原因と結果

 ルルーを含め、誰も彼もが言葉を失っていた。


 ただ一つ、オセロの粗い息遣いだけがルルーには聞こえた。


 血まみれで佇むその姿は、ルルーから見ても満身創痍だった。それこそ、か弱いルルーでも倒せそうなほどに……


 「敵討ち、だよな?」


 ……ボソリと誰かが言う。


 その単語に、ルルーは血の気が引いた。



 敵討ちは、ここで広く用いられている掟だった。


 もしも組織の上が倒された時、倒したやつを殺した者が後釜に座れるか、あるいは大いに近づける、というものだ。


 それはルルーも知ってるぐらいに一般的で、常識的で、誰もが知ってる掟だった。


 それだから忠誠心抜きにして敵対者は自動で反撃され、それを恐れるあまり滅多に上には手を出されないし、裏切りも出ない。


 ここらデェフォルトランドでは珍しい、合理的な安全策だった。


 そしてそれは、今現在のオセロに当てはまっていた。


 ざわめきが広がる。


 それは今までと違って、もっと静かで、淀んでいて、蠢くようだった。


 ざわめくその目は、もれなく野望にギラついていた。


 ……次の船長は俺だ。


 言葉無く男たちはオセロを取り囲み、ジリジリと間合いを詰める。飛び出さないのは過去の恐怖があるからで、でもそれも、今の姿から急速に失われて、緩くなる。


 後少しで飛びかかる。


 襲われる。


 全てが終わる。


 群れなきゃ何もできないような連中の中心で、オセロはぼんやりと夜空を仰いでいた。


 息を切らして、身体中から出血して、額を拭う動作も弱々しい。とてもじゃないけど、その姿は戦えるようには見えない。


 そんなオセロに、ルルーは何もできなかった。


 ただ見てるしかないルルーは、それすらも出来なくなった。


 耐えられず、強く強く強く瞼を閉じる。顔の筋肉が痛くても瞑る。それでも、最悪なシーンは、脳裏にはっきりと浮かび上がってくる。


 ガチャリと何かが落ちて、そしてざわめきが跳ね上がった。


 ルルーは聞きたくなかった。だけども吊るされた手では耳はふさげない。


 そして無理矢理聞こえてくるざわめきは、何故かどよめきになった。


 喧騒も金属音も無かった。代わりに怯えた声や悲鳴まで聞こえてきた。


 ……もしかして、助かってる?


 ルルーは僅かに希望を覚えて目を見開いた。


 そこに、未だにオセロがいた。


 夜空を仰ぐ姿のまま、ただその額当てが外れて落ちていた。


 そして露になった額は、比喩ではなくて、本当に緑色に光っていた。


 オセロの首が巡り、影が動いて、ルルーに向いた。


 その額の光りはマークを描いていた。


 丸い円に、中心から伸びる、三等分する三本の線。丸いケーキを三等分に切ったみたいだ。子供でもすぐに覚えられそうなこの単純な記号が何を意味してるのか、ルルーも知っていた。


 「アンドモア」


 その記号の意味を誰かが呟いた。



 アンドモアは、国際的に暗躍するテログループの名前だった。


 元は何かしらの理念や思想があったらしいがそんなこと誰も知らない。知られてるのはその、デフォルトランドにも類を見ない残虐性だった。


 引き起こしたとされる虐殺は数知れず、その内の一つをルルーはシンボルと共に伝え聞いたことがあった。


 それはとある小さな村が襲われた事件だ。


 起こったのは昼頃、昼食の準備をしてる最中だった。


 生き残ったのは少年ただ一人、その他の村人全員が惨殺された。


 少年が言うに、ふらりと彼らがやって来て、何も言わずに村人を殺し始めた。交渉も何もなく、手慣れた風に次々と殺していった。


 怯えた少年が食器棚に隠れると、虐殺の音は直ぐに止んだ。そして彼らは、食事をはじめた。少年や村人たちが自分たちのために作った昼食を食べて、彼らは立ち去った。


 ……奪ったのは、それだけだった。


 金も、武器も、奴隷も、情報も、種も非常食さえも奪わずに、ただ一食、その昼食の為に村を襲い、皆殺しにしたのだった。


 それ程、彼らにとって殺しは手軽で、同様に命は安かった。


 アンドモアは関わると危険な相手ではない、いるだけで危険な相手だった。


 聞いたときにルルーは法螺だと思った。少なくとも今すぐ怯えるような物でないと判断して、今の今まで存在も忘れていた。


 それが、目の前に現れた。


 所詮は噂だ、と否定するにはオセロは強すぎた。むしろ強さの秘密がこれで説明できた。


 男たちは逃げ出した。


 脇目も振らず、隣を押し退け踏み倒し、何もかもを投げ捨て背を向け駆け出した。そこに野望も海賊もなく、ただただ我先にと逃げていった。


 引き潮のように人が引いて、いつの間にかイルファも消えて、広場にオセロとルルーの二人だけが残された。


 ルルーは当然、逃げられなかった。縛られ吊るされてれば当然だ。


 オセロが見上げてくる。


 表情はその光に遮られて見えない。それが余計に怖い。


 黙ってこっちに歩いてくるオセロ、歩きながらシュラリと腰のナイフを引き抜き一投、投げた。


 ブッ、と音がしてナイフはロープに刺さり、千切れた。それに吊るされてたルルーは当然落ちる。


 「ひゃ!」


 ルルーは何かを考える前に落ちて尻を打った。


 心臓が早鐘を打ってる。


 痛みはそれほどないけどビックリしすぎて動けない。


 何とか腕だけは動かしてダメージを確認するため自分のお尻を触ってみると、下は存外に柔らかい。そして温かく、なんか湿っていた。


 慌てて見れば、ルルーの下に仰向けのオセロが気を失っていた。


 その姿は、滲み出る血も含めて、踏み潰されたカエルみたいだった。



 オセロが瞼を開くと知らない天井だった。


 気がつけば寝てた。


 背中は固く、天井は高く、壁は遠い。


 潮の臭いがするからまだそんなには移動してない。恐らくは建ち並ぶ倉庫の何処かだろう。


 上半身を起こすと、鎧が剥がされていた。代わりに全身に赤い布が巻き付けられていた。そして離れた床にその鎧に額当て、それに鉄棒が置かれてあった。


 その向こうに炎が揺らめいていた。


 炎は、床の上に置かれた鍋の中で燃えていた。その向こうにルルーがいた。なんか器用な、足を曲げたまま外に広げて間に腰を落として座っている。手にはナイフが、こちらに向けられていた。


 「来ないで」


 ルルーの声は消え入りそうなほど小さく、なのにはっきりしていた。


 結局こうなるか、とオセロは思った。


 この反応は、この印を見た奴の、いつもの反応だった。


 怯えて逃げ出し、戦いもせずに諦めて、それこそ話も通じなくなる。


 ……あとは悪魔と呼ばれるだけだ。


 それをここまで来て、オセロは、ルルーを諦めきれなかった。


 どうすっかな、と考えながらオセロはとりあえずはと落ちてる額当てへと手を伸ばす。


 と、ルルーがまたビクリと跳ねた。


 それでオセロは止まる。


 「……いいか?」


 尋ねてもルルーの返事はなかった。


 なのでゆっくりと動いて、オセロは額当てをとって額に巻き付けた。巻き付けながら、どうやったらルルーと前みたいに戻れるかを考えた。


 巻き終えて……考えて、オセロは正直に話すことにした。


 「俺は、アンドモアじゃねぇからな」


 ルルーの瞼が動いた。


 それがいい意味なのか悪い意味なのか、オセロにはわからなかった。だけどもいい意味だといいなと思った。


 それから、続けるには最初から話さないと無理だと思った。


 オセロは頭をかきながらため息を吐き出す。


 「言っとくが面白い話じゃないぞ?」


 ルルーは答えなかった。だけども逃げもしなかった。


 それで、オセロは話はじめた。

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