大事なもの

 …………結構な時間、待ち続けるうちに、ルルーもいい加減不安になってきた。


 良くない考え、良くない想像、振り払い、考えるのはあった時の第一声、なんて言うべきか、想像もつかなかった。


 だから足音がして、振り返ったルルーは笑顔だった。


 だけどそれもすぐに引きつり、消える。


 現れたのはオセロではなかった。


「あーいだいだ。探しただよ」


 そう言いながら入ってきたのは、オークの男、あのウィートティーを持ってきた男だった。最初に会った時と変わらず、丸々と太った大きな体には短パンだけで、違うのは持っているのがお盆じゃなくて、太い木の棒だった。それだけを手に、オークの男はテクテクとルルーの前まで歩いてくると立ち止まり、自然な動きでその棒を頭上へと高々と振り上げた。


 そして振り下ろされる。


 その事前の脅しも掛け声もないまま振るわれんとする暴力にルルーの反応は遅れた。


 それでも何とか全身を投げ出すように右へと跳んでかわせた。


 バギン、と音を立てて床に当たった木の棒は、その先端がわずかに砕けた。


 それが何でもないように、男は向き直り、棒をまた振り上げながら、ルルーに向き直る。


 その姿に、ルルーが思うのは、まだオセロに聞かせてない物語の続きだった。


 ▼


 第五の試練、残影の底。


 部屋は広く、特にその天井は高くて光も届かない。辛うじて視認できる反対側には今まで通りの出口が見える。


 そして床には、赤黒い染みが広がっている。


 ……ここは、第一と第二の試練の穴の底だった。


 だからそこらには失敗した犠牲者がぺちゃんこになって転がっている。


 大半は衝撃で減刑もとどめてないが、中には丈夫な武具なんかは形を保っていたりする。


 そしてそこに足を一歩踏み入れれば、その赤黒い染みより、同じ色の人の姿が次々と立ち上がる。


 彼らはここに堕ちて死んで魂がとらわれた亡霊だった。


 だが実体こそ持つものの、すでに知能は失われ、その動きは遅く、力も弱く、武器も防具もない。ちょっとした軽い攻撃でも簡単に崩れ落ちる。生前の面影も残らぬ雑魚となり果てている。


 しかし数は尋常ではない。


 部屋いっぱいに現れ、迫り、捕まえて押しつぶそうとしてくる。しかも倒しても倒しても次々の追加が現れるのだ。


 ここまで来てやっとの戦闘、それも単純な物量戦、それをかき分け突破し、反対側へと渡るのが、この試練だった。


 ▼


 ……思い出すならもっと感動的なエピソードがよかったと、走馬燈にケチをつけるには十分な時間、だけど立ち上がり逃げ出すには短すぎる時間の後に、また大男は木の棒を振り上げる。


 今度こそ回避不能、ルルーにできるとこは目をぎゅっと閉じることだけだった。


 闇の中、聞こえたのは衝突音、何かが粉々に砕け散る音……だけど、衝突したのはルルーではなかった。


 瞼を開いて見えたのは、振り下ろされたのに半分近くが折れて短くなった木の棒と、横を信じられないという表情で見ている男の顔だ。その視線を辿れば、奥の本棚に、見慣れた鉄の棒が突き刺さっていた。


 見慣れた、見たかった一投に、その跳んできた方向、入口へ、視線を向ければ、そこにオセロが立っていた。


 汗だくで、息も切れてて、ぽかんとしてて、だけど、来てくれた。


 やっぱりオセロは、図書室に現れた。


 それだけで、ピンチな状況なのに、ルルーはまた笑顔に戻れた。


 ▼


 この非常時に、オセロが学校にまで慌てて来たのは、実を言うと麦畑がもう手が付けられない状態だったからだった。


 麦と言うのは収穫前だと枯れて水気が切れてて乾燥していて、つまりは良く燃える。そもそも火付けに使われる藁だって麦の茎なのだ。それが密集して生えているところに火の手が上がれば、次々と轟々と燃え移るのは当然で、それがこうも広く広がればもう、手遅れだ。そこに水だろうか土だろうが、人手でかぶせる程度じゃ消えるわけがない。全部燃え尽きるのを待つか、あるいは雨を待つか、まだ見ぬ強大な魔法でも持ち出せるのなら、何とかなるかもしれないが、村にはどれもなかった。それでも村人たちは必死に水を、土を、それも足りなれば己の血を浴びせて火を消そうと試みていた。


 そのどれもが無駄で、その行為を止めることすら無駄もだと判断したオセロは事前の策をとった。


 それは、つまり、お話を守ることだった。


 最優先に大事なことではない。それに学校の校舎は避難場所にできるほど丈夫で、燃えにくく、何より畑よりも離れている。ならば燃える心配はない、と頭ではわかっているのだが、それでも走る足を止められなかった。


 ほら見ろ安全だった、ほっといても大丈夫、そう確信してから次に回ろう。


 そう思って図書室に入ったのだった。


 ……だから、はっきり言って、入って目にするその瞬間まで、オセロはすっかりと、ルルーの存在を忘れていた。


 いや、覚えていたはずだ。忘れられるわけがない。これまでの仕事だって、ルルーの身柄を認めてもらうためにしてきたのだ。それにお話だって、聞いた、はずだ。いや違う。そうじゃない。じゃあ、あれは……


 混乱しながらも、オセロの体は速やかに最適に動いた。


 ここまで走るのに重くて邪魔で何度も捨てようかと思った鉄の棒をまっすぐ投擲、狙い通りに大男の得物、木棒に当てられた。


 粉砕、攻撃の妨害、こちらへ注意を向けさせる、までは狙い通り、だが、奥の本棚までは計算外だ。


 ものを壊した、村のものを。また怒られる。


 誰に?


 頭がボンやるする。わかっている当然のことが出てこない。まるで寝起きか、深酒したかみたいないなかんじで、思い出せない。


 そんなオセロに向かい、男は半分になった木の棒を持ち直しながら向き直る。


「お前、新入り、何すんだでめぇ」


「……いや、なぁ。そいつは味方だって、言ってなかったか?」


 言った。これは言ってあるはずだ。この男はここの、学校の番人だと聞いてる。ならルルーと出くわす機会も多いだろうから、気を付けるように、手を出さないように、目を合わせてちゃんと伝えてあるはずだ。これは確かだ。


「んなこと知ったこっちゃねぇ」


 言って男はまたもルルーに向かい、半分の木の棒を振り上げる。


 なら、仕方ない。潰そう。


 整いつつあった息をまた吸って、オセロは駆けだす。


 同時に、男の顔面に向けて財布を投げつける。その悲しいほどに軽くて小さな財布に男は過剰に反応し、両手でその顔を、己の視界を塞いだ。


 そのチャンスに間合いを詰める。


 一歩で拳の間合い、狙いは顎への殴り上げ、頭を揺らして気絶させる。


 そこまで行けたオセロを、第三者が突き刺した。

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