟子達はそれ以上なにも言えなかった。


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