第3話 妖怪、現る。

 道場破りは、全身ひっかき傷まみれになって倒れた。

「なーにが道場破りだ。おい、起きろ」

「う……ぐぐ……」

 道場破りがギッと睨む。

「ヒノ!」

 啓介が目を見開いた。短い髪がざわわっと逆立つ。

「離れて! 様子がおかしい!」

 道場破りの口ががっぱと裂けた。

『シャ――――ッ!』

 首が伸び、ヒノの体に巻きつく。

「な、何!?」

「妖怪だ!」

 人とも獣とも違う、異形のモノ――妖怪。

 道場破りは、もはや人の姿ではなかった。口は耳まで裂け、舌をチラつかせる。皮膚には鱗が浮かび、手足は短くなって胴の中に消える。人の三倍はある大蛇の妖怪だった。

『生意気な小僧め、よくも恥をかかせおって!』

 妖怪はくぐもった声で、ゲッゲッゲッと笑う。

「ヘビごときが……くうっ!」

 蛇体がヒノを締めあげる。

「ヒノ!」

「スミ姉、あぶない!」

 啓介がすみれを抱えて飛んだ。

 妖怪の尾が、彼らのいた場所を叩く。固い土がいとも簡単に窪んだ。

『動くなよ人間ども。大事な跡取りが死ぬぞ!』

 ヒノをギリギリと締めあげながら、妖怪が笑う。

『腕を封じ苦痛をもって集中力を乱せば……力は使えないのだろう?』

「うう……ぐはっ!」

 ヒノの腕から籠手が消える。

「く……そ……!」

「若!」

 ヒュッと影がよぎった。


 パアン!


『グギャ!』

 軽快な音がして、妖怪の頭が地面に叩きつけられた。

 蛇体の力がゆるんで、ヒノが解放される。

『な……グ……?』

 妖怪が頭をふらつかせる。

 その真正面に、長身の青年が立っていた。

「――朱雀紅蓮術、霧椿キリツバキ!」

 青年が目にも止まらぬ早さで拳を繰り出す。

 シパパパパッと軽快な音とともに、妖怪の顔がひしゃげる。飛び散った血が、霧となる。全身に打撃痕が浮かぶ。

「あの技は……」

早暁そうぎょうさん!」

 早暁と呼ばれた青年は、懐から小さな立方体を取り出した。組み木細工の箱だ。

「我が功徳力くどくりょく、加持力、および法界力をもて、願わくば如意宝にょいほうとなさん!」

 呪文を唱え、素早く両手の中で転がす。

 細工がパズルのように組み変わる。箱の一面が開く。

「封!」

 青年は箱を妖怪に突きだした。風が起こる。

『ヒャアアアアァ……』

 妖怪の体がまるで煙のように、箱の中に吸いこまれる。

 もとどおりに箱を閉じると、あたりはシンと静まった。

 青年は姿勢を正した。ヒノと喜代輔に深々と礼をする。

「お師匠様、若、遅くなって申し訳ない」

「早暁さん!」

「兄弟子!」

「兄弟子!!」

 美黒早暁みぐろそうぎょう――喜代輔の弟子のひとりだ。まだ二十代だが実力は折り紙つき。若い連中は、彼を兄弟子と慕う。

「危ないところでしたね、若。お怪我は?」

「大丈夫。助かったよ、早暁さん」

 ヒノが笑う。ヒノにとっても、兄弟子のような存在だ。

 早暁は喜代輔に向きなおり、ため息をついた。

「お師匠様、妖怪を招き入れるとは……らしくありませんね」

「やれやれ、面目ないことじゃて」

 喜代輔はポリポリ頭をかいた。

「じゃが、おぬしがとりこにしたのなら問題ないじゃろ。処置はまかす」

「わかりました」

 早暁がうなずく。

「あー……ところで、相武あいむ君はどうした?」

「相武さんは……いつもどおりです」

 早暁はわずかに表情を濁した。

「ま、ええわい」

 喜代輔はヒノに目を向けた。

「あーそれからヒノ」

「あ?」

「気持ちは変わったか?」

「気持ち? 何に変わるって?」

「じゃから、例の……結婚の件じゃ」

 きゅ~~っとヒノの眉が寄る。

「祖父様、オレは結婚なんてイヤだって言ってるだろ!? だいたい、オレは高二になったばっかだし! 相手の顔も知らないし! そもそも親の決めた結婚なんて今どきありえないし!」

 ギャンギャン吠えたてるヒノに、喜代輔はふうーとため息をついた。

「仕方ないのー……」

「やっとわかってくれたか?」

「――おしおきの続きじゃ」

「さ・れ・て・たまるか――――!!」

 ヒノは脱兎のごとく逃げだした。

「やれやれ……あやつにも困ったもんじゃ。今日は大事な日というのに……」

 喜代輔は深くため息をついた。

「おスミ、啓介、頼むぞ」

「わかりました、総領代。啓介、行くわよ」

「あ、うん」

 すみれと啓介がヒノのあとを追った。

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