世界の終わりの星石に

粟生真泥

その日、星が降る夜

――どうやら、この世界は今日で終わってしまうらしい。

 つけっぱなしで寝てしまっていたのか、テレビから放たれる慌ただしい声に目を覚ます。そこでは、いつも画面で笑顔を浮かべている女性キャスターが、涙目で何かを訴えている。徐々に頭が覚醒していくにつれ、切迫した内容が頭に入ってくる。

「繰り返します。地球に向けて近づいてきていた小惑星は昨日までは予想されていた行路をたどり、今晩、地球からかつてない規模の流星群が観測される予定でした。」

 画面が切り替わり、太陽系のイメージ図が表示される。火星と木星の間に光点が浮かび、地球に向かって近づいてきている。進路方向を示しているであろう破線は、地球に近づきつつも当たることなく通り過ぎていく。だがイメージ図が切り替わり、その進路がある点から折れ曲がる。

「天文学の専門家が集まる有識者委員会によると、本日未明、急遽進路が予定から逸れたとのことです。その結果、地球の傍を通過する予定だった小惑星は、日本時間で本日0時、地球に衝突するとのことです。委員会では進路が逸れた原因について、ほかの小惑星との衝突によるものと想定しており――」

 またも画面が切り替わり、喧々諤々の議論を行う学者たちが移る。だが、この状況を打開する良案は生まれそうには見えない。またも画面が切り替わり、今度は世界各地と思われる映像だった。そこでは宇宙人を崇めている集団や、神に祈る人々、空に砲を向ける各国の兵器群などが映し出されている。

「これほどの質量の小惑星が現在の速度のまま衝突した場合、地球の構造そのものが崩壊するとみられており、小惑星が逸れるか、何らかの方法で破壊しない限り、我々が生き延びる道はありません」

 気が付けば、時計の針は12時を示そうとしている。こんな状況であるにもかかわらず、律儀に番組の終わりを告げるテーマソングが流れだす。昼を告げる陽気なメロディと裏腹に、画面内では誰も笑っていない。

 テーマソングが終わる直前、女性キャスターは一礼し、別れの言葉を述べる。

「皆様、悔いのない一日を」



 悔いのない一日。

 そう言われてもそれはあまりにも突然で。残り十二時間弱、どう過ごすべきなのか見当もつかない。

 だが、こうして考えているだけで、その間に最期の時は近づき、そのことい焦燥感にかられる。テレビから流れるのは、突然の事態に生産性のない現状が延々と流れるだけだったので早々に消してしまった。この小さな部屋でさえも、終末の準備をするかのように、静かな時が流れる。

「流星群……」

 今日足掻いたからって、何かが残るわけではない。人類が滅びるわけではない。地球が滅びるこの時に、何をしたとしてもあと半日もすれば宇宙の藻屑となってしまう。

 それでも、何かをしなければと思うのは、本能的な部分なのだろうか。どうやら、この世界を破壊する小惑星は、幸か不幸か追突の瞬間が我が国からよく観えるらしい。

 住まいの窓から、外を見渡す。辺りに高い建物もなく、10階の部屋からは街並みがよく見える。避難や最後の1日の過ごし方のために、道路は混雑しているかと思ったが、予想に反して普段とそう変わりはない。最期をどうすごすか、誰と過ごすか。今から急に考えていいものが浮かぶとは思えなかった。

ならば、とバイクの鍵をポケットに押し込んで、部屋から出る。良案が浮かばないのなら、元々の予定通りに過ごしてみようと思った。それは結果的に、この世界を終わらせるものを、終わらせる瞬間を観てやろうなんて酔狂な話だが、何をしていいかわからない今、悪い考えとまでは思えなかった。

仕事が忙しかったりしたこともあり、ここ最近乗っていなかったバイクだが、それでも素直に風を求めるようにエンジンを唸らせ、最後の旅路へとその身を進めていく。



 バイクを走らせること10分程で最初の目的地に到着する。いつの間にか訪ね慣れたマンション。何か作業でもしているのか、空きっぱなしのエントランスのオートロックを通り、目的の階へと進む。エレベーターを降りて最寄りの部屋が目的地だ。

 オートロックをスルーしたからか、部屋の中からバタバタと慌ただしい音が響いてくる。そうして間もなく、扉が開き、同い年の女性——宙乃(ヒロノ)が顔を出す。

「嘘、どうしてここに……」

「どうしてもなにも、約束の時間通りだと思うけど」

 俺の顔を見るや否や驚きの声を漏らす相手に、少しおどけて腕時計を見せてみる。

「そうじゃなくて……ああ、もう」

 宙乃はかぶりを振るとそのまま頭を抱え込むようにため息をつく。その表情には驚きと困惑と呆れが入れ代わり立ち代わり浮かんでいる。

「いくらなんでも、今どういう状況かは知ってるわよね?」

「今日観に行く予定だったものが落ちてくるということは」

「それで、それを知っていて何でこんなところにいるのかしら?」

「そりゃ、今日星を観に行く約束をしたから」

 俺の回答に、いよいよ宙乃は右手で頭を、左手で膝を抱えてしゃがみ込む。自分でも無茶な話をしている自覚はある。何も星が落ちてくる日に、律儀に星を観に行く約束を果たすなんて。だから、宙乃が断れば無理強いする気はなかった。

「聞きたいことはいくつかあるけど」

 宙乃は顔を覆っていた右手を膝に運び、こちらを見上げる。

「時間がもったいないから、3つに絞ってあげる」

 頷いて、先を促す。

「まずは、そうね。私たちを終わらせるものを観に行くの?」

「そこは重要じゃない。予定がたまたまそうだっただけだ」

 今日の予定が天体観測ではなく、マラソンでも野球観戦でも、結局のところその予定を忠実にこなしていたと思う。別に地球を終わらせるものを最期まで見続けようという感傷的な何かから、天体観測を選んだわけではない。

「なら、あと半日もない間に何もかも終わってしまうわけだけど、やり残したこととか、やっておきたいことはないの?」

「しばらく考えたけど、今からとっさに考えたことが、本当にそんなに大事なのか自信がなかった。なら、元々やろうと思っていたことをやったほうが、実りあると思うんだ」

 正直に話す。テレビでそのことを知ってから、いくつかやりたいことを浮かべてみたが色々と思いつき、比較してみるとどれも嘘っぽかった。平時にそこら辺を歩いている人を捕まえて「死ぬまでにやりたいこと」アンケートをしたら集まりそうな内容。本当に俺がやりたいことなのか、こうあるべきという常識論なのか、どちらの自信もなかった。

「最後ね。地球最後の日を迎えるにあたって、一緒に過ごす相手が私でいいの?」

 それも、元からの予定だったから。2つ目の回答とセットでそう答えようとした口を声が出る前に閉じる。予定だったから、それだけなのだろうか。付き合っている恋人がいるわけでもないし、仲のいい友達はいるが、そいつらと現実から目を背けるために飲み明かすというのもピンとこない。無意識のうちに、宙乃と過ごすことが一番しっくりと来ていた自分に今気づいた。

 しかし、それをそのまま言葉にしていいのかわからない。宙乃でいいのか、宙乃がいのか、そのどちらかもよくわからない。

「そうじゃなければ、ここに来てないさ」

 結局、問われている本質をはぐらかす回答をした。先ほどまでの2つと異なり、宙乃は俺の顔をじっと見つめる。そう長い時間ではなく、わかったわ、と宙乃は立ち上がった。

「そういうことなら付き合ってあげる。奇遇だけど……」

 宙乃は一瞬部屋の奥に引っ込んだかと思うと、いつも天体観測に行くときに使うバックパックを持ってきた。今更ながら、宙乃の恰好も動きやすい天体観測用のものだと気づいた。

「私もそういうの、悪くないと思っていたから」



 マンションを出て、入り口わきに止めておいたバイクへと向かう。たまに街乗りできればいいと思って買った250ccのバイクは、バイクの中では小柄な車体に対して、不釣り合いに大きいサイドバックをタンデムシートの両側につけている。バッテリーに直結させ、エンジンをかけていなくても一時的につけられるライトなど、当初は想定していなかったカスタムが何点か施されている。

 宙乃にヘルメットを渡し、バイクのエンジンをかけて乗り込むと、宙乃が慣れた様子で後ろにまたがる。

「最初はガチガチだったのに、すっかり慣れたもんだな」

「この二年で、少なくない経験させてもらいましたから」

 その話はしてくれるなというような声色の返事に、へーへーと口元で返事をしてから、一人の時よりも慎重にバイクを動かし始める。載せる人と荷物は増えたが、バイクは機嫌を損ねることなく、快調に進む。

 元々宙乃とは、高校の同級生だった。同級生のだけだった、と言ってもいい。クラスは3年間被ることはなく、つながりは同じ部活に所属していたくらいだった。部活も男女ともそこそこ人数がいたから、宙乃と話した記憶もあまりない。俺も宙乃もエースとかスター選手とは縁遠い存在だったから、部活の中でどういう役回りだったかもよく覚えていない。それは宙乃からみた俺もそうだろうし、お互い地味だった。ただ、鮮明に覚えているのは、宙乃の賢明な練習姿勢。残念ながら結果に直結しないことも多かったが、三年間、宙乃がひたむきに競技と向き合っていたことは、今でも断言できる程度には記憶に刷り込まれている。

「もっと世界は騒がしいのかと思ったけど、ずっと普通」

 後ろで宙乃が言うように、道路も街並みも普段とそう変わりないように見えた。ある日突然地球最後の日だといわれても、すぐに特別な行動に移れる人間というのは少ないのかもしれない。

 大学はお互い地元を出て、別の地域に出たから、高校を卒業してからは年に1回か2回、高校や部活の集まりで顔を合わせるくらいだった。特に連絡をとるわけでもなかったし、顔を合わせても近くの席になれば話すという程度だったから、大学時代の宙乃が何をやっていたかは今もよく知らない。ただ、何かのタイミングで競技を続けていないことを聞いて、それはひどく寂しく思った記憶はある。

「こうして見てると、星が落ちてくるなんて悪い冗談で、明日からも普通に日常が続いていく気がする」

「地球がなくなったとしても、明日も明後日も時間は流れ続けるさ」

「観測する人がいなくなっても? って、ああもう、そういう理屈っぽいことじゃなくて」

 抗議するように肩つかむ手の力が強まる。

 宙乃とこうして時折天体観測に出かけるようになったのは、ここ二年くらい、お互いに大学や大学院を卒業して、働き出してからのことだった。高校の同窓会の関係で住所録を作っているときに、たまたま歩いて30分くらいの近くに住んでいることを知った。せっかくだからということで、一度二人で飲みに行って、バイクを持っていることを話したら、時々天体観測に行っているから乗せてけという話になった。酒の席での勢いもあったのだろうが、それからほどなく近場からということで行くことになり、それからも時折一緒に天体観測に行くようになった。

「朝、ニュースで小惑星のことを知って、私は今日、一人で怖がりつつ、諦めつつ死んでいくんだろうと思ってた」

「俺が約束を破ると?」

「そういうことじゃないけど。でも、今日で世界が終わるってなったら、他にやりたいこととか、一緒に過ごしたい相手とかいるんじゃなかなって」

「まあ、俺も宙乃がいなかったら、それで仕方ないと思ってたしな」

 徐々に周辺の景色からは住宅や商店が消えていき、かわりに田畑や野ざらしの土地が姿を見せ始める。その先に見える小高い山。その山頂が今日の——最後の目的地。



 宙乃の一押しであり、天体観測の穴場でもあるというその山の山頂までは、きちんと整備された登山道はない。一応の登山道の麓にバイクを止めて、荷物を背負って登山者が踏み固めてつくったのではないかと思える道を歩き出す。あまり大荷物を持っていけるわけではなく、周囲に明かりが全くないわけではないが、宙乃の家から割と近く、何より同じように天体観測に来る人が少ないこともあり、流星群などを静かに見たいという時にはここから観ることが多かった。

「暗くなってきたから気を付けてね」

「了解、まあ、この2年で少しくらいは慣れたと思うが」

 先を行く宙乃は時折こちらを振り返る。思うところがないわけではないが、山登りなんて天体観測に付き合い出すまでまともにやったことがなかった俺は、おとなしく後ろについていく。慣れた宙乃の足跡を追って進むのが一番効率がいい。

「2年、か。今考えると、もう少し早くこうしていればよかった」

 宙乃は前を向いたまま、そんなことをつぶやく。

「さすがに、宙乃が住んでいたところまでバイクで行くのはしんどいな……」

 今でこそ同じ町に住んでいるが、大学時代は地元の県を挟んで南北に分かれていたから、250ccバイクで気軽に、という距離感ではなかったと思う。

「あら、私たちの地元にも星が綺麗に見える場所はあるのよ?」

 そう応じてから、どこかむくれたような顔で宙乃が振り返る。

「ねえ、わざと言ってる?」

 答えるかわりに両手を挙げて降参のポーズをとり、首を左右に振る。その一方で少し考える。例えば高校卒業してから、宙乃と天体観測に行くようになっていたらどうなっていたのだろう。途中でどちらかが飽きて、何となくそのうち合わなくなっていただろうか。それとも、天体観測以外でも普段から会うような仲になっているのか。

「まあいいわ。さて、着いたわ」

 左右を木々に囲まれた道が一転、パッと世界が開ける。元からそうなのか、誰かがそうしたのかはわからないが、山頂から5mくらいは木々がなく、辺りが見渡せるようになっている。

 既に日は沈みかけており、西の空が微かなオレンジから淡い藤色に染まり、東の暗闇にくけて儚げなグラデーションを彩っている。西の空太陽が消えていったであろう山の上には薄青色に光を放つ繊月。

 今回は季節も悪くなく、観る予定だったものが街中からでも見えるほど明るいとのことだったからあまりたいそうな準備はしていない。荷物からシートを広げ、防寒着を取り出す。あとはあってもなくてもいいのだが、バーナーを取り出しお湯を沸かす準備をする。これは夜の山イコールコーヒーだろという思い込みで俺が始めたことだが、案外悪くないのか、宙乃は文句を言うこともなく、荷物に余裕があれば毎回持ってきている。

 ざっとであるが、一通りの準備を終えたころには日は完全に暮れており、夜空の背景は画一的な黒紫。その上にパッと広げたような光点が散らばっている。



 最期の夜は、静かだった。もっといろいろなことを話すかと思っていたら、意外といつものように時折とりとめのないことを話したり、宙乃が星について解説をしたりという程度で、静かに時間は流れていった。

「来たか……」

 あえて時計は見ていなかった。夜が更けるにつれて気温は落ちていき、防寒着を着ていても肌寒く感じたところでコーヒーを淹れた。熱々のコーヒーを口につけ、もう一度空を見上げた時、周囲の星を押しのけて一際強く輝く点が姿を見せた。

 ふいに右手に暖かい重みが加わる。宙乃の左手は、微かだが震えていた。そっと宙乃の方を見ると、一心に空を見上げている。

 今更ながら、少し後悔していた。終わりをもたらす凶星は、残酷な美しさを纏っており、薄ら寒い恐怖を与えてくる。俺は構わないが、宙乃を連れてきてよかったのだろうか。約束を混ぜっ返して、高校の同期かなんかで集まって、外の見えない部屋でワイワイやっていたほうが、幸せだったんじゃないだろうか。

「大丈夫、大丈夫だから」

 俺の考えていることが伝わったのか、空を見上げながら宙乃はそんなことを言う。

「言ったでしょ、私も、悪くないと……こうしたいと思っていたから」

 宙乃が星から視線を外し、こちらを見る。困ったような笑顔という、宙乃にしては珍しい表情。

「やっぱり、怖いものは怖いのね」

 困ったような笑いが、強がりだということに気づいた。ここまでそんな素振りを見せていなかったが、もしかしたら最初から、恐怖はあったのかもしれない。

 重ねられた手をきゅっと握りしめてから、そっと離し、宙乃の肩に手をまわす。どれくらいぶりだろう。宝物でも扱うように慎重に、その肩を抱き寄せた。宙乃はされるがままにしていて、防寒着越しでもその熱が伝わってくるような気がした。

「本当に——」

 ある大きさになってからは、すぐだった。確かに前代未聞であろう大きさの流れ星が、轟音と共に尾を引きながら迫ってきていた。圧倒的で、幻想的な光景。恐怖と輝きと隣からの熱量と、いろいろなものがごちゃ混ぜになって、気が付けば涙が出ていた。コツン、と、宙乃が頭を預けてくる。顔と顔がすぐそばにあった。

「こんなことなら、もう少し早くからこうしていればよかった」

 宙乃の言葉が終わると同時に、強い衝撃が体を揺さぶった。

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