馴染みのレストランにて

 空はこんなにも青いのに、オセロは不機嫌だった。


 わざわざ出向いて、わけもわからず襲われて、そして仕事もなく、面白くも楽しくもなかった。


 こういった時にオセロは、気晴らしに外食するのが習慣になっていた。


 向かったのはレストランの『ニンニクマシマシ』だった。


 元からレストランだった店舗は外見こそ生ゴミと吐瀉物にまみれてるが、ここらでも数少ない、虫の食べ残しでない食い物を出す店だった。


 分厚い木のドアをガラリと開けると、中からは酒とニンニクの臭いが吹き出してくる。そこそこ明るい店内は半分ほど埋まっていた。全員が淀んだ目でダラダラと酒を呑みながら騒ぎ回っていた。


 だがそれも、オセロがくるまでだ。一瞥された一瞬で店内の空気が変わった。


 皆がざわめき、あるものはじっと息を潜め、あるものはこれ見よがしに武器を取り出し、あるものは自分の神に祈った。


 共通するのはみな、オセロの来店にただならぬ緊張してることだった。


 ただ一人、店主のツルッぱげのオヤジだけはにこやかに出迎えた。


 「いらっしゃい」


 「おう」


 挨拶もそこそこに、オセロはいつもの一番奥の指定席にまっすぐ進みドカリと座る。向かいの席は空いてるが、オセロは鉄棒を手放す間抜けはしない。抱き抱えるように股の間に立て掛けてると、オヤジが奥からメニューを持ってきた。それを受け取るとオセロは慣れた手つきで目を通しはじめる。


 今日はがっつり食べたい気分だが、財布が軽いのを思い出して、安い方へ目線を動かす。


 と、視界の端でオヤジは、一瞬ためらってから、もう一つのメニューを持って来て、オセロの向かいの席に置いてった。


 その普段は見せない動作が気になり、オセロはメニューを倒してテーブルの対岸を覗く。


 そこにもメニューが立っていた。


 「ここ、サラダないですね」


 声はメニューの裏から聞こえてきた。聞き覚えのある、若い女の声だった。


 「私はこのチキンガーリックステーキがいいです」


 メニューが倒れて現れたのは、さっきの少女だった。名前は確か、ルルーだったか。


 オセロは一呼吸考えてから、別にいいかと判断し、メニューへと視線を戻した。


 それでも一応言うべきことは言っておく。


 「好きにしろ。だが食った分は自分で払えよ」


 オセロの言葉に、ルルーは答えるようにテーブルの上にどちゃどちゃと財布の山を作った。


 それに目をやる。


 「寝てた男らからもらってきたの。それから」


 ガッチン、とオセロの前に悲しいほどに軽い財布を投げた。それは、オセロのだった。


 ……オセロは、自分の財布をコクルボードにぶん投げてたのを今まですっかり忘れてた。


 オセロは久しぶりに冷や汗をかいた。



 オセロの冷や汗を見て、ルルーは勝ち誇った自分の笑みを押さえるのに必死だった。


 自分は有益で使えるが、賢くワガママも少し言う、自己紹介としてはかなりうまくいった方だ。


 こういった関係性は初めのうちに押さえておかないと後で動かせなくなる。だから最初が肝心、とルルーはねえ様に教わった。


 だが慢心は禁物、あくまで自分は下手であること、相手を立てることも、同時に教わっていた。


 「ありがとう、助かったよ」


 オセロの口から自然と出てきた礼の言葉に、ルルーは驚いた。


 プライドの高い筈の男性が、こういう風に向こうから下手に出てくるのはルルーも経験上、初めてだ。


 それにどう答えるべきか答えを出す前に、オヤジが現れた。


 「冷やが二つ、それにいつもの赤ワイン。グラスは」


 「一つでいい」


 オセロの一声に、オヤジはなにも言わずに冷やのコップ二つにワインの瓶とグラスを一つ、置いた。


 そして振り返り二歩歩いたところで、入り口のドアが爆音をあげてぶっ飛んだ。


 崩れたドアを踏みしめ、入ってきたのは、大男だった。


 マッチョで褐色にテカってる体はほぼ裸で、身に付けてるのは黒いパンツが一枚とメットに、ブーツ、両手に着けた刺だらけの籠手だけだった。メットは顔も守っていて、目口は出てるが露出が少なく、陰になっていて顔はよくは見えなかった。


 「ラッキーパンチのリカンバだ」


 誰かが呟いた。


 リカンバと呟かれた大男は店内を見回し、一番奥のこのテーブルで目を止めた。そして大股に歩み寄ってくる。


 「えっと、いらっしゃい」


 呆然としながらも挨拶したオヤジの顔面へ、リカンバはいきなり拳をぶちこんだ。


 反応もできなかったオヤジはぶっ飛ばされ、オセロとルルーのテーブルへとぶっ倒れた。


 こぼれたワインを膝に感じながら、いきなりの暴力に、ルルーは固まった。


 潰れてヒューヒュー言ってるオヤジの顔を見つめながら、どうするべきかルルーは必死に考える。だけど考えはまとまらなかった。


 と、オセロが勢いよく立ち上がったのだ。その眼差しは怒りを映していた。


 オセロは椅子をはね除け、鉄棒を引きずりながらゆっくりとリカンバの前に出た。


 鼻息のかかる距離、お互い腕を伸ばせば届く距離だ。


 オセロは長身だがリカンバはそれより大きい。そんな二人は無言でにらみ合うだけでもかなり威圧感がある。


 そんな二人に、店内の男たちは静かにしながら更なる暴力と流血を望んでいるのがわかった。


 張り詰める空気の中で、先に動いたのはオセロだった。


 一気に飛び掛かり、左手でリカンバの後頭部を掴んで引き寄せた。


 「ひゃあぁ」


 誰かが悲鳴を上げた。


 その気持ちはルルーも同じだった。


 それだけオセロの、リカンバへの口づけは情熱的だった。

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