命のやり取り


 …………ルルーはねえ様に言われたことを思い出す。


 ここは、酷い世界で、誰も彼もがあなたに辛く当たるでしょう。


 嫌な思いもいっぱいするし、嫌なこともいっぱいされるでしょう。


 だけど、だからこそ、あなたは、優しくなって欲しい。


 誰も傷つけないで、困ってる人に手を差し伸べられるような人になって欲しい。


 そう、言っていた。


 優しくなったらねえ様はもっと好きになってくれえる?


 訊いたのを覚えている。


 ねえ様は優しく微笑み返してくれたんだ。


 …………きっと、もう二度と、あの笑顔は向けてもらえないだろうな。


 思っても、そこに諦めはあっても、後悔はなかった。


 ▼


「が! お! ぬ! ほげ!」


 繰り返される単音を聞きながらも、ルルーは手を止めなかった。


 両手が痛い。


 手の平も切れてるし、関節も筋肉も肺もわき腹も痛い。


 だけどルルーは、折れた斧の刃を持ち上げた。


 砕けでなお大きすぎる金属の塊を両手でつかんで、限界まで持ち上げて、そこから全力で叩き落す。


 表現なんかもしたくない手応え、飛び散るのは血とそれ以外の何か、汚れるのも気にせず、ルルーは引き上げて、また持ち上げる。


 ……こうやって何度もチンチロの頭に打ち付けた。


 弱すぎる力、これでも小さすぎる刃、それでもかまわず何度も何度も繰り返す。


 対してチンチロも反応する。


 単純に腕で顔を庇おうと、だけどその隙にオセロがもがく。


 脱出を狙うオセロ、膝をやられた身でチンチロも、これを逃せば次がないと知っているようだった。


 だから、手放せない。


 だから、オセロを握りつぶすことを優先した。


 だから、ルルーの攻撃を受け続ける。


 腕の血管が浮かび上がり、オセロのもがきが弱くなる。


 その前にその前に、ただただ焦りがルルーを突き動かす。


 その前に、こいつを潰す。


 ……ルルーは、チンチロを殺そうとしていた。


 何度も何度も何度も何度も、明確な殺意をもって、斧の欠片でその顔を、頭を、命を、叩き潰そうとしていた。


 なのに、死なない。


「ご、ぼ……ぼほ」


 途切れ途切れの意味不明な声ともつかない音を無視して、また叩きつける。まだ叩きつける。


 人を殺す。こいつを殺す。


 これが殺意なのか、憎悪なのかわからないけど、それでもルルーは手を止めなかった。


 そしてまた一撃、叩きつける。


 ぐちゃぐちゃな顔、どれが鼻で目で口からもわからない。でもまだ生きてる。だから潰す。


 ……どれくらいか何度目か、最初から数えもしてなかった攻撃の連続、それが、やっと実を結ぶ。


 どさり、と音がして、正に力尽きたと言った感じで、その筋肉の両腕が地面に落ちた。


 同時に、転げ落ちるようにオセロが解放されていた。


 ただそれだけで、その手足は投げ出されて、まるで死人のようだった。


 安堵からの新たな心配、そこへ駆け寄ろうとするルルーは、足元の声で止まった。


 目が合う。


 片目は潰れているも、それでもチンチロの目は、怒りが宿っていた。


 生きている。殺せてない。また、邪魔になる。


 冷静で冷酷な思考が導き出す。


 ……ルルーは、そこから三歩下がって、改めて斧の刃を高く持ち上げた。


 そして二歩の助走をつけて、全体重、全力を乗せて、まるでフカフカのベットへ飛び込むみたいに、その小さな体全てを投げ打って、チンチロの顔面へ、手にした凶器を叩きつけた。


 衝撃、痛い手応え、最大の砕ける音、体を起こし、見下ろす先には痙攣する筋肉、それが伸びて転がって……音もしなくなって…………そして動かなくなった。



 ルルーは産まれて初めて、人を、殺した。



 ……緊張、解放、ストレス、何がそうさせたのか、ルルーは胃の中の透明な粘液を吐き出した。


 嗚咽、悪寒、そしてこれは、罪悪感なんだろう。


 だけど、そんなものに構っている暇はない。


 ルルーは口を拭うと、立ち上がり、オセロへと駆け寄った。


 ▼


 この瞬間ほど、ルルーは自分の非力さを呪ったことはなかった。


 傷だらけのオセロ、息も絶え絶えで、絶対安静が必要だと嫌でもわかる。


 なのに、小さなルルー一人では運べない。だからこうして、歩かせている。


 できるのは杖の代わりになるだけ、それすらもふらついて支え切れていない。


 それでも、ルルーはオセロを連れて家の中へと入った。


 あの、あこがれていた白い家、オセロの途切れ途切れの言葉に従い入った中は綺麗だった。


 中は当然真っ暗だった。


 それでも辛うじて差し込む夕日の残り日から、うっすらと見えはした。


 中央に椅子、端にベット、棚は空で、窓は木の板が打ち付けられていて塞がれている。だけど床には埃の跡もなかった。


 掃除されてる、それも最近だとルルーは思いながら中央に置かれてあった椅子へとオセロを座らせる。


 治療、だけどその前に灯りが必要だ。


 見回せば暖炉、薪はなく、火種もない。


 と、オセロの震える指が部屋の角を指す。見れば、小さなカバンがあった。


 開けると巻かれた包帯、解毒ポーション、お酒、ナイフや火打石なんかが入っていた。


 火種はある、後は薪だ。


 まだ見てない裏へと通じる裏口から外へと飛び出すと真っ暗、それでも下りる階段に手すりが見える。


 蔦が張って、少し苔むしてて、それでも綺麗とわかる手すり、迷わず蹴り壊す。


 根元は腐ってたらしく、簡単に折れた。


 室内に引きずり込んで、踏み砕いて、バラバラにして、掬い上げて暖炉に放り込む。


 それから火打石、フリントとかいう方だ。これに金属をぶつけて火花を出す。見たことはあってもやったことはない。だけど見たことはある。


 ナイフ、引っ張り出して、暖炉へ。


 薪の上で打ち鳴らす。


 弱い、火花も出てない。


 もう一度、強く。


 火花、出た。だけど燃えない。


 何度も何度も繰り返す。


 火花は出せる。でも点かない。


 薪が湿気っているのか、やり方が間違ってるのか、わからないままただただ必死で火花を散らす。


 オセロなら、簡単に燃やすのに、点かない。


 こんなこともできない……自分への怒りを火打石にぶつけて一際大きな火花を飛ばす。


 ……煙が、上がった。


 できた。だけどこれからだ。


 身をかがめ、口をすぼめ、唾を飛ばさないよう気を付けながら、大事に息を吹きかける。


 ゆっくり、だけど強く、多く、空気を送る。


 赤い火、燃え上がる。


 薪の弾ける音、明るくなる室内、火は大きく炎になった。


 ……できた。


 嬉しくて、本当に久しぶりに笑って、褒めてもらいたくて、ルルーは振り返った。


 そこにオセロが立っていた。


 まるで幽霊みたいに、怖い顔して、静かに立っていた。


 その姿に、何かを言う前にルルーはオセロに引き倒された。


 入れ違うように暖炉の前に立ったオセロは、左腕からリボンを外すと、恐ろしい音がした。


 砕けて、千切れる音、そして引き抜く音がして、オセロは左腕の傷口から、中の骨を引きずり出した。


 血に染まった骨に見向きもせずに、残る筋肉を束ねて畳むと、膝を折って炎にかがみ、まとめて中へと突っ込んだ。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 声にならない絶叫、重なるのは肉の焼ける音、漂う臭いまでもが香ばしい。


 突如の暴挙、何もできなルルーの目の前で、嫌というほど時間が流れた。


 …………オセロは炎から腕を引き抜きながら、真後ろへばったりと倒れた。


 そして、動かないオセロ、ジュクジュクと傷口だけが焦げて泡立っている。


 遅れてルルーはオセロへ飛びつき顔へと耳を近づける。


 …………呼吸は、している。生きている。


 ルルーは跳び起きた。


 やるべきことは、山ほどあった。


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