雨の中で待つ六人
山と山とに挟まれた広い谷、そこに広がる緑の森に雨が降る。
聞こえるのはしとしとと降る雨の音、紛れて時折鳥の鳴き声、人の喧騒は皆無だった。
俗に『グリーン・ラビリンス』と呼ばれる森は、正に迷宮だった。
生い茂る木の葉の天井は空を奪い、山の下の鉱石は磁気を帯びてコンパスを狂わせる。立ち並ぶ木々が作るのは、似ているようで似ていない、少し似ている風景の連続だった。
そんな森で唯一絶対の方向を指し示すのは、ただ一本の『道』だけだった。
幅は広いところで馬車二台分ほど、白い石畳を敷き詰め両端に木製の策を立ててある。長年整備されずに自然に飲まれ、ところどころで朽ち果て崩れているが、それでも輪郭を残し、道として機能している。この道は、デフォルトランドがこうなる前の、文明の名残りだった。
そんな道の中腹に、廃村があった。
始まりは道を作る時の前線基地、その後は馬場となり、戦争が始まって、そして誰もいなくなった。
大半の人工物は自然へと戻り、村は村としてほとんど残っておらず、唯一原型を留めるのは一軒の小屋だけだった。石畳と同じ石を重ね、ガラスの窓を持つ小屋は、それでも苔むして、キノコが生えて、自然へと戻るのは時間の問題に見えた。
そんな小屋の中で、静かな五人が雨を凌いでいた。
誰もがじっと動かない中で一人、忙しなく動くのは女だった。
若い、とは言いがたい年齢ながら目鼻のくっきりとした美人で、赤くウェーブのかかった長い髪を後ろに束ねている。身につけているのは僅かに黄ばんだ木綿のワンピースに、下にはズボン、そして首には、奴隷の証である鉄の輪が鈍く光っていた。
名を、奴隷の名前を気にする者はここにはいなかった。
女は蜘蛛の巣の張ったかまどに湿ってない薪を重ね、火打ち石を打ち鳴らすと、蜘蛛の巣と蜘蛛もろともに火を点けた。煙が正しく煙突から外へと流れるを見届けてから外へ。そしてすぐさま雨水を貯めた鍋を乗せて沸かし始めた。
その動作を、壁にもたれながら目だけで追うのは、ダークエルフの男だった。
名をゴワムと言う。
黒い髪に紺色の瞳、種族特有の褐色の肌には無数の切り傷、尖った耳は右側が欠けている。服は赤いふんどしのみで靴もなく、なのに首や手には貝殻と革紐で作ったアクセサリーをジャラジャラと巻きつけて、それらを指で弄んでいる。その横の壁には銛が、足元には投網が置れてあった。
その横で、胡座で座るのはキノコのような男だった。
名をムテガープと言う。
軽装の革の鎧で守るは低い背丈、それに加えて頭に、肩幅ほどの直径の、盾を乗せていた。そのキノコとしか言い表せない風貌に隠れて、首は異形とも呼べるほどに太かった。それも脈打つ血管と肌の張りから筋肉によるものと知れる。首に埋没した顎は動かず、語らず、ただ座る足の上に刀を乗せて、静かに瞑想していた。
そんな二人とは反対側の壁、曇ったガラス窓から外を見るのは一人のトロールだった。
名をスマと言う。
トロール特有も毛の無い頭、立てば天井に届きうる巨体に、そこらの苔に似た深い緑の肌、潰れた鼻に大きな口、だが特筆すべきはその筋肉だった。その存在の全てをパワーに捧げた、と形容される全身の筋肉は、ただ呼吸するだけで大いに脈動し、存在をアピールする。その筋肉の塊のようなスマが装備するのは細い丸太を束ねて作った鎧に木のバケツをひっくり返した兜、そして自重だけで薪を割る大斧が二つだった。
壁を覆い隠すほどの巨体を縮め、見つめる森の奥にはここにはいないもう一人が隠れているはずだった。
名をリカートキャー、相棒のスマに短くリカと呼ばれる隻腕の男だった。
暗い赤毛であごひげに鷲鼻、ただの革の服に、武装はなかった。元はスマと同じ、正規軍の弓兵だったが、敵の矢傷に右腕を失い、戦えなくなった。それでも刺激を求めてスマを誘い、コンビを組んで未だにこんなところにいた。それでも自身の役割は正しく理解しており、もっぱらスマのお世話と、元弓兵の視力を用いた偵察に努めていた。
彼らは各々別々に、だが共通の目的を持ってここにたどり着いた。
目的、狙うはオセロの首と、ルルーの身柄だった。
二人を追うそれぞれは、それぞれが持つ情報網により、予測進路をここ、と導き出したのだ。
そして彼らは出会った。
二人はどこへ向かっているのか、あるいはなぜ狙われているのか、誰一人として問題としなかった。
ただ、その報酬を手にできるのは、一組だけという事実には大いに問題があった。
たまたま偶然、共通の目的を持つ報酬目当てに集まった彼ら、報酬を貰えるのは人組だけと知っている彼らが、未だに争いもせず、こうして大人しく雨宿りなどしているのは、一番奥に佇む存在によるもだった。
名を、知る者はいない。ただそいつは黒剣士と呼ばれていた。
その通り、黒剣士はその全てが黒かった。シルエットから辛うじて、マントとフードを身につけているとわかる。しかし手も足も、顔も帯びているはずの剣でさえもが黒く、一緒くたに溶け合い、厚みも輪郭も距離感さえもが黒く塗りつぶされていた。その得意な黒色と、これまで数多の強者を屠ってきた実力から、その存在はオセロなんかよりもはるかに遠くまで知れ渡っていた。
……この小屋に最初にたどり着いたのは黒剣士と、その奴隷だった。そして当然、後からたどり着いついた者たちを出迎えた。
予想外の強力なライバルの出現に誰もが身構えた。
だがそれ以上に、その黒剣士の提案に、誰もが驚いた。
「共闘シナイカ?」
嗄れた老婆のような独特の黒剣士の声に、誰もが攻撃を躊躇った。
そのまま説得を続ける黒剣士はオセロを高く評価していた。少なくともここで潰しあって、消耗してたら絶対に勝てない、と判断し、それを力説した。
ここで余計な消耗は避けたい、もっと言えば確実に勝つために共闘したい、報酬は、オセロの分は止めを刺した者が、ルルーの分はフォーチュンリバー辺りでオークションを開いて、儲けを折半、と持ちかけたのだ。
外見的反応は様々だったが、内面的反応は大体同じだった。
即ち、この剣士にオセロを倒させ、その後用済みの剣士を、さらにその後に他も全員倒して総取りに、と計算し、黒剣士の提案に乗ったのだった。
それまでは静観、結果としての静寂、一時的な共闘は殺気により張りつめていた。
沸き立つ鍋に女は茶っ葉を入れる。
ほのかに香る紅茶の香り、茶色くに出された紅茶をおたまで汲んでカップに満たし、女は静かな男たちに配り始めた。
……しかし、それを受け取り口をつけたのは黒剣士だけだった。
ホウ。ホウ。ホウ。
男たちは一斉に動き出す。
この森にはいないフクロウの鳴き声が三回、リカの鳴き真似、オセロ到着の合図だった。
足早に、我先に、一本しかない道へと向かう。
彼らに余裕はなかった。
これからややこしい戦いが始まる。
周りにいる者は全員敵となるのだ。隙など見せられない。
誰も背後に立たせず、かつ目標のオセロとも程よい距離で、 あわよくば潰し合わせ、消耗させ、一人勝ちをする。
こうして歩く距離や間合いにも細かな計算と読み合いが発生していた。
そうしてたどり着いた廃村の入り口、彼らが歩いてきた一本の道、小さく見える人影は一人だけだった。
草を編んだ笠を頭に乗せてる幼い少女、ルルーと思われる存在、それが一人で、鉄棒に押し潰されんと踏ん張っていた。
他に、人の姿はない。
……想定外の出会いに、雨だけがしとしとと降り続けていた。
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