エージェントはリンゴから覚める
流石は騎士団の解毒ポーション、良く効く、とタクヤンは夢心地だった。
今、タクヤンはリンゴの解毒を感じながらソファーに寝転んでいた。
ここは大して広くもない部屋だった。ドアと窓以外の二枚の壁が一面戸棚で、真ん中に小さな机、挟むようにソファーが二つある。
武器は置いてない。必要ないからだ。
この部屋も身もギャングが守ってくれる。武器は彼らが持っている。
もちろんただではない。代わりに差し出すのは、エージェントとしての仕事だ。職務をさぼり、見逃し、無能でいること、それが安全の対価だった。
これは恥ずかしい、と思う以上に仕方ない、とタクヤンは割り切っていた。
とにもかくにも人手が足りてないのだ。
このデフォルトランドに派遣されてるのは合わせて二十人弱、コックローチハーバーに絞ればタクヤン一人だけだ。
対してならず者は、それこそゴキブリの数ほど湧いている。今、お世話になってるギャング達ですら、常時百を超える人数がいるのだ。
そのくせ資金も補給も限られ、失敗すれば自己責任、表の騎士団は壁から出てきやしない。
それでここを何とかしろとか、話にならない。中央はやる気がないとしか思えなかった。
それでもやりようはある、とタクヤンはにやけた。
「せいぜい利用して狼の餌にしてやるさ」
独り言に合わせて、ドアが吹き飛んだ。
爆音、振動、非現実的な現象にタクヤンは跳ね起きた。
そして見ている前にノソリと、オセロが現れた。何故か血塗れで、変な臭いがして、左手には男を引きずり、右手の鉄棒の先にはボーガンを吊るしていた。
突如の来訪にタクヤンはソファーからずり落ちた。
そこから床に手を突き、身構えながらも、タクヤンは状況を理解しようと努めていた。
現状、オセロに襲われる理由は七つほど思い至る。だがそれら全てに言い逃れを準備してあるし、いつもと同じように騙くらかせばいい。それに最悪でも逃げ道は用意してある。
…………問題ない……はずだ。
「何だよオセロ、こんな時間に。護衛とかいたんじゃないのか?」
できるだけ平静を装って尋ねる。
「あぁ、あいつらそうか。なら一言言えば良かったのに。悪いことしたな」
ノンビリと答えながら、オセロはドサリと机に連れてきた男を投げた。
男の顔はボコボコで血まみれだが、そのブラシみたいな髭には見覚えがあった。
それは、七つ目の理由、昼にオセロの情報を売った男だった。
冷や汗が吹き出る。
売った男はかろうじて生きているらしく、鼻からピーピー空気が漏れていた。
「……ナンだ、これは?」
ひきつる声を抑ええながら、タクヤンが訊くと、オセロは向かい側のソファーにドサリと座った。
「こいつらに家を焼かれた。大半は潰したが逃げたやつらがいるんだ。そいつらが何者か、何処にいるか知らないか?」
オセロの質問に、タクヤンはほっと胸を撫で下ろした。少なくとも狙いは他らしい。
やはりこいつは、ちょろい。
タクヤンは表情を隠しながらビジネスに入った。
「あー何だ。悪いんだが、知ってるかどうか答える前に、先ずは勘定の話をしたいんだが」
情報提供は料金が先払いなのはここでなくとも常識だ。そしてオセロはその常識が通じるちょろい相手だった。
「それなんだが」
そのはずのオセロは申し訳なさそうに言いながら、髭の腹の上にボーガンを置いた。
「家が焼けて、無一文になっちまった。あるのはこいつらが持ってたボーガンぐらいでよ。でも同じようなのが全部で約四十、壊れてないのは半分ぐらいだが、隠してある。矢もあるが数が数だけに全部は持ってこれなかったんだよ。だけども今は時間が惜しいんだ。後で持って来るってことで、何とか後払いは無理か?」
珍しい、とタクヤンは思った。
オセロは馬鹿正直にツケも値切りもしないので有名だった。それが後払いを言い出すのは、尋常じゃないってことらしい。
タクヤンは冷静に観察する。
……少なくともぶちギレてる風には見えない。
観察を続けながらタクヤンはボーガンを取った。そしてすぐに紋章を見つけて危うく吹き出すところだった。
ユニコーンとペガサスが向かい合っている紋章、それが指し示すのは、黒騎士、即ち壁の向こうを警備する警察隊だ。それがあるということは即ち、これが正式採用モデルということだった。確か、市街警備用の対人制圧用に採用したやつがこんなのなはずだ。その実装数も多く、別段強力でも、珍しい物ではない。
問題は数だ。
一つ二つは紛失や盗難もあり得るが、オセロを信じて四十ともなると、最早中隊クラスの数、それがまとめてとなればそれは大事件だ。
その大事件に、タクヤンには心当たりがあった。これはあれに繋がり、更にあれがそれに繋がれば、タクヤンの本業にも繋がる。
なんてもん持ってくんだこいつは、タクヤンは唾を飲み込んだ。
「やっぱだめか?」
何も知らずに訊いてくるオセロに悟られないよう、タクヤンは必死に笑みをこらえた。
「良いだろう。昨日の仕事の件もあるし、今回は後払いで良いぞ」
勿体ぶった風に言うと、オセロの表情がぱっと明るくなった。それでタクヤンは更に必死になって表情を保つ。
「長い話になる。何か飲むか?」
訊きながらタクヤンは立ち上がり棚に向かう。
「あぁ、出来るだけ強い酒をくれ」
「何だ、珍しいな」
「いやついでに消毒もしようかなと」
振り返ったタクヤンに、オセロは立ち上がって鎧をめくり上げて腹を見せる。
そこにはデロデロな傷口があった。
「にゃんだよひょれ」
今度こそ裏返ったタクヤンの声に、オセロはその傷口をかきむしって見せた。
「そいつに刺されてよ。抉られたし、血止めと消毒に焼いてみたんだ。それで血は止まったが、念のために、な」
ヘラヘラ笑うオセロに、タクヤンは笑みをひきつらせた。
タクヤンも、傷口を焼き固める治療法を知ってる。だがそれは、命をかけた最後の手段だと習った。むき出しの肉や神経を直火で炙るのは、正に拷問だ。
怪物め、痛みも無くしたか、とタクヤンは思った。
だがその怪物を手なずけてこそ一流と言うものだ。
タクヤンは邪悪な笑みを隠しながら、棚から一番強い酒とグラスを取った。
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