四角関係

 …………ルルーの頭は、合理的な答えを導き出すのに忙しかった。


 だからコロンに横に押しやられても、そのコロンが扉をくぐって前に出ても、それに応じるようにオセロが立ち上がって、いつものように鉄棒を構えても、動けなかった。


 そんなことよりも合理的な、オセロがナイフを投げてきた理由を、見つけて落ち着くのが最優先だった。


「下がってるんだレイディ、下がるんだ」


 コロンに言われても、まだ合理的な理由を見つけられてないルルーは動けなかった。まるで動き方を忘れたみたいに、どうして良いか、わからなくなっていた。


 ただ一つ、動かせる視線が下に向いて、先ほどルルーに投げつけられたナイフが、床に転がっていた。


 攻撃された? オセロに?


 そんなわけ、ない。


 打ち消しながらオセロを見上げれば、オセロは、こちらに鉄棒を向けていた。


 両手に持って腰の高さで、先端をこちらに向けて、


「盗み聞きとは、自称とはいえ王子がすることとは思えませんね」


 ルルーを思考から引き揚げたのは初めて聞く、女性の声だった。


「自称? 私が本物だと一番知っているのは君だろ村長。いや、エージェント・ポピー」


 新た情報に、ルルーはさらに混乱した。


「……懐かしいですね。そんな名前で呼ばれてたのが、本当に久しぶりに呼ばれましたよ」


 凛とした、というのだろう。よく通る声でそう言いながら光り輝く村長、いやポピーという女性が、オセロの横を抜けて前に進み出てきた。


 ステンドグラスの灯りから離れることでその煌きは減り、ようやくルルーにもその姿を正確に見ることができた。


 そのほっそりとしながら女性らしい曲線を持つ体には薄手の白いワンピースのような服を着ていた。裸足で、指輪もなく、だけどアップで止めた灰銀の髪にちょこんと金色の王冠が乗っている。


 そして肝心の顔は、皺だらけだった。


 いや、実際の手触りはつるつるなんだろう。皺と皺との間を埋めるように透明に煌く何かが埋めていて、それに煌きに目が眩んで輪郭が普通の女性のように見える。


 だけど、その顔は、老人としか言いようがなかった。


 ……ただしルルーは、老婆というものを、年齢を重ねた女性というものを初めて見たのだった。


 ただでさえ人の扱いが酷いこのデフォルトランドでは、女性にも老人にも何もかもが厳しい。


 ましてやその両方が重なるとなれば、どうやれば生き残れるのか、ルルーには考えもつかなかった。


「……それで、昔話のためにここに来たわけでは、ないでしょ?」


 そんなポピーの口元が微笑んだように上がったのに、それ以外の顔のパーツがピクリとも動かないのは、そういうものなのかと思った。


「無論だ。今日こそ私の物を、その頭の王冠を返してもらおう」


 コロンの一言に、ポピーはフフフと笑った。


「あなたは、未だにこれに執着しているのですが? いい加減、諦めるということを学びなさい。それともそんなにこの王冠に、身分に執着しますか?」


「馬鹿なことを、今更身分など」


 これに、今度はコロンが静かに笑った。だけど続く言葉は、重かった。


「私がわざわざここに残ったのは、王冠を取り戻すためなどではない。お前から王冠を取り戻したいからなのだ。ここで、地獄を作っている、お前からな」


 重いコロンの言葉をあざけるように、ポピーの言葉は軽く、表情も笑っていた。


「地獄? ここは楽園ですよ。実際、みんな幸せです」


「……あの、門番もか?」


 コロンが変わった。重く強く、言葉だけでなくすべてから、敵意がにじみ出ていた。


 対してポピーの表情は変わらない。むしろ自信というか、余裕が全身よりにじみ出ているかのようだった。


「それはレイザーイのことですか? もちろんですとも。彼女こそまさに幸せです。ボロボロだった彼女はこの村で生まれ変わり、今まさに幸せの絶頂にあるのですよ」


「ふざけるな!」


 コロンの怒声が、場を振るわせる。


「あれが幸せだと? あの姿がか? あんなにやせ細り、擦り切った体を麦粥で無理やり動かすあの姿がか? あの顔を見てお前は何も感じないのか! あの耳も鼻も朽ちて落ちて! 歯もほぼ抜け落ちたあの顔を! お前は幸せと見てたのか!」


 むき出しの感情のまま吐き出されたコロンの怒りは、詳しいことを知らないルルーにも十分に伝わった。


 にもかかわらず、ポピーにはピンと来てないようだった。


「顔? 貴方が顔を言いますか? あんな化け物と一緒に暮らしておきながらですか?」


 このポピーの一言は、決定的な敵対を意味していた。


 その上でまだこのポピーは言葉を続ける。


「貴方だって、自分が醜いと自覚してるから、そんな被り物をしてるんでしょ?」


 気に障る声、だけどそのおかげでルルーの頭に合理的な答えが閃いた。


 こんなの被ってたらパンツ一丁の変態でもない限り誰だかわかりっこない。


 閃くと同時に鳥のマスクを引きはがし、オセロへ、ルルーの素顔を見せる。


「レイディ! マスクを外すな!」


 コロンの警告が届く前に、ルルーの一嗅ぎが、この場の空気を鼻孔へと運んだ。


 ごぇ!


 嗚咽を超え、喉奥より透明な粘液を吐き出さざるを得ないほどの、強烈な悪臭だった。


 見っともないとか、敵の前だとか、オセロに見られてるとか、色々あるのに吐き気は収まらないで、喉からせり上がる涎みたいな粘液を口から吐き捨て続けた。


 馴れるのは、無理、判断したルルーは、逆さにしたマスクの嘴部分を口に当て吸い、それ以外は外して吐き出した。


 それで何とか、呼吸を整えられる。


「あら、こちらのお嬢さんはちゃんと可愛いらしいじゃない。やっぱ王子もあんな化け物より美人がお好み? それともお若いから、かしら?」


 ポピーの癇に障る言葉に、ルルーは睨みつけようと視線を上げた。


 ……だけとその視線はすぐに、マスクの狭い視野では気が付けなかった、部屋の隅へと引き寄せられた。


 そこは、いくつかの仕切りで区切られていた。


 一つ一つが小さな部屋で、トイレよりかは少し広いぐらいのスペースで、そこにはベッドのようなベンチのような台が、置かれてあって、そこに、男の人が一人一人、座っていた。


 白かっただろうシーツを腰に巻き付けてるだけで、下半身以外をほとんどさらけ出していた。


 人種に、共通点は見いだせなかった。ただみんな総じて若くて、鍛えられた体で、そこに傷もムダ毛も少なくて、髭のない顔なんかは、ルルーから見ても美形なな人たちだった。


 だけど、その姿にときめかないのは、彼らの目が全て虚ろに死んでるからだった。


 例えるなら、まるで魂が抜け落ちてるかのようだった。


 焦点の合わない視線で、目の前で色々あったのにそれを見ないで、ここではない何処かを見つめて、涎を垂らしながら、ただ座っているだけ、生きているようには見えなかった。


 ……彼らのような目を、ルルーは何度も見てきた。大切な、それこそ命よりも大切なものを失ったものの目だ。


 彼らが何を失ったかは知らないけれど、それでも何がどうやって奪ったのかは、容易に想像できた。


「素敵でしょ?」


 自慢気な声に、視線を戻す。


 そこには、さっきまでとは違う雰囲気の、まさに支配者としての、ポピーがいた。


「彼らは私が選りすぐったアイドルたちです。見た目はもちろん、この場所に至るには、内面の美しさを証明する必要があります。それは贈り物であったり、芸事であったり、あるいは化け物退治をしたり、です」


 そう言いながら、ポピーは優雅な動作で部屋の隅の一つを手で指した。


 指し示す先は、空席になっていた。


 そこが誰のための席かは、言われなくてもわかった。


「お嬢さん。あなたもこちらにおいでなさい。そうすれば世話役として、毎日彼らと会えますよ? このオセロだけでなく、他のアイドルとも、ね?」


 この一言にルルーが感じたのは、爆発しそうな怒りだった。


 オセロを、こんなところで、あんなにしてたまるもんですか。


 沸き上がるルルーの怒りを代弁するかのようにコロンは前に出た。そして言葉を詐欺るように大きくヌンチャクを振るった。


 風切り音、だがすぐに衝突音に変わる。


 ……それを弾いたのは、他ならないオセロの鉄棒だった。

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