第6話 定められたこと

 姫子はすぐに退院できた。体調にも問題はなさそうだった。

 朱雀門家に、姫子は引き取られた。


「しばらくは客間で寝泊まりしてくれい。すぐに部屋も整えようぞ」

「はい、ありがとうございます」

「ばあさん、案内してやれ」

「はい、じゃあこちらへどうぞ」

 姫子が下がると、喜代輔はふうとため息をついた。

「……で、そこでブンむくれておるヒノじゃが」

 問題は、朱雀門家の方にあった。

「そう簡単にハイ結婚しますなんて言えるか!」

 ヒノはまたゴネた。

 応接室で向かい合って、祖父と孫が言い争う。

「だいたい、こんないきなり来るなんて聞いてねーぞ!」

「じゃーかーらー、しきたりをきちんと聞いておかん、おぬしが悪いぞい」

 喜代輔が面倒そうにため息をついた。

「嫁となる娘が十五歳になれば、我が朱雀門家に引き渡される。そして吉日を選んでまず〈比翼ひよくの儀〉を行って秘術を継承し、それから改めて仮祝言を……」

「だーから! オレは結婚を認めた記憶はないってーの!」

「なんじゃ、あの子が気に入らんとでも言うのか?」

「そ、そーじゃないけどさ……」

 姫子を迎えたというのに、ヒノはまともに彼女の顔を見ていない。会話もしていない。

「いい加減にせい。そんなイヤがったって、もうあっちは来てしもうたんじゃぞ?」

「ハッ。あっちだって喜んで来たかどうか、わかんねーじゃねーか!」

「はぁ~……どうしてもイヤか?」

「納得いかないね!」

 ヒノはぷいとそっぽ向く。

 喜代輔が茶をすすった。コトリ、と湯飲みを置く。

「結婚せぬなら、この家から出ていってもらうことになるぞ」

 先ほどとは違う、低い声だった。

 ヒノは一瞬ひるんだ。

「じ……上等じゃねぇか!」

「わかっておらんの」

 喜代輔はきわめて冷静に告げた。

「次期総領の資格を剥奪、朱雀門家に対するすべての権利を放棄してもらう。籍も抜いてもらう」

 親子関係、縁戚関係すべてを絶つ。無一文で叩きだす。つまり勘当だ。

 ヒノは、ごくりと唾液を飲みこんだ。

「それにお前が出ていったところで、姫子さんには関係のないことじゃ」

「……どういうことだよ?」

「白虎島あるいは青龍島にある朱雀門家の分家から、しかるべき者を姫子の婿に迎える。そしてその婿を次期総領にする」

「な……っ」

 ヒノは絶句した。

「何だよ、それ! まるでモノ扱いじゃねーか!」

 ヒノは怒り、食ってかかった。

 喜代輔は動じなかった。ヒノを見据え、そして体ごとヒノから背けた。

「頭を冷やせ、ヒノ。考えられるようになったら、ここへ来るんじゃ」

 わがままな幼児を見放す親のようだった。

「フンッ!」

 ヒノは乱暴に足を鳴らして、応接室を出た。


「ヒノ、遊びにきてあげたわよー」

 廊下で、すみれが待ちうけていた。

「呼んでねーぞ」

「あら、あたしと啓介は出入り自由なの忘れたの?」

 廊下は縁側につながっている。

 すみれはサッシを開けた。

「あー今日もいい天気ー」

 すみれはのんきに日の光を見上げる。縁側に出て、座る。

「ヒノ」

 すみれは自分の横を、チョンチョンと扇子で突く。

 ヒノはムッとした表情のまま、すみれの横に座った。

「……何だよ」

「好きなんでしょ? 姫子ちゃんのこと」

「な……っ!?」

 いきなり言われて、ヒノはまた言葉を失った。

 すみれはほほえんだだけだ。いつもなら、ヒノをからかうだろうに。

「今のヒノは、思い通りにいかなくて、イライラしてるだけ」

 扇子を広げ、骨を指でなぞる。

「姫子ちゃんのことは好き。でも姫子ちゃんを受け入れれば、親が決めた結婚を受け入れることになる。さんざんイヤがってたことに屈することになる。自分を曲げることになる。それがイヤなのよ、ヒノは」

 すみれはわかっている。ヒノの心の奥底まで。

「不器用で、プライドが高くって」

 ふわ、とすみれが笑う。

「好きよ、そういうところ」

 ヒノは真っ赤になった。

「ば……っか言ってんじゃねえ!」

「ふふっ、ヒノの照れ屋さん」

「照れてなんかいねぇ!」

 怒るヒノを、すみれは真顔でのぞきこんだ。

「イヤなの?」

「あ?」

 すみれの青みがかった目が、じっとヒノを見つめる。疑問で満ちた目だった。

「あなたは、どうなの? 姫子ちゃんが、ほかの男のものになってもいいの?」

「…………」

 ヒノは黙って立ちあがった。

 すみれは縁側に座ったまま、パタパタと扇子をあおいだ。


 ヒノは庭に降り、すみれの目の届かぬ場所まで離れた。

 ヒノの家は大きい。歴代の総領が住まい、島の迎賓館としての役割も果たしてきた。客を泊まらせるための専用の部屋がいくつもある。純和風の母屋、洋風の別館、道場に、使用人の寮。その建物をつなぐあいだには、これまた本格的な庭園がある。

 桜が花をほころばせている。満開にはまだすこしかかりそうだ。

「ふー……」

 庭の片隅で、座りこむ。

「どうしようか……」

 ヒノはつぶやいた。

 朱雀門家の跡を継ぐことは、昔からわかっていた。

 だが結婚の相手は自分で選ぶつもりだった。玄武島から嫁いできた女は、一生、故郷に帰れないと聞いたからだ。

 両親が不在がちなヒノは、寂しさを知っている。

 寂しさを知っているから、自分の妻にはそんな思いをしてほしくなかった。

 いざ縁談が来ても、拒否しつづけていれば立消えになると思っていた。

 だが来てしまった。

 自分の妻となる少女が。

 黒い髪、大きな瞳、薄紅色の唇、鈴の声。

 ヒノの理想をすべてそなえた少女が。

 来てしまった。

「…………」

 ヒノは赤面した。

「おや、若」

「うわっ!?」

 ヒノは飛び起きた。

 早暁だった。

「お悩み、ですね」

「そう……なんだろうな」

 悩んでいるのか。ヒノにはもうわからなかった。

「若、若のなさりたいようになさってください。つねに親が正しいとは限りません。子にとって迷惑な親も、多いと思うのです」

「意外だな。早暁さんがそんなこと言うなんて」

 真面目な早暁が、上の世代を否定するようなことを言うなんて。

 何か理由があるのだろうか。

「私は……知っていますから」

「と、いうと?」

「私の父は、母を捨てて別の女性と結婚しました」

 早暁は生い立ちを語った。

「その女性の家はとても裕福だったそうです。父は金に目がくらんで、母と私を捨てました。母が亡くなっても、私が一人になっても……連絡ひとつよこさなかった」

 ひとりぼっちの末にたどりついたのが、この朱雀門家だったというわけだ。

「父には二人の子供がいるとも聞きましたが、もし今……父や弟たちが出てきて、私に従えと言ったら、絶対に反抗するでしょうね」

「早暁さんでも?」

「ええ」

 早暁は笑った。寂しさを知るほほえみだった。

「若、この早暁、いつでも若をお助けします」

「早暁さん……」

「では、私は稽古がありますので。また」

 早暁は去っていった。

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