第4話 水上の三人、そして出会い
「まったく! 祖父様の石頭にも困ったもんだ!」
ヒノはプンスコ怒りながら、舵を切った。
「おしおき再開」と言われたヒノは、家を飛び出し港に走り、彼専用のリゾートボートで湖上に逃げてきたところだった。
こんな日は、水上でほとぼりが冷めるのを待つに限る。
「まあまあ、そう怒ると操舵が荒くなるわよ」
「いい風だなぁー。やっぱ東側はいいね」
すみれが舳先で風を楽しむ。
その横には啓介もいる。
「……だいたい、お前ら、オレを捕まえるように言われたんじゃねーのかよ」
「総領代は、『頼む』とおっしゃった。でも『捕まえろ』とは聞いてないわ」
「そうそう。せっかく湖に出るならこっちにつきあう方が楽しいよ~」
「啓介、お前までこの性悪女に毒されたのか……」
ヒノは毒づいたが、二人はどこ吹く風だ。
すみれが船の隅を指さす。
「ちょっと、〈ケガレ〉が入りこんでるわよ」
すみれが示した先には、黒いヘビのようなものがわだかまっていた。
ヘビの周囲には、黒いもやがかかっている。
「たいしたものじゃない。水に流しときゃいいだろ」
このヘビは〈ケガレ〉と呼ばれている。虫や石のような姿であらわれることもある。生命体ではない。意思も持っていないとされる。汚れやよどみのあるところや、怒りやねたみなどマイナスの感情のあるところに、〈ケガレ〉はあらわれる。
ただ、〈ケガレ〉を見ることができるのは、ごく一部の人間だけだ。幼い子供や霊感の高い人間であれば見えるという。
そして、三人の少年少女は〈ケガレ〉が見える人間だ。
「おおかた、港でさばかれた魚かなんかのだろ。つまんで捨てろ」
「あたし、さわるのヤダー。啓介、やってー」
「はいはい」
啓介がヘビをつまみ、湖に投げた。
水にふれると蛇はどろりと溶けた。溶けたチョコレートのように水の上にただよう。やがて油のようになり、薄まって消えた。
「で、何の話だっけ?」
「総領代が石頭って話」
「そーゆーけどね、あたしから見ればヒノもけっこー石頭よ?」
「オレはオレの信念を貫くだけだ」
「石頭じゃないかぁ。あ、わかった! 結婚式で、お父さんと会うのがイヤなんでしょ?」
啓介が言うと、ヒノの口元がムッと上がる。どうやら図星らしい。
「あら、そうなの。どうしてお父様が嫌いなのかな~?」
「関係ねーだろ」
「まあまあ。おねーさんに話してごらん?」
すみれがニコニコ笑う。
「……親父は苦手だ」
ヒノの父親は、朱雀門院家の現総領だ。
「年がら年中、母様を連れまわしてどこ行ったかもわかんねぇ」
ヒノの父、朱雀門
「家のことも、祖父様にずっと押しつけたまんまだし……」
現総領が留守がちな以上、総領の仕事をする者が必要になる。
本来なら、跡継ぎのヒノがつとめるべきだろうが、彼はまだ未熟だ。そのため、明紀兼の父であり、そしてヒノの祖父である喜代輔が、総領の代理を務めている。
喜代輔もかつて総領をつとめた身であり、経験は十分にある。
「だいたいオレの名付けからしてあの親父は!
「そりゃ、あたしらだって一緒じゃん。青龍園って画数多くて最悪よ?」
「殿って書きづらいんだよなぁ」
すっとぼける二人に、ヒノはがっくり肩を落とした。
「ま、お父様に会うのがイヤなだけじゃないわよねぇ? 結婚自体、イヤなんでしょ?」
「イヤに決まってんだろ! 親が決めた結婚なんて、時代劇でもあるまいし!」
「そりゃ、お相手も一緒じゃない? こんなのが婿じゃねぇ」
「るっせぇ!」
すみれが首をかしげた。
「あれ? そういえばお相手はどこの誰だっけ?」
「玄武院家のお嬢さんでしょ。それがしきたりだもん」
啓介が答える。
朱雀門家の総領は、代々、玄武院家から妻を迎える。それが伝統だ。
「で? そのかわいそうなお嬢さんの名前は? 名前くらい知ってるでしょ?」
「えっとたしか……麗子でもなくて、美姫でもなくて……」
ヒノは携帯を取りだし、メモ機能を見る。
「姫子。玄武院姫子って奴らしい」
「玄武院姫子……姫子ちゃんかぁ。かわいい名前じゃない」
「で、ブスだったらどーすんだよ!」
「どうするって……会ったことないの?」
「一度もない!」
「写真は?」
「見たことない!」
「メルアドは? 電話で話すのは?」
「知らない! したことない!」
えへんぷい、とヒノは胸を張る。
「結婚がイヤだっていっても、それはやりすぎじゃないのかなぁ……」
啓介が呆れる。
「しょーがねーだろ、啓介。しきたりだの何だの言って、名前以外は全然教えてもくれねーんだから」
「えっ、ヒノが拒否してるわけじゃないの?」
「違うんだよ、それが」
「……徹底してるわね」
「な? 結婚なんてイヤになるだろ?」
ヒノが得意げに胸を反らす。
「オレはオレの理想の彼女を探すんだ!」
すみれがため息をついた。
「じゃーさ、ヒノの理想の子ってどんなの?」
ヒノはヤニヤしながら語り出す。
「もち、誰が見ても美少女ってのは外せないだろ。茶髪は駄目だな。手入れの行き届いた黒髪ロングでしかもストレートでサラーッとしてて、目が大きくて唇はピンク、体はほっそりとしててでも出るところは綺麗に出てて、性格は控え目で賢くて声は鈴みたいな感じ。ああ、んでもって料理とか上手だったらいいかなー」
「うっわぁ……それ、ほかの女子の前で言わない方がいいわよ。ドン引きぃ」
「だから彼女いない歴イコール年齢なんだよ」
すみれも啓介もあきれ顔だ。
「うっせぇ! 俺は理想が高いんだよ!」
「んじゃ、その理想通りのお嫁さんが来れば問題なしじゃないかなー」
啓介がいいこと言ったように指を立てたが、すみれが即座に鼻で笑う。
「このモーソーじみた理想どおりの女の子がぁ? ムリムリ」
「自分がなれねーからってヒガむなよ」
「何ですってぇ!」
ギャーギャー騒いでいると、啓介が突然立ち上がった。あたりを見回す。
「ヒノ! あれ!」
啓介が指さす。
小型船が、猛スピードで直進してくる。船体が激しく上下しながら水面を滑る。
――そしてミズチは三人の若者が撃退し、小型船が炎と爆音を上げた。
妖怪のいる世界での日暮れ。
太陽はずいぶんと傾き、朱雀島の影が東へと延びていた。
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