魔人譚 鎌鼬の憤怒
クロイワケ
第1話 双鎌の傭兵
-1-
巨大な岩石をひたすらに積み上げて造られたような城壁の前に、2人の男が対峙していた。日は高く登り、雲ひとつない青空のもと、甲冑を着込んだ男どもがその2人を取り囲んでいる。それぞれ左右に分かれており、それがそのまま彼らの陣営を示しているようであった。
無数の瞳は、しかし一言も発することなく沈黙を貫いている。言い知れぬ無言の圧力が、耳鳴りとなって、かえって煩い。風が吹いていないこともまた、黙する環境に拍車をかけていた。
ひとりの名前は、サクスという。
歳は、竜頭(*成人をしめす。およそ16〜18歳)を迎えたばかりであろう。青年というよりは、少年とでもいうべき幼さである。体格もどこか細々しい。そして、その容姿は美しかった。肌は白く、はっきりとした眉や目からは、力強さをうかがわせる。甲冑は、局所局所に当てられているのみで、後は全て布で覆われた粗野な衣服であり、剥き出しの脆いものであった。
彼は傭兵なのだ。ともすれば、粗暴な装備にも納得がいく。男娼のような美しさは、ややそぐわないが。
対して、その視線の先に立つ男は、まるで真逆の装備である。全て一式整えられた、特注の全甲冑なのだ。金属は鏡のように磨きあげられ、一点の曇りもない。実際に戦闘に用いるものというよりも、一種の芸術作品のようであった。甲冑によってその表情こそ見られないが、しかし体格の良い偉丈夫である。そして、この争いの頭目と目される人物であった。
「傭兵風情に助力をこう時点で、予想はしていたが。トロスの陣営は、どうにもこうにも人がおらぬと見える。子供を戦場に寄越すとは!」
沈黙を破ったのは、金属甲冑の大男であった。
「しかし、相手が誰であろうと全力を尽くそう! 『さあ、思い出せ! 真の英雄、リンフよ! 勇者の面目よ! フリフルに全てを賭けるのだ』 我が名はコールソン・ファン! いざ、尋常に」
男は長編叙事詩の一節を吟じた。寓話にも転じたリンフの物語は、騎士となり戦場に赴く当時の貴族に人気だったのである。そして、自らの名を名乗り、果たし合いに挑もうとする。その様子を、サクスは疲れた様子で見守っていた。
「あー……。こっちも名乗った方が良いかな」
「結構! 傭兵ごときに期待はしておらぬ。我が初陣の糧となるが良い」
「そうかい。なら遠慮なく」
言うや否や、サクスは駆け出した。
2人の距離はおよそ3リン(*約20メートル)程。甲冑男が背中に担ぐ巨大な槍があれば、難なく間合いに入れられるほどの距離である。そして、間合いを詰めるサクスの腰元には、短い剣が2本ほどぶら下げているばかりである。鎧はまばらで、エモノは短刀のみ。まるで戦場に出てくる様相ではないが、しかし、彼が一騎打ちの選手に選ばれたこともまた事実なのである。
甲冑男からすれば、唯一不気味に思うのはその点であった。だが、もはや賽は投げられた。一息に距離を詰めるサクスに対して、やはり背中の槍を構える。突き刺すのは一瞬だが、外せば隙が大きい。この時になって漸く、不確かに思われたサクスの小柄な身体が、男には憎らしく感じられた。
槍の強みは点による一撃である。つまり、避けにくい。しかし、当たる範囲の少ないサクスに、小さな点を打ち込まなければならない。
ついにサクスが、槍の確かな範囲に入った。男は腰を低くし、その槍を前方に放つ。が、同時にサクスも足に魔力を込めると、一息に距離を稼いだ。
サクスは魔術師なのか。
いいや、そうではない。優れた戦士や武闘士は、体内の魔力を操作して己の肉体を強化すると言う。国や地域によっては、「気」あるいは「オーラ」と呼ばれる生命のエネルギーこそが、魔術の元となる「魔力」なのであった。
槍とサクスの身体とが、斜めに交差した。サクスの卓越した動体視力によって、時間は伸縮し、槍の表面に写り込む自らの姿を視認した。
そして、弾き飛ばされたようにサクスの姿は、男たちの視線から消えてしまった。
「あっ」
「シャッ! 後ろだっ!」
周りで見ていた見物人の誰かが叫ぶ。甲冑男は振り返り、槍を手元に引き戻そうとするが、既におそい。サクスは、山野の獣と化して甲冑男に飛びかかった。抱きつくように首元へ手を回し、ついで両足を鎧の肩に巻きつけた。まるで肩車のような格好になったかと思えば、すかさず両手を腰元の短刀に触れさせる。
「ま、待てっ! 貴様っ!! これが騎士との決闘か!」
「傭兵風情なもんで」
それが、甲冑男の遺言となった。サクスは構わず刃を振り上げる。彼が取り出した短刀は、双方ともに刃が奇妙な形をしていた。傭兵が用いる短刀といえば直刃か弓なり、変わり種で蛮族が用いる先広のクク刀といったところである。
だが、サクスの武具はそのどれにも当てはまらない。
刃渡りは6フラ(*約40センチ)ほど。しかしその刃先は、大きく直角に折れ曲がっている。それは、農民が用いる鎌によく似ていた。
と言うよりも、鎌そのものであった。
二つの鎌を、器用に甲冑男の首に引っ掛ける。隙間に入り込んだ刃の角を支点に、サクスは身体を大きくひねった。グルンと、その身体を翻し一回転、おまけとばかりにもう半回転捻り、そして甲冑男の上に立ち上がった。そして素早く両腕を左右に広げれば、甲冑男の首から上が、捻り飛んだ。ぐるぐると螺子の様に跳ね上げられた甲冑は、けたたましい音を響かせて、沈黙の続く戦場に転がっていく。
サクスは両足で首無し死体となった甲冑男を蹴り、地面に華麗な着地を決める。ほとんど誤差なく、男の身体が地面に倒れこみ、決闘の決着がついた。
サクスの勝利は誰の目にも明らかであった。
-2-
サクスがタスカス傭兵団に所属したのは、わずかに2年ほど前のことである。其れなりに大きな戦があり、多くの欠員がでたタスカス傭兵団の元へ、ふらりと現れたのがサクスであった。
孤児であり、真っ当な職にはつけないと説明したサクスは、その天才的な戦闘能力をもって、瞬く間に功績を築き上げていった。
無論、傭兵団と言うものは金で雇われる名誉もクソもない連中であるが、だからこそ、その団の中においては鉄の結束が求められる。ただの小僧に初めから心を開くものなど皆無といってよかった。しかし、今となっては、
「しっかし、少隊長! 今日も見事な一騎打ちでしたね!! あの貴族連中のぶったまげた顔! ああ、我らがユーライジ大隊長にも見せてやりたかったぜ。なぁ!」
「おうとも! あの鎧野郎。大見得切ってでてきた割には大したことのないやつだったよ。いや、隊長が凄すぎるのか?」
「たりめーだろ、タコォ! 俺ァ昔っからこの傭兵団にいるけどよォ。三度の戦で三度とも、初陣の頭任されたやつは、サクス隊長以外知らないね」
「お前、古株を誇るんだったらもうちょっと出世しろや」
「ああっ?!」
サクスは既に、第四小隊を率いる小隊長にまで登りつめていたのである。危険を厭わず、相手を選ばず、仲間をかばい、部下を重んじるサクスの姿勢は間も無く認められ、団の中での発言力を増していった。今も、勝利の宴の中にあって、ならず者どもの酒の話題に、幾度となく出てくるほどには、慕われているのである。
「しっかし、小隊長は強えーよなぁ。あんなちっさい鎌だけで、よくもまあフルプレートに挑めますね」
「確かにな。動きの鈍い鎧を相手取るのは、小隊長の得意の戦法だが……一歩間違えたら呆気なくやられちまう方法でもある」
気がつけば、宴のくだらぬ下世話な話題は、真っ当な戦術指南へと移り変わりつつあった。
「ねぇ小隊長。どうして、いつもその短刀だけなんですかぁ? あっしらと違って、金がねぇ訳でもあるまいし」
ついに話しかけられたサクスは、ニヤリと笑みを浮かべながら周りにいる男どもに目線をやる。浮かれて馬鹿騒ぎをしていたものたちも、なんとなく気配を察しておし黙る。しばらく、男たちの顔をじっと見つめたサクスは笑みを消して、大仰に呟いた。
「そりゃお前ら、簡単さ。……酒を飲むのに使っちまって、手持ちがないのさ」
緊張から繋げられたくだらぬ回答に、どっと笑いが起こる。
このカリスマ性が、サクスの最大の武器なのか。ひとしきり笑いが収まった頃に、サクスは真面目に言葉を返した。
「まあ、実際はジンクスってとこかな。どんなに長い刀を背負っても、遠くから撃ってくる魔術師どもには逆立ちしたって勝てやしねぇ。なら、ちっとでも、自分を信じられる武装で向かいたいのさ」
なるほどと頷くものや、首をかしげるもの。その中で、もっとも若い新人の傭兵が、年配の傭兵に小突かれて質問を投げかけた。
「し、しょ、小隊長! 自分は、噂話なんですが、その、小隊長の『能力』が関係していると聞いたことがあります」
「『能力』……か」
サクスはその言葉に、返事を濁した。
そう、彼の最大の武器は、言うまでもなく、彼が保持する一つの「能力」にあったのだ。
そもそも、「能力」とはなにか。
ヒト種に限らず、生物ならば何者でも魔力という生命のエネルギーを保持している。それを用いて、奇跡的な現象を起こす行為こそ魔法と呼ばれるものだ。その中でも、人が一種の技術として、習得可能な術として磨いてきたものこそ、魔術である。
つまり、習得不可能な魔法こそが「能力」であった。
生まれつきの才能である。誰から教えられた訳でもなく、ヒトが二足歩行を自在に行うように、魔法の行使を可能とするもの。ヒトはそれを「能力者」と呼んだ。
だが、この時代において能力者は忌み嫌われる存在であった。魔術が発展した地域においては、魔術師の出来損ないと蔑まれる。あるいは、魔術の未開の土地においては、悪魔の呪いと忌避されてしまう。サクスが言葉を濁したのも、能力の存在をひた隠しにするのもそれが原因であった。
だが、傭兵団の連中には、そんなことを気にするものはいなかった。どれほどのご高説を垂れられようとも、明日を生き残る力が無ければ意味のないコミュニティなのである。逆に言えば、呪いだろうが出来損ないだろうが、強ければ存在が認められるのだ。
それを既にサクスも理解していたが、心情として中々自らが能力者であると認めることは難しかった。
「す、すみませんでしたっ! なにも俺は尋ねてないです」
サクスの無言を威圧と捉えたのか、若い傭兵は顔を真っ青にして頭を下げた。サクス笑顔を意識して、話しかける。
「気にするな。いや、俺は気にしてないよ。さて、悪いなお前ら。今日は俺の奢りだ。好きに飲め!」
「ヒャッホウ! 流石だぜ小隊長!」
「今日も! の間違いじゃないですか?!」
周りの傭兵達も、勤めて気分を盛り上げる。意外にもこのならず者どもは空気が読める連中なのだ。案外と、前線で戦う戦士というものは、雰囲気や空気の流れに敏感なものなのかもしれない。
だが、そんな連中の間に、空気の読めない男が1人割って入ってきた。
「よう……。楽しそうじゃぁあ、ねえか。サクス小隊長どの」
「……ガモガス、中隊長」
男は不気味なまでに巨大であった。
目測でも、およそ30フラ(*約2メートル)はあるのではないかというくらいの身長に、隆起した筋肉、手足も類して巨大である。
また、その顔が悍ましい。歴戦の傭兵であることを示すように、顔の下顎の表皮が剥がれ、肉がむき出しになっているのだ。古い刀傷や、刺し傷が無数に残っており、勇猛さが伺える。
だが、何よりも団の休息所に相応しくない、鋼鉄の斧が気にかかった。無骨な金属の塊は、今日の戦闘の結果なのか血潮がべっとりと残っている。切れ味などとうに失われ、ただ圧殺することを目的とした凶悪な武器である。
鎧も装着し、まさしく戦いの格好である。
そんな男が殺意をむき出しにしながら、サクスの元へやってきたのだからたまらない。さらに言えば、階級はこのガモガスの方がサクスより上に当たる。
サクスは、形式だけの礼をした。
「中隊長殿。こんな端の席に、どのようなご用件でしょうか」
「ふん、気に入らんなァ。貴様の目つきが俺は嫌いだ」
「それは失礼しました。生来のものですので、治しようがなく」
「まあいい。用件はだな。貴様らが、なにか浮かれておるのではないかと思い視察に来たのだ」
明らかに怒りを溜め込みながら、ガモガスは言葉を続ける。
「するとどうだ。能力者だがなんだか知らないが、外様のガキに縋って、ブツブツとつまらぬことを申しているではないか。どれ一つ、訓練をつけてやろうかと思ったのよ」
ガモガスの言葉に、周りの連中の目が剣呑に染まる。しかし、ガモガスは気にした様子もなくサクスを睨みつけ、軽く挑発しているようだ。
少なくとも、十数人の傭兵に囲まれながら平然と雑談ができるくらいには、この男は強かった。そして、したたかである。傭兵の誰か1人でも手を出せば、途端に反逆だのなんだの理由をつけて、嬲り殺しにするつもりであろう。
サクスは、しばし考えて、返答した。
「それは良かった! 最近、めっきり強い相手がおらず困っておったのです。どうも、ガモガス中隊長が手柄を譲ってくださるおかげで、金ばかり貯まるものでして」
ずいぶんな言い草だ。
金がないと言ったばかりだから、それは挑発である。揶揄いに来たつもりのガモガスは、逆に揶揄われ怒り心頭といったところか。
「ならば、早速始めようか。……チビめ、ぶっ殺してやる」
「おや。ガモガス殿は演技も御上手のようだ。訓練のためとはいえ、わざわざ、狂った老兵を演じていただけるとは。古ぼけた斧を持って……今日の演目はなんですかな」
罵倒ととったガモガスが、突如動いた。
筋肉が膨張し、あるいは収縮し、引きずって来た凶悪な斧が、凄まじい速度で振るわれる。真横に振るわれた一撃は、右からの恐るべき圧力を放つ。サクスは、その一撃を躱すでも無く、近くに置いてあった長剣を用いて受け止めた。
金属音が迸り、火花が散る。流石に完全には受け切れず多少後ろに下げられたが、しかし、周囲に影響はない。
「お前ら、下がってろ! 今から訓練を行う。いいか、訓練だ」
サクスは傭兵達に声をかけ、そして長剣を逆手にもつと投げやりのように、ガモガスへと放り投げた。魔力の操作によって強化された肉体は、やすやすと剣を射出する。ガモガスは、体をそらすこともなく、首を傾け一撃を躱す。そして、大斧を構えて突撃を開始した。
互いの身体から、薄っすらと湯気のような熱気が立ち上る。いや、それこそ魔力であり、オーラである!
2人とも、自在に魔力を操作できるくらいには、研鑽を積んだ戦士であったのだ。
「サクスぅゥウウウ!」
「ちっ、五月蝿ぇ濁声だぜ」
またも、右から凶斧の一撃が振るわれた。腰のあたりを狙ったようである。やや、間合いが遠く思えるが、しかし。サクスは一歩後ろに下がる様子を見せた。そして、背中の双鎌に触れ、一気に腰を落としながら前方へと突き進む。
ガモガスの一撃は、サクスの予測通り手前で大きく距離を伸ばした。一度、大振りを受けさせて置いて、二度めで刈り取るという、ガモガスお得意の戦法である。
この男、見た目の無骨さや粗暴さに反して、戦闘方法は実に繊細なものであった。言うなれば、日々命のやり取りが求められる職場にて、中隊長にまで上り詰めた男の実力が不確かなものであるはずがなかった。だが、サクスもまた常人ではない。その攻撃を予測し、敢えて低く懐に潜り込むことで一撃を避けたのだ。
するとどうだろう。伸びきった死に体の腕と斧、そして隙だらけの腹部がガラ空きになっている。両腕に握る鎌に力を込めて、そして斬りかかる。
「刀技、『
円を描くように、鎌を交差させながら上部へと昇る斬撃を繰り出そうとする。
その間際、ガモガスの腰元から何かしらの影が現れた。視界の端に捉えたサクスは、技を中断し斜め左手にガモガスの体を通り過ぎる。その直後彼がいた箇所へ、直刀の刃が貫かれていた。いつの間にやらガモガスの斧から左手が外されており、隠し持っていた直刀を振るったのだ。なんと、巧みな技術であろうか。
しかし、完全に不意を突かれたはずのサクスが、それを回避したことで、結果として2人の力量差が詳らかにされた。
しかし、戦いは未だ続く。
サクスは左に握っていた鎌を、無理な体勢からガモガスへと投げつけた。回転しながら斬撃が空を舞う。ガモガスの右腕は伸ばされた斧に取られ、しかも、その斧に邪魔をされ左の直刀を満足に動かすことができない。
それでもなんとか、体を捻り右肩をさげることで正面を向き直り、直刀で投げ鎌を弾いた。無理やり斧の真上を通すように振るった直刀は、斜め下に向く。
ふっと、いつの間にやら距離を詰めていたサクスは、ここぞとばかり、ガモガスの斧と直刀が交差する点をまとめて真下にはたき落とした。両武器を押さえ込まれたガモガスは、身体を起こし逃れようとするが、その首筋には既に三本めの鎌が当てられていた。
「訓練であるならば。ここまでで宜しいのでは?」
「くっ……!」
終わってみると呆気のない訓練であった。一方的にやり込められたカタチとなるガモガスは、特に何もいうことなく、憎々しげに睨みつけながら去っていく。
その背中が、藪の向こうに消えてから、ようやく傭兵たちは勝鬨をあげた。
「ザマァ見さらせ! 俺らの隊長を馬鹿にするからだっ!」
「口ほどにもないやつだぜ!」
やいやいと、好き勝手に宣う奴らだが、悪い奴らではない。サクスは改めてそう考えた。もし、この傭兵団に来る前の自分ならば、今の勝負でガモガスを生かして帰すことなぞしなかっただろう。
変に恨まれる方が面倒だし、それで立場を追われるならば潔く立ち去るというのが彼の信条だった。
しかし、この気のいい奴らとの傭兵家業がいつの間にやら、随分と気に入ってしまっていたのだ。サクスは、笑みを浮かべると連中から酒のジョッキを奪い取り、一思いに呷った。
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