破れかぶれ

@usamin0325

なし

大阪には月に一回用事があって行く機会がある。

といっても仕事ではなくあくまで私用であるからして、それにかかる経費などは全て自己負担。それはやむを得ない。私はまだ世間に顔が出せるほどの文筆家ではないのだ、だからこそ、作家やその志望者に会ったりして、言わば、顔を売るのが主たる目的であるが、しかし、どうも文芸趣味の人々には私のような、エロ、グロ、ナンセンス、奇妙奇天烈、吃音症、精神分裂、気狂い、色恋沙汰、軽佻浮薄、放蕩無頼などを体現するかのように振る舞う者を受け入れる度量は無きに等しく、文壇連中が集う処に赴いてみたところで、その成果は芳しくなく、精々、「君みたいな軽はずみな態度では、何も成し遂げられないだろう」、と言われるのが常である。その上、「古典趣味で文章がやや擬古文めいた処は実にいやらしい」などと、全く根拠のないことを婉曲的に言われ、弾かれる始末で、私が出世する機会をものにしたところで、誰も私の推薦文など書こうという作家はいないであろう。どうやら私の居場所は文壇にはほぼ無いといっていい。それほど、私は孤独である。もともと、5、6千円くらいもあれば、大阪まで往復できるほどであるからして、今や月給取りの私にはさして負担は少ないので、それで大いに悄げるということはないのであるが、しかし、やはり、それでは何のために大阪に来たのか、自分では解しかねるところは大いにある。

度重なる親族の不幸と離散とで、18の頃から既に精神が参ってしまったがために、私は卒業の時期を逸し、定職にも就けず、大学の学費といった差し迫った入費に追われて貧乏をしていた時期、身銭を稼ぐために、ほぼ毎日、天六を経由して、中古のママチャリにのって太融寺と上新庄との間を往復していたもので、天六から中崎町、扇町、お初天神、曽根崎までの界隈にはとりわけ、破れかぶれな思い出が色濃く、私の心中に残っている。そんな時代の感傷に浸るが如く、私は、文壇の退屈で理屈臭い連中に会う用事が済むと、やがてそこの界隈を彷徨うようになった。

始め、大阪に赴いた折、私は知見を拡げる為に松島新地で廓の中にいる女と個人的な接触を持とうと試み、わざわざ金まで払って話を聞いたりなどしていたが、やがて、通い慣れて、話だけなら金はいらぬという廓に出くわすようになってはいたが、しかし、ここにいる女たちには、永井荷風が記したような色街特有の人間味などほとんど見当たらず、どころか、目の前の金ばかりに目が眩んだ者が余りにも増え、安易な理由で自身の肉体を売ることが横行していることに、些か閉口した次第で、最早、ここでは全く知見は得ることはないと考えるようになっていた。見慣れてしまったこともあるが、しかし、それ以上に、軽々しく媚態をどんな男たちにも演じてしまえる女たちの軽率さが目立ってならない。確かにそこの廓の中には打ち解けて親密な話ができる女が何人かは居たが、それでも、話をする女たちが見せる安易な楽観主義に飛びつく姿勢には、どこか世間に軽蔑されてもやむを得ないところがあると思われてならないのだ。殊にその傾向が真面目で実直な子に多いと来ているから敵わない。インテリほど、この国は白痴になりやすい傾向があるようだ。



先月末、松島新地のある廓へ、いつものようにぶらり間口まで入って、それまでの習慣に従い、金を払う事なく、女の話を懇ろに聴いている時、私は女にスカウトか何かと勘違いされてしまった。そして、時間がまだあるうちから追い出されてしまった。

「なんでそんなに優しいの??ぜったい、なんかあるに違いないわ」

「何もないで、俺はただ、君がこう真面目に話すから、そうしているだけであって…、で、今、昼の仕事するとさっきいっていたが、それは具体的に決まったん?」

「まだやけど、でも早よ、見つけて辞めないと」

「頼る実家あるんやろ??」

「あるにはある、でも…」

「実家に頼っている人だって、自分ぐらいの年齢だと、結構、今はおるから、そこまで問題は無いやろ?」

こうして何故か話が徐々に核心に近づくにつれて、

「あ、そういえば、本町かどっかに、事務職の人を募集していたとこあったのを見かけたよ、そこいったら?」

私もいけないと思いつつも、ついこうお世話を焼いてしまうところがある。どうも割り切れないのだ。

「給料、安いんやろ??」

「安かっても皆んな、それで何とか頑張っとるんやし、ここにいるよりかは学ぶ事が多いんと違う?、それに、そんなん、言うてたら、はよ辞めたいという希望は希望のままやんか。」

すると、必ず、若い娼婦の大方は、都合の悪い事を言われたがために、黙り込み、こうして、気まずい空気がお互いに流れて来て、終いに、

「あんた、スカウトやろ?普通の人なんて、絶対に嘘や、おばちゃん、呼ぶから、さっさと出て行って」

どうやら女の決めた閾を超えて私は接してしまったようだ。

大人しく私が出ようと荷物を持とうとすると、背に向かって、「何で優しいの?ほんま、でも、それが嫌になってまう」と小声で儚げにいう。そんなやりとりには慣れているのでさして気にも留めず、落ち着いた口調で、

「いつまでもこうやってウジウジしとるから、ここにもう何年もおるんよ、話聴いてたのがアホらしなった、帰るわ」

こんな事は人に対して言わないようにしていたが、何をいっても無駄だと思うと、私はやや捨て鉢な気分になり、抑え難く感情的になる嫌いがあるようだ。


この松島新地についてはまた後ほど述べることにするが、最近の娼婦はどうも覚悟が足りないところがあり、かつての色街にあった情緒が悉く失われている。確かに止むを得ない事情もあるのだろうが、金のために身を売っても差し支えないとこちらが思えるほどの理由で働いている娼婦は稀で、本当の意味で苦労している女に出くわす事はまず少ない。

デフレになって20年、私たちは出まかせばかり言い募る指導層に翻弄された為に徐々に没落していく運命であるが、ここまで売春の敷居が下がってしまったとなると、とんでも無いことが近々起こりそうに思えて仕方ない。互いに共鳴し合うところがないままに、ただ欲に流された挙句、ここを行き交う人々に「おいでやす」などと媚びを売る哀れさにつける薬などないのだ。これでは通おうとしている男たちの質の低下も止むを得ない。男は散々人をおもちゃにして自身の欲を満たそうとし、さらにもっと満たされようとして身勝手に、「付き合おうや」などと、当たり前の口調でいう。図々しい限り。女を身請けするからには、「俺、自分のこと、引き揚げてもええと思う、でもな、やっぱ迷惑やろし、きっと君の望みも叶えられないかも知れない、でもな、自分となら、俺、頑張ってみようと思うねんな」、これほどの謙虚さと覚悟がないのに、よくもまあ、しゃあしゃあと娼婦に近づこうと思うものだ。人を想う心などないのは明らかで、これじゃあ、色街が社交場としての存在意義が失われても仕方のないことである。やっぱ粋じゃないと折角行った甲斐がないと、落胆せざるを得ないものだ。


さて、この口喧嘩ともいえないギスギスしたやりとりの末、私は、もうここには用はあるまいと、階下にいた呼び込み婆が制するのを無視して、松島新地近くにある本田一丁目のバス停から大阪駅ゆきのバスに勢い乗り込んだ。

七時ごろ、バスで大阪駅に着けば、前々から打ち合わせてあった飲み会へと向かった。しかし、その会の日時を調整していた友人が場所と時間を間違えるというとんでもない失態をやってのけていた。指定された店のホームページでは阪急ターミナルビルなのに、そいつは阪急百貨店の屋上におり、すぐさまそこに行けば、ひとこと謝っても良かろうに、私以外に誰も来なんだと文句ばかりいう、普段から使えない野郎だと彼のことを肚の底では思っていたが、どういうわけか口には出さなかった。その場で突っ立っているバイト店員に何時までやってるんか尋ねてみると、何と彼の手配した予約時間の30分後に閉めるというのだから堪らない。

そしてしばらくして私以外の参加者へ彼が連絡をしてみて早速返信が来た、曰く、場所も分からんし、帰るわ。その途端、彼は、待ち合わせていた人との今後の付き合いについて考えるわと言い言いしていたが、私は内心、まず場所を言い出しっぺの本人が間違えて直ぐに詫びも入れなかった時点で、あかんやろと思った。それを言うと、平生真面目な彼とは喧嘩になりかねないのでいわず、「まあ、こんな事言わんと。」と努めて明るく言ってのけた。すると、気分を変えて西天満の瓦そばの店に行こうと彼は言い出した。で、梅田の地下街からそこへ行くと、あと30分でラストオーダーになる上に、名物の瓦そばも売り切れですという、店はええかも知らんけどそんならここに入ってもそんな楽しめないで、と私は彼を優しく諭して、西天満から中崎町まで向かった。その途中、「もう歩かれへんし、眠い」と、彼はぺたりと地べたに座り込んでしまった。西天満から中崎町なら距離も短いのに、おい、お前ふざけとるんかいな、場所は間違える、飲める時間もたかが30分しかない手配をする、何故梅田の近辺でもっと融通のきく店を探す努力もせんだ、しかも32にもなってこうして地べたに座るなど言語道断や、と私は本当に怒ってしまいそうになったが、折角名古屋から来たのだから怒ったら損やと、落ち着いて、まあまあ、そない言わんとな、と、中崎町にある店に何とか引きずって、乾杯をする。

飲むなり、彼は、「もうだめだ、俺の人生は暗黒だ」などとくだを巻き、行き場のない鬱憤をどうすればよいのか、遠い目をして、「君みたいに遊ぶ金はないねん、家賃5万やし、手取り15万やし」

散々、彼は日頃の生活の鬱憤を言い募っていたが、その理由も今回一件で見受けれた気遣いの無さにあるん違うかと内心思い、俺だってこうして大阪で飲めるようになるには、幾分、乗り越えないといけない壁みたいなものがあるんやぜと言いかけたが、それを言うと、平生真面目一辺倒な彼がますます落ち込むと思えたので、「まあ、気にせんと、明るく飲もまい」、そう励まし、散々食べて飲んで、二人合わせて3500円という、かなり安い会計を支払い店を出ると、直ぐに帰るという。次の日も休みだというのに何と無粋な振る舞いかと、中崎町の商店街にあるラーメン屋に無理矢理連れ込み、その訳を聞くと、俺、明日、見たいものがあんねんな、明日の昼の12時には豊中に行かならん、それを聞いて私は、「そんなん、まだ10時前で宵の口やのに、それは無いわ、せめて終電まで付き合え」と、そのラーメン屋で何とか彼の自尊心を傷つけないように言うも、「何で今日こうなったんやろか?」

こう愚痴り出す。それはお前さんの気遣いの無さと気弱さが災いしとるからやろ、俺みたく図太く生きやんとな、しかし、なにを言ってもクスリとも笑わなんだ。たまたま同席した41歳のおばちゃんに、「お兄さん、酒飲んでるのに暗いんは良くないで」と言われても、彼はため息しかつかなんだ。気障に苦笑しているところなぞ、痛々しかった。もうやりきれないと思ったが、そこのラーメン屋の亭主が私と同じく名古屋の人間であった事から、何とか話の糸口が見つかり、何とか彼を楽しませるように、ここの手羽先はうまいでとか、大阪のラーメン屋で一番に美味いのは天満の玉三郎というがここのラーメンは負けたらへん、白山中学はエラい学校やで、あっこはヤクザかフィリピンパブの女の子供しかおらへんだなどと、話が幾分盛り上げて、彼の落胆を何とか紛らわした。

こうしてたまたま知り合った41のおばちゃんと多分に打ち解け連れ立って、すぐ隣の酒場に行こうとすれば、あろうことか、「俺は初対面の人と飲めへん」と、そのおばちゃんのいるのをはばかる事なく愚図り出したので、多少酔っていたといえ、無頼気取りの流石の私も些か狼狽した。普段、空気が読めない、協調性がない、社会人としての礼節が全くないなどと、散々、苦言とも忠告とも取れることを言われ続けている私でもこれはマズイと思ったが、口をでてしまったからには、しょうがないと苦笑いしながら、「あっ、さてはさては、遊び慣れてへんな、初対面飲みおもろいやんか」

早速、空気を取り直して、些か気疲れしながら、私はおそらく気を悪くしたであろう41のおばちゃんに、彼の手前、口では謝れない気詰まりから苦し紛れに私が何とか視線で詫びれるかと苦心していると、彼女は粋を利かせて、「あたし、ここでもう少し飲んでから行くわ」恐らくここだけの縁だろうと私は直感して背中に冷たい汗が流れたのをはっきり意識した。

止むを得ず、彼を連れ立って隣の酒場に移るなり、早速、彼は、大阪の路地裏にある安い酒場に不釣り合いな事を注文した。

「あのう、マスター、僕に似合う一番のカクテルを」

そのドヤ顔、私は余りの場違いな事をいう彼をその場で怒鳴り付けようかと思ってしまった。 そして、彼との付き合いについてよくよく考えようと、かなりの時間、ぼんやりしてしまった。余りにも無粋すぎるのだ。

このように大阪に行くたびに何か日常とは違うことが起こるのである。酒があるからだといえばそうだろうが、どうもそれだけではないらしい。

翌日の昼、文楽劇場で、兼ねてから楽しみにしていた浪曲師の講談を聞いていた折、彼からラインで、「俺、中崎町はええわ、なんか、店一帯が貧乏くさい。それにうちの近所にそんな店あるしな」

一瞬、目がクラクラした。

その時、松島新地といい、この彼といい、もはや縁がなくなってしまったかと思い、切なくなって、浪曲師の拳の効いた声が一層、胸に響いた。

しかし、こんな事にも懲りずにまた大阪に私は来るのだろう。その理由は聞くな、それは野暮やぜ、私はこう独り言をいって、憂鬱な月曜の朝を新栄にある長屋で明るく迎えるのである。

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