ここでの決まりごと
ミノは初め、ちゃんと目にしながら、その事実に気がつかなかった。
最初に見たのは、初日、ここに逃れて一息ついて、ホテルへ向かう道中だった。
その時は不安と興奮で頭が一杯で、それすらも恐怖の対象だった。
何せミノはここでは珍しい知能犯、親戚が経営しているタンス制作ギルドの積立年金を横領しただけで、暴力から縁遠い生活を送っていたのだ。暴力の支配するデフォルトランドでは雑魚の分類だった。
それでも一端の犯罪者、舐められてはならないと派手に金を使いまくった。
しみったれた生活からの卒業、人生の上がり、勝ち組暮らし、興奮していたミノの手からは、手に入れたのと同じ速度で金が逃げていった。
原因はギャンブルでの不運と高額の物価、それに気づく頃には無一文に落ちていた。
犯罪者であるミノには当然帰る場所などなく、仕方なくここで生活するため、しみったれた歩く看板に身を落とした。
そしてミノは、見る側から見せる側に移ることで、その事実に気がつけた。
その事実とはつまりは看板だ。人は誰しも看板を、そこに描かれている広告など一切見ないのだった。
例えその看板がいかに派手で、魅力的で、滅茶苦茶なことが描かれていたとしても、それが何かの広告だと理解された瞬間、人は意識から看板を排除する。これは本能に近い反応だった。
思い返せばミノ自身も、看板を見た記憶はあっても、そこに何が描かれていたのか何一つ思い出せなかった。
それがここだけの現象なのか、それとももっと普遍的な現象なのか、ノミは深くは考えず、ただ利用することだけを思いついた。
幸いにも、ミノはパッとしない顔をしていた。自分自身でさえその容姿を言葉で表すのに苦労するその顔に、ここではよく見かけるオリジナリティのない化粧をして、服装もベタなのに着替えた。
そして看板、描かれているのは実在するが関係のないレストランの名前と適当な会員登録の文言をそれらしく書いて、その側面には釘を打ち付け、貼り合わせた板の間には小石詰め込み重量を増してある。それを支えられるように持ち手も太く丈夫なのもにした。全てが手作りだ。
軽く安くがセオリーのここの看板に対して真逆を行くこの看板は、鈍器だった。
看板に見せかけた鈍器、それを掲げ、ミノは白昼堂々人混みで人を襲う強盗となった。
襲われる方は殴られる直前までこちらに気づきもしない。そして襲われ殴られ奪われて、追いかけてきてもまた看板の中に紛れれば、漏れ無く見逃される。
独自にマーケティング・ステルスと名付けたこの戦術で、ミノはそれなりに羽振りの良い生活を取り戻していた。
……この朝に狙うのは、明らかにお登りの男だった。
褐色肌に背の高い男、革の鎧に額当て、手には鉄の棒など持っている。見るからに強そうな戦士、といった風貌だが、奴隷の少女への反応から、こいつは一人だと見て取れた。
なら一撃食らわし、逃げ切れる。
大して金は持ってなさそうだが、奴隷を置いて追いかけてくる余裕もないだろう。
ミノは狙い、決めて、そして近づいた。
どうせ視界に入ってないのだ。ミノは正面から堂々と近寄り、迷わず必殺の看板振り上げ、そして振り下ろした。
……しかしミノの予測は外れ、男はミノを見逃さなかった。いやちゃんとみていた。
そしてあろうことか、連れてた奴隷を掲げて防ぎやがった。
想定外の外道の防御に、初めての経験に、ミノは固まった。
▼
オセロは字に暗く、読める方ではない。だからミノの看板に何が描かれているのかわからなくて、そのマーケティング・ステルスには当てはまらなかった。
それでも、ミノの存在はただの通行人として、大して注意しなかった。
ただそれがまっすぐこちらに向かって来て、その先にルルーがいて、このままだとぶつかる、とは判断した。それで、無造作に破けたり解けたりしなさそうで、掴みやすそうな鉄の首輪を掴んで引き寄せたのだった。
そのタイミングで看板は高く振り上げられた。看板は面から線に回り、斧のように振り上げられて初めてオセロは襲撃だと気がついた。
奇襲、これにオセロは、ガラにもなく迷った。
普段なら看板の一撃が放たれるよりも先に鉄棒で突いて、そのパッとして目立たない顔をパッと目立つように潰してる。
だがその前にルルーがいた。
相手に背を向け、体調悪く、オセロに引っ張られている。
相手の狙いがどちらかわからない。いやどちらにしても迎撃が最善だと気がつくまでに数瞬、でも絶望的に時間がかかった。
時間は焦りを生み、焦りは混乱を生んで、混乱は突拍子のない答えを導き出す。
その答えとは、オセロは引き寄せたルルーで、その首で、首の鉄の輪で、看板の一撃受けるというものだった。
ルルーが殴られても鉄の首輪で受ければルルーは無事だ。だから鉄の首輪で受けよう。
その矛盾に気がつく前にオセロはルルーを持ち上げていた。そして後悔より先に、いつものように鉄棒の反撃を放っていた。
……突き崩された相手の顔は、化粧の上からでもわかるほど個性的になった。
それを見下ろし、すぐにルルーを吊るしっぱなしだと気がついて、下ろす。
「悪りぃ」
オセロは謝りながらルルーを立たせる。が立たない。
見れば、ルルーは瞼を閉じて気を失っていた。
まるで眠っているような、死んでるような表情だった。
思考を捨ててオセロは走り出す。
……目的地はもうすぐなはずだった。
▼
このフォーチュンリバーには三つの特産品があった。
一つ目はギャンブルだ。
それがここの大半と言っても過言ではない。橋の上に立ち並ぶカジノ場の半分は、一攫千金を夢見る場所で、残り半分は夢見た者達が散るのを見る場所だった。違法高額レートのハイリスクハイリターンなギャンブルに、夢見て散って、それで唯一残された命と魂を賭けて参加するデスゲームを勝者が見下し嘲笑う。ここも悪徳の都だった。
二つ目は奴隷だ。
デスゲームに命を賭けられなかった負け犬が誇りを失い奴隷となる。それを商品と賞品とに振り分けていた。水路の利便性とカジノの集客力、何よりデフォルトランドの非合法性が合わさって、奴隷は地域最大の品揃えとなった。そして奴隷は別に、買い取らなくても一晩単位でのレンタルが可能だった。それ専門の、ホテルも複数存在していた。
三つ目は、意外にも医療だった。
デフォルトランドでは怪我でも病気でも弱みを見せればつけ込まれ、食われる。それ以前に文明が無いから医療も存在しない。一方、このフォーチュンリバーでは奴隷の品質管理として医者が好待遇で雇われていた。そこの隙間にできたのが治療を目的としたバカンスだった。部下や周囲にはバカンスに、遊びに行くとうそぶいて、奴隷を引き連れ部屋で遊び呆けてるように見せかけて、こっそりと治療するのはここでの隠れたテクニックだった。
この医療を提供するホテルこそが、オセロの目的地だった。
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