第6話 寡黙な絵描きと気さくな釣り人
洗濯を終え家に戻ると、絵描きは意識を取り戻していた。
すぐに立ち上がろうとするので私はそれを止め、まず水と薬を飲ませて安静にするよう寝かしつけた。
「……すいません」
「いいんですよ。一人暮らしだと、こういうときツライですよね」
私も一人暮らしなので、病気のときの辛さはよくわかっている。
去年インフルエンザにかかったときなんかは、本当に死ぬかと思ったくらいだ。
「大人しく寝ててくださいね。家事とかはやっておきますので」
「……」
私がそう言うと、絵描きはしばし何か言いたそうにしていたが、最終的に何も言わず目をつぶった。
(……本当、口下手な人)
もう半年も付き合いがあるというのに、彼とは1分以上会話したことがない気がする。
本当にあの釣り人と同一人物なのか……、正直、未だに信じられない。
しかし、部屋の隅に置いてある釣り具は、間違いなくあの釣り人の物だった。
実は双子で、一緒に住んでいるという説も考えられなくはないが、流石にスマホを共有しているということはないだろうし、その説はすぐに頭の中から消えた。
(うーん、聞きたいことが沢山ある。でも、今は我慢我慢……)
今すぐにでも質問攻めにしたい気持ちをグッと堪える。
私はとりあえず、洗濯ものを畳んで気を紛らわせることにした。
◇
洗濯ものを畳んだり、スマホを弄ったり、彼の顔を眺めたりしながら時間を潰してると、夕方のチャイムが鳴り響く。
私の住んでいた田舎とは違う曲だけど、やはりこの曲も懐かしさを感じさせるメロディだ。
「……ん」
チャイムのメロディに耳を傾けていると、絵描きがモゾモゾと動き出す。どうやらチャイムの音で目覚めたようだ。
「調子はどうですか?」
「……大分楽になりました」
私の看病が効いたのか、薬が効いたのかはわからないが(まず間違いなく後者だ)、動けるくらいには快復したようだ。
私は買ってきた体温計を渡し、熱を測らせる。
「……36度5分」
「平熱がいくつかは知りませんけど、それなら大丈夫そうですね」
市販の薬で効くか少し心配だったが、杞憂だったようだ。
「……色々と、お世話になって、その、すいませんでした」
「そこは、ありがとうって言ってくれた方が嬉しいけど」
「……ありがとうございました」
気さくで明るい雰囲気だった釣り人の見た目でボソボソと喋る姿は、なんだかギャップがあり微笑ましい。
本当に、どちらが本当の姿なのか。もう聞いてしまってもいいよね?
「ねえ、いつもはもっと、普通に喋れてたでしょ? なんで今は絵描きモードなの?」
「こ、これが、素なんです」
「ってことは、釣り人のときは無理してたってこと?」
「……はい」
絵描きは、少し気まずそうに目を逸らしながら頷く。
「なんで、そんな無理してまで明るくしてたの?」
「そ、それは……」
絵描きが言葉を濁し、しばし沈黙が流れる。
私は無理に促そうとせず、無言で待った。
「……えっと、それは、あなたと、その、話すためで……」
「っ!? 私と?」
「はい……」
え……? それってどういう……
いや、言葉をそのまま受け取るなら、私と話すために、わざわざ無理したってことなんだろうけど、なんで?
「私と話すために、わざわざ釣り人の格好して、おまけに性格まで偽ったの?」
「そう、です」
「なんで? いや、別にそこまでしなくても、普段の絵描きスタイルのままじゃダメだったの?」
「それは、やっぱり怪しいし、警戒されると思って……」
どうやら絵描きは、自分が怪しい出で立ちだったことに自覚はあったらしい。
それで私に警戒されると思い、あの釣り人スタイルで接してきたということか。
「でも、最近は絵描きスタイルのときでも普通に話してましたし、正体を明かしても良かったんじゃ?」
「……今更、言い出せなくて」
うーん、まあ確かに、実は絵描きと釣り人は同一人物でした! なんてネタバラしをされても、反応には困っただろう。
本人もどうしたものかと悩んでいたところ、不意に正体がバレて動揺したというところか。
「でも、そもそもな話、なんで絵描きのときはあんな格好を?」
「それは……、その……」
絵描きが目線を泳がせる。
その先には、メンズモデルの雑誌が積まれており……ってまさか!
「もしかして、モデルとかやってるの!?」
「その……、はい……、無名の弱小なんですが……」
部屋の片づけをしているとき、似合わないメンズ雑誌の存在には気づいていたが、てっきり絵の資料か何かだと思っていた。
まさか、自分の写真が載っている雑誌だったとは……
でも、それなら彼の美形っぷりも納得できる気がする。
「凄い。私、モデルなんて初めて見た」
「…………」
話している間、彼は照れっぱなしである。
こんなことでモデルなんてやれるのかと心配になったが、こんな彼だからこそあんな変装をしていたと思えば、納得はできる気がする。
「でも、釣り人のときは顔見せてたけど、アレは良かったの?」
「……あの時間帯だけだったし、釣りくらいならOKって事務所に言われてたから」
「それって、事務所的には絵描きはアウトだったってこと?」
「はい……。なんか、イメージの問題とかで」
まあ確かに、絵描きは釣り人より若干陰キャ感はある気がするけど、そこまで制限されるのか……
昨今はSNSなどですぐ拡散されるので、そういうのを嫌ったのかもしれない。
……そういえば、彼は時間帯とも口にした。
思い返すと、釣り人は平日の夕方にしか現れなかった気がする。
もしかしてだけど、私に会うためだったり……?
「ねえ、もしかしてだけど、夕方あの時間帯に釣りしてたのって……」
「……はい。あなたと、話せるかなと」
……本当にそうだった。
でも、なんで私なんかと話すため? 私に惚れたとか(笑)? いや、ないない。
自分で言うのもなんだが、私ってスタイルは普通だし、顔も良いとは言えないレベルだ。
「そこまでして私と話して、あなたに何のメリットが?」
と、真顔で尋ねてしまった。
少し自分を卑下し過ぎかもしれないが、真面目に理由がわからない。
「それは、言ったじゃないですか……。僕は、あなたのことが、好き、だと……」
「っ!?」
そういえばそうだった。
私、先日彼に告白されたのだった。
今の私は彼を完全に絵描きと認識してたけど、彼は釣り人でもあった。
その釣り人から告白されていたというのに、そのことが完全に頭からすっぽ抜けていた。
「そ、そういえば、そうでしたね。あはは……」
私はとりあえず笑ってごまかし、次にどう反応すべきか逡巡する。
(え~っと、釣り人さんからの告白を保留してたのは、絵描きさんのことがチラついたからで、その二人が同一人物だったから……、つまりどういうことだってばよ)
頭の中で某忍者漫画の主人公のような言葉遣いになり、さらに混乱する。
そうこうしているうちに痺れを切らしたのか、彼が口を開く。
「それで、その、返事のほうは……」
「えっと、あの、返事を待ってもらってたのは、絵描きさんのことが気になってたからなんでけど……、つまり最初から悩んでいた意味はなくって、答えは出てた?」
「??? それは、OK、ということですか?」
「いや、でも釣り人さんのことも間違いなく気になっていたワケで、こんなうわっついた状態じゃ、気持ちには応えられないと思って……」
「え……、でも、同一人物ですよ?」
……そうなのだ。
私はこのどっちつかずな気持ちでは不誠実だと思っていたのだが、実際は同一人物のことで悩んでいたのである。
それはつまり悩んでいたこと自体が意味のないことで、結論としては問題にならないとは思うのだが……、いいのだろうか?
「えーーっと、確かに、私の悩みって無駄だったとは思うんですけど……、凄くモヤモヤしてます……」
それもこれも、彼が絵描きと釣り人という別の人物で現れたのが原因なのに、何故私がこんな思いをしなくてはならないのだろうか……
「それは……、本当に申し訳なく思ってます。あの、それじゃあ、今度はもう一度、今の自分を見て、考えてもらえませんか?」
「今のあなたを見て……、それは絵描きでもあり、釣り人でもある自分ってこと?」
「はい。絵描きの僕も、釣り人の僕も、どっちも僕ですから。僕は僕として、あなたが好きで、付き合いたいと思っています。だから、そのうえで、返事を、頂けないでしょうか」
もう20過ぎの大人だというのに、面と向かって好きと言われると、どうしても照れてしまう。
いや、待て、そもそも彼はいくつなのだろうか?
「その前に、あなたって今、いくつ?」
「19です」
19か……
意外と歳も近いし、セーフか?
いやいや、何がセーフだ。完全に頭がOKの方向になってしまっている。
一度落ち着かないと。
「うーんと、あの、やっぱりまだ心の整理がつかないので、もう少し時間をくれない? 今のあなたと、もう少し付き合ってみて、それから答えを出したいの」
「っ! それでいいです。その、よろしく、お願いします」
「う、うん。こちらこそ、よろしくね」
◇
そんなこんなで、私達は再び前の関係に近い状態に戻った。
朝は絵描きに挨拶し、夕方は釣り人と談話する。
少し変わったのは、釣り人スタイルのときは無理をしているというのがわかったので、少しからかってやるくらいか。
返事はまだしていない。
自分でも随分奥手だと思うが、この歳にもなると慎重になるのだ。
それに、気持ちを弄ばれた(笑)ことに対する意趣返しというのもある。
だからもう少し、この関係を続けていこうと思う。ふふ……
おしまい。
寡黙な絵描きと気さくな釣り人 九傷 @Konokizu2
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