素敵な朝
朝、強い風の音でルルーは目が覚めた。
目覚めは、スッキリしていた。
幸い悪夢は見なかったけど、でも夢は見た。
……なんでも夢とは、起きてた時に覚えた記憶を整理するためのものだとか、あるいは意識が消えて無意識が表に出てきたものだとか、あるいは抜け出た魂が経験したこととか精霊とのニアミスとか、色々言われてるらしい。
けど、そのどれが正解ならば、黒光りするビキニアーマーを着たオセロにテーブルマナーを教える約束をする夢を見るんだろうか?
……まぁ、おかげで悪夢は見ないで済んで、素敵な朝を迎えられた。
怖いのなんか忘れちゃえば平気なもんね、と思いながらルルーは体を起こす。
タクヤンはまだ寝ていた。だらしなく口を開けてて、ベレー帽はしっかりと被ってて、酒瓶を抱えてるからひょっとすると飲んでて夜遅かったのかもしれない。
オセロはすでに起きてて荷物の整理をしていた。取り出してるクラッカーなんかは朝食にするんだろう。
「よぉ」
「はい」
おはよう、というのが目覚めた時の挨拶だとは、ねえ様に教わったけど、オセロとの挨拶はいつもこんな感じだった。不思議な感じは拭えないけど、通じるなら良いかな、とルルー最近は思うようになっていた。
「トイレ、行ってきます」
オセロと短く挨拶してから、ルルー隠れ家を出る。そして道横切って反対側のトイレへと入った。
ここら一体の家の間取りはどこも似通っていて、トイレは外に、共同ぽいのがある。ここらは人口が少ないのか、掃除してるわけでもないのに汚れてなくて、そんなに臭くもない。ちゃんとトイレットペーパーも置いてあるけど、これはタクヤンが持ち込んだものらしい。
なら勝手に持ってくのは辞めといた方が良いだろう。
思いながら手を洗う。
雨水を溜めた水、飲めるほどには綺麗じゃないけど、トイレ後に手を洗う程度にはまだ綺麗だろう。
手を振って雫を払いながら道に出て、何となく周囲を見回す。
ここは村の外れ辺りらしい。家々が立ち並ぶ方とは反対側の道は山に続いていて、すぐさま獣道になる。草木に侵食され、井戸も崩れ、寄り付く人もいない。静かな場所だった。
だから隠れ家に選んだんだろう、なんて考えてたら、目が合った。
……合ってしまった。
山の方、獣道、そこのすぐ横の草むら、立っていた。
朝日は明るい。距離もそんなに離れてない。起きたばっかで寝ぼけてないとは、言い切れないけど、ルルーの目は、その一つ目をしっかりと見ていた。
そいつは、どう見ても人ではなかった。
シルエットは人のもの、背丈はオセロより高い。全身の皮膚は茶色く、しわくちゃで、頭には毛も耳も鼻も口もなくて、顔には赤い一つ目だけが光ってる。
それが、一歩、ルルーに迫った。
声もでない。
突然のことに恐怖すら浮かばず、ただ離れようと後ずさる。なのに、強い風がルルーの小さな背中を押して、それを妨げる。
追ってきた? 偶然? いっぱいいる? 囲まれた?
浮かぶ疑問、答えなんて出ない。
逃げなきゃ。呼ばなきゃ。知らせなきゃ。叫ばなきゃ。
浮かぶアイディア、でも実行できない。
ルルーは呼吸を忘れ、ただ転ばないように後ずさるのがせいぜいだった。
そんなルルーの前に、一つ目は、進みでる。
ゆっくりと確実に、歩いて、草むらを出た。
下には何も履いてない。突起物もない。それどころか、その手には指すらなかった。
……続いて、草むらが揺れた。
他にもいる。
緊張、恐怖、汗が吹き出る。
見開いたルルーの目の前に、続いて現れたのは鹿だった。
……鹿でした。
茶色い毛、つぶらな瞳、角のあるやつ小さな子供のやつ、数は一匹二匹ではない。群と呼ぶにふさわしい数が、一つ目の後を続いて、そして取り囲んでいた。
彼らに、一つ目に対する警戒心は見られない。恐れず近ずいて、親愛の印かその長い鼻をしわくちゃな体に押し付けていた。
一つ目は逃げるでなく追い払うでなく、鹿の好きにさせていた。
その姿に、ルルーは危険な感じを感じられなくなっていた。
見てくれだけで判断したら危ない、とはねえ様によく言われた。その時の意味は安全に見えても危険な場合がある、という意味だったけど、でもその逆の意味もありえる、とも教わった。
これは、その逆の方かもしれない。
一つ目は、何もしてきてない。ただ見てるだけだ。逃げもしないけど、襲いかかったり追いかけたりしてくる感じはない。
それに、危険なら鹿も寄り付かないんじゃないかな。
……ルルーが一歩、一つ目に近ずいたのは、勇気と、好奇心と、風の後押しがあったからだった。
恐る恐る、だけど一歩ずつ、近ずく。
鹿は反応して身を引いたけど、一つ目は逃げなかった。
ルルーの手が届くにはまだ遠く、だけど一つ目の手なら届きそうな距離に、ルルーの恐怖心はほとんど消え去っていた。
一つ目、近くで見ると愛嬌のある顔をしている。小首を傾げてるような感じは、嫌いじゃない。
と、鹿が逃げた。
飛び散るように一目散に、同時に聞こえた足音に振り返るより先、首の鉄の輪を掴まれルルーは後ろへと引き倒された。
尻餅つくまいと踏ん張り、ルルーが上目で見たのはオセロだった。
その目は敵を見る目だった。
待って違うの、と叫ぶより先に、ルルーの顔のすぐ横をオセロの鉄棒が突き抜けた。
間近の迫力、よく知る威力、止めるという発想すら間に合わないオセロの突撃、それがまっすぐ一つ目の胸の中心を穿った。
バズン、という弾けるような衝突音、なのに一つ目は、不動だった。
「マジかよ」
小さな悪態を吐いたオセロはルルーの腰に手を回して抱えて抱いて、一気に飛び引いた。
離した間合いは歩幅十歩以上、そこでルルーを降ろすと、オセロは改めて構えなおした。
鉄棒の端を持ち、剣のように高々と構え、真上から叩き潰す構えだ。
待って、と言いたいのにルルーは声を出せなかった。
焦れば焦るほど声の出し方を忘れてゆく。
オセロの身が沈む。
ルルーは見慣れて知っている。これは飛び出す直前だ。
「待て! オセロ待て! そいつに手を出すな!」
叫びながら転がり出てきたのはタクヤンだった。そのままオセロの前に飛び出す。
「そいつは手を出さなきゃ無害だ! だから手を出すな!」
やっぱり、とルルーは思った。
「手遅れだ。もう一撃入れた」
「マジかよ」
オセロの言葉にタクヤンは急いで一つ目を見る。
「……大丈夫だ。一撃が弱すぎて攻撃と認識されてない」
「あ?」
「だから待てって! いいか? あいつはフレッシュゴーレムだ!」
ゴーレム、というのをルルーは、見たことはないけど知ってはいる。魔法の力で木や石で作られた体が動くようにしたもの、らしい。
……フレッシュ、の方はなんだかルルーはわからなかった。
「いいかオセロ、あれは前の戦争の時に作られたやつが歩き回ってるんだよ」
「だからなんだ……よ」
オセロは苛だたしげに答えながら構えを解いて、鉄棒で自分の肩をトントン叩いた。
そして何かを感じたのか、しかめっ面で固まった。
「そうだオセロ。あれはその時代から外を歩き回ってるんだ」
タクヤンが何を言いたいのかわからないけど、オセロは戦意を失ったようだった。
そんなこちらの事情も知らず、一つ目はまた、草むらの中へ戻っていった。
その背を見るオセロの顔は苦々しかった。
「どうしたんですか?」
まだ燻ってたルルーの好奇心が質問させた。
それに、オセロは手に持つ鉄棒の先端を、ルルーの鼻先に突きつけて応えた。
見えるのは折れた後であろうザラザラに、突いた時にへばりついたであろう茶色い欠けらだった。
……風が一瞬止んだ。
「なぁ、フレッシュってひょっとして、肉とかの意味か?」
「そうだオセロ、一つ賢くなったな。あのゴーレムは確か豚肉製だ。防腐処理に岩塩で塗り固めてたはずだが、あらかた鹿に舐め取られたみたいだったな。食うなよ」
「食わねぇよあんなの。これで十分やばいってわかる。ありゃ中心までダメだな」
オセロは言って、鉄棒の先端をルルーの目の前の地面に押し付けて、へばりつてた茶色を擦り落とそうとしていた。
それを目の前でやられて、ルルーはもう、限界だった。
ゲェ。
……デフォルトランドに、スッキリとした素敵な朝なんてなかった。
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