悪魔が支配する場所

 ……ルルーは文字通り引きずられながら、何も考えられなかった。


 ただ全身の痛みと、後悔と、あとは彼らの笑い声だけがあった。


「お前、マジサイコー。天下のアンドモア、その一角とあろうお方が、メスガキに手柄とられるとかぁ、ねぇよなぁ?」


 目に涙を浮かべて爆笑してるダービーをパチンコが顔を真っ赤にして睨みつけ、怒鳴り返す。


「うるせぇぞ! それを言うなら逃げられた俺じゃなくて刺されたオセロだろが!」


「それ、違う。奇襲、だまし討ち、横取り、どれでも殺したやつが殺したやつ、常識よ」


「なんだとロト? この際お前との一騎打ちでも俺は構わんぞ?」


「ダメだよ喧嘩しちゃ。こういう時は筋肉で仲直りしなきゃ」


「うるせぇチンチロ、筋トレで何とかなんのはお前だけだろ」


「違うって、ほら、久しぶりのメスじゃん。しかも幼いの。だから今夜はさ」


「だめです」


「あ?」


「はぁ?」


「何、言ってるよ」


「そんなバカラこと言わないで」


「チンチロ、それは言わない約束です」


「うん。言わない。だから」


「だめです」


「何でてめぇは決めてんだよバカラ!」


「みなさん、我々の今の目的を忘れないで下さい。少なくとも彼女は生きたまま、生で、引き渡さないといけないのです。でないと契約が」


「知るか!」


 怒声、同時にルルーが蹴り飛ばされ、地面に転がる。


「こいつは俺を辱めた上に一騎打ち邪魔した挙句にオセロまで奪いやがった。これで落とし前無しとかそれこそアンドモアの名折れだろが!」


 怒声、そしてシュルリと刀を引き抜く音、あぁこれから斬られるんだ、とルルーは思った。


 ……思っただけで、何かしようとは思わなかった。


 むしろ、ここで斬られる方がすっきりする、なんて、思っていた。


「それこそだめです! 落ち着いて考えてください! 相手はあのオセロですよ? 経歴、噂、正しければ我々に負けず劣らずの手練れです。それがあんな一突きで、ましてや落ちたぐらいじゃ死ぬわけないでしょ?」


 ……言われて、その可能性を忘れてた自分に、ルルーは驚いた。


 つまり今の今まで、ルルーは、オセロを殺してしまったものだと、無意識に、思っていたのだ。


 だから魂も抜けるし、斬られても良いと、思っているのだと、ルルーは自分を改めて見た。


 これは、普通のことではなかった。


 普通なら、まともなら、あの状況でも、オセロは生きてると、言い張るはずだ。


 こいつらが何か言って笑って死んだって言っても、それで殴られたりするとわかっていても、例え目の前に死体を見せつけられたとしても、それでも生きていると言い張るのがルルーの役目だったんじゃないのか?


 そんな、物語の基礎みたいなこともできないで、よくそんなので今まで一緒に旅ができたな。


 …………誰かに直接指摘されたわけでもないのに、ルルーは、勝手に深く傷ついていた。


「……だったら、このメスガキを取り戻しに来る可能性がある。少なくとも身柄をかけての勝負、ならばあり得る話でしょ? 傷つけて商品価値が無くなったら無視するかもしれない」


「そっちの方がぶちキレるかもな」


「だとしたら、オセロなら私たちが一番いら立つ手段を、つまりは無視をしてくる可能性が出てきます。そうなったら嫌でしょ? 殺すのはいつでもできますが生き返らせるのはできません。だから今は我慢してください」


 ……カチン、という音、皮肉にも刀を収めた音で、意識が返ってきた。


「……それにみなさんも、お腹すいてるんですよ。もう着きましたし、食事にしましょう」


 バカラの言葉に、残る四人がおいおいに返事する。


 そしてまた引き立てられたルルーが目にしたのは、地獄だった。


 ▼


 地面に突き立てられた柱に人が吊るされている。


 干された、枯れ枝のような体からは悪臭が立ち上っている。両腕を縛られ、括り付けられ、体のあちこちは欠けているか、あるいは木の枝なんかがあちこちに刺されて、付け加えられていた。


 頭陀袋に隠された顔からは、辛うじてうめき声が聞こえる。


 それが、見渡す限りぐるりと続いていた。


 まるで壁、いや垣根というやつだろう。一定間隔で、三重に、並べられていた。


 彼らが囲うのは石造りの町並みだった。


 どれもこれも薄汚れていて、汚くて、悪臭がするのは他のデフォルトランドの町々と一緒だけど、ここの匂いは肉の腐った、赤さび臭い……死体の匂いだった。


 その中を歩き回る人の数は予想よりも多かった。


 世話しなく仕事をしながらも、こちらに向かって、正確にはアンドモアの五人に対して気を張っているのが、怯えているのが、ルルーにもわかった。


 いつ命令が飛んでくるのか、何が彼らの機嫌を損ねるのか、どんな理不尽が飛んでくるのか、気が気ではないのだ。


 そんな彼らは、ルルーの目から見て二種類にわかれているようだった。


 一つは、これまで見てきたのと同じ、頭に頭陀袋を被った奴隷だった。


 最低限のぼろきれを吹くと言い張り、やせ細った手足、泥だらけの素足、見えてる指は爪が割れ、指が欠けてるのも珍しくない。その全てが、擦り切れ、疲れ果て、失いつくしていた。それでも残るわずかな命で、下された命令に従い動いているだけの、半分死んでいるような人たちだった。


 そしてもう一つは、アンドモアの印を象った仮面を付けていた。


 古く使い込まれているが最低限の役割は果たしそうな革の鎧、太ってはいないが痩せてもない手足、擦り切れた靴、手は綺麗で、爪も磨かれていた。彼らは手に持った革の鞭で頭陀袋の奴隷たちを打ちながら、視線は五人に向けてお伺いを立てていた。


 彼らは裏切り者だとルルーは判断した。


 同じ奴隷の身分、立場なのに、他の奴隷を売り、ご主人様の代わりに見張って命令する、班長とか奴隷頭とか中間管理職とか呼び方は違っても、ルルーの目には揃って裏切り者にしか見えなかった。


 強者に媚び売り、弱者を虐げる、自身には支配する力も反抗する力もないくせに、さも偉そうにのさばっている、彼らが嫌いなのは、ルルーも同じだからだった。


 自分の将来はあぁなるのだろう、それが賢くてリアルな将来なのだ。そう思わされるだけで、ルルーの胸は苦しくなる。


 それはこんな状況でも一緒だった。


 そんなルルーを引きずりながら歩く五人は、これが日常の風景で、何も感じないらしく、彼らを無視しながら他愛のないおしゃべりを弾ませつつ、進むのだった。


 と、足が止まった。


 それだけで、周囲がびくりと震えた。


「…………なぁ、やっぱあれずれてねぇか?」


「思うならあなたが直してくれてもいいんですよダービーさん?」


「いや、それこそ手先の器用なバカラがやるべきだろぉ?」


「無理です。あれは、重いですから」


「だったら俺が」


「チンチロはだめです!」


 彼らがやいのやいのと騒ぎながら見上げてるのは、大きな教会の鐘突きの塔だった。その側面、こちら側、見やすい場所に吊るされているのは、円の中を三等分するように引かれた線、アンドモアを象徴するシンボルが、金属のオブジェとしてロープで吊るし上げられていた。


「ぎゃああ!」


 短い悲鳴、視線を落とせば、頭陀袋の一人が、うずくまっていた。


 その前に転がっているのは、切り落とされたばかりの手首だった。


「お前、今俺を視姦しただろ?」


 血塗られた刀を手に、パチンコが唸った。


 「まーた吊るすのか? もう飽きたよそれ、リアクション1種類だけだしよぉ」


 ダービーが肩を落としながら言った。


 ……ここは、彼らの支配する地獄だった。

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