第9話
グレモリーの乗る一瘤駱駝が巨大な口を開けてカルトを噛み砕こうと迫ってくる。
カルトは寸前の所で横に転がり駱駝の顎を躱すと、堪らずグレモリーから距離を取った。
「カルト君! 無理しないで!」
麟世の声援に頷く余裕すらなかった。
カルトは自分の体を確認する。とりあえず五体満足、骨折などは見あたらない。胃袋の中に血が混じり、常に吐き気がする。グレモリーの初撃で内臓の一部が深刻なダメージを受けたのだろう。左手でレライエの印象を描くと、それを体に押しつけた。傷を操るレライエは、傷口を広げたり出血を止めたりする事ができる。カルトは、後者の力で応急処置を施した。
「チッ、どうなったんだよ。マクシミリオンは確実にグレモリーの首を凪いだと思ったんだけど……。なかなかやるじゃないか……!」
口元に笑みを浮かべるカルト。そんなカルトに、「開始一〇秒で倒された奴が、笑っているんじゃないの!」と師から叱咤が飛んだ。
「俺は戦いながら、相手の力を計るタイプなんですよ!」
口から血の塊を吐き出しながら、カルトはセリスに返した。白い長衣が吐血により赤く染まりつつある。
カルトが斬りかかった瞬間、マクシミリオンが纏っていた魔法が搔き消えてしまった。近接攻撃の為、簡易結界で阻まれたと言う事はない。しかし、マクシミリオンから力が消えてしまった事は確かだ。そして次の瞬間、カルトは激しい電気ショックを受けて吹き飛んでいた。
ほんの僅かな交錯の瞬間、グレモリーがわずかに手を挙げたことだけは理解できた。しかし、どうやってカルトがダメージを受けたのか、そこまでは確認できなかった。
動きを見せないカルトに対し、グレモリーは驚くべき早さで近づいた。いや、グレモリーを乗せた駱駝が近づいてきた。
「魔法剣・紅蓮!」
真紅の炎を纏ったマクシミリオン。
駱駝が前足で踏み潰そうとしてくるが、カルトはそれを紙一重で躱すと、翻ったマントを駱駝の頭に巻き付けた。紅蓮を帯びたマクシミリオンで、視界を失った駱駝の首を切り落とす。更に返す刀で前足二本を薙ぎ払った。マクシミリオンが切り裂いた傷口から炎が巻き起こり、駱駝に乗っているグレモリーも包み込んだ。
近接戦闘で最強と言われる魔法剣。斬りつけた相手を剣に帯びた魔法が追撃する。その効果は、受け止められたとしても発動し、回避不可能な攻撃として相手に届く。しかし、それはあくまでも実力が互角の場合。若しくは、相手に特殊な能力がない場合だ。
崩れ落ちる駱駝。炎に巻かれつつも、グレモリーはその手を振り上げてきた。いくつもの光が生まれ、そして放たれる。
「フィールド!」
龍因子を純粋なエネルギーに変化した結界は、カルトの周囲を高速で回転し攻防一体の障壁となった。グレモリーの放った光は、フィールドの上面を滑るようにして後方へ流れていく。
グレモリーが指を一つ鳴らすと、まとわりついていた炎が一瞬にして消え去った。
グレモリー自身にダメージは見受けられないが、駱駝を倒せたのは大きいだろう。これで、グレモリーは地に降りて戦わなければいけない。カルトの注意を向ける相手は、二体から一体になったのだ。
(長引かせればこっちが不利。だから、決める!)
カルトはグレモリーに走り寄る。距離にして数メートル、常人では視認することさえ困難なスピードで動けるカルトは、まさに光のごとき踏み込みでグレモリーの懐に飛び込んだ。グレモリーの視線がカルトに注がれる前に、マクシミリオンの二メートルを超す刃は薄い胸を貫いていた。纏っていた紅蓮が内側からグレモリーを焼き尽くす。
「獲った!」
グレモリーはカルトの早さに反応さえ出来なかった。会心の笑みを浮かべるカルト。しかし、その笑顔も三秒と経たずに凍り付いた。炎にショールが巻き上げられる。ショールの下にあった物、それは衣服でもなければ褐色の肌でもない。光さえも飲み込む闇だった。
カルトはマクシミリオンを引き抜くが、帯びていた紅蓮は意志とは正反対に闇の中に吸い込まれた。
ヤバイ。直感的に感じたカルトは、追撃の二文字を頭から消し、後ろへ飛び退いた。予測通り、グレモリーは両手を広げるとその手に禍々しい炎を生み出した。それは、紛れもなくカルトが先ほど使った紅蓮だった。ただし、グレモリーによって若干パワーアップしているが。
激しい炎がカルトを飲み込むように迫る。紅蓮の炎に一条の光が走った。マクシミリオンが紅蓮を切り裂いたのだ。マクシミリオンに斬られた炎は、緑色の粒子となって拡散した。
胸に込み上げてくる吐き気を堪えつつ、カルトは切っ先をグレモリーに向けた。僅かな時間だったが、グレモリーの力は見切った。恐らく、カルトが当初設定していたよりも、若干強い程度だ。戦い方は謎だったが、それもこれで判明した。
グレモリーは相手の魔法を奪い、それを自らの魔法として使用する。だが、グレモリーの力でもっとも注意すべき点は、胸にあるあの闇。あの闇は、マクシミリオンの刃さえも飲み込んでしまったのだ。
カルトはグレモリーから僅かに視線を逸らし、セリスを伺う。彼女は、腕を組んでカルトの戦いを見物している。恐らく、彼女はカルトがどうやってグレモリーに対抗するのか見ているのだろう。助言は全く期待できない。彼女が登場する場合は、カルトがグレモリーに負けた時だけだ。
グレモリーは動く気配がない。彼女自体の攻撃力はさほど強くない。油断していなければ、カルトも此処までダメージを受ける事はなかっただろう。ならば、グレモリーはカルトが動くのを待っているのか、それとも……。
カルトがもう一つの事を考えた時、目の前でそれが起きた。切り落とし、炎で焼かれた駱駝の首と前足が砂になっていた。駱駝の切り口からサラサラと砂が逆流し、首と前足を形成していく。
(なるほど。コイツは鏡か。自らは殆ど動かないカウンタータイプ。だけど、一瘤駱駝は突進型か…………予想外だったな)
正直言って駱駝を戦力と見ていなかった。ゴエティアには一瘤駱駝に乗って現れると書いてあっただけだ。人外魔境で生まれた一瘤駱駝もどきとは想定外。これでは、一対二で戦っているような物だ。
駱駝が完全に復活する前にカルトは動いた。グレモリーの放つ閃光をかいくぐり、マクシミリオンを頭に振り下ろす。しかし、グレモリーの掲げた右手がマクシミリオンを受け止めた。マクシミリオンの刃は、グレモリーの龍因子によって阻まれていた。
マクシミリオンも魔法も効かない。そうとなれば、残された方法はそれほど多くない。数ある引き出しから、カルトは最良と思われる物を選び取る。
「しょうがない……明日は学校を休むか。ただでさえ出席日数がピンチだってのに」
膨大な量の龍因子を発生させる。
胸に空いた闇に魔法が吸い取られ、利用される。それは、闇が別次元に繋がってはいないと言う事だ。あくまでも、あの闇はグレモリーの一部なのだ。しかし、その容量がどれほどか、魔法を撃ちまくって確かめるのは余りにも非効率すぎる。
ならば、単純に龍因子を嵩上げし、マクシミリオンの切れ味自体を上げるほうが効率が良いし確実だ。マクシミリオンはその性質上、龍因子をどれだけ入れるかで切れ味が違ってくる。使用者の力に合わせ、常に最良の切れ味を提供してくれる。弱ければ弱いなりに、強ければ強いなりに、だ。それは、マクシミリオンの長所でもあるし、短所とも言えた。
カルトの龍因子はハンターの中でも一二を争うと言われるほどの量だ。その量は、師であるセリスを遙かに上回る。龍因子を全て動員すれば爆発的な力は得られるが、肉体の方が持たない。龍因子での肉体強化には限度がある。しかし、カルトは限界を越え、肉体から龍因子の緑色のオーラが立ち上るまで高めた。
マクシミリオンが、龍因子を感じ取り力を増す。
一瘤駱駝の再生が終わった。駱駝は炎の息を吐きながら、首を激しく上下させた。駱駝が怒り狂っている、それだけは理解できた。
長時間の戦闘ではこちらが不利になるだけだ。勝負は一瞬。
「これで終わりだ……!」
カルトが駆け出すのと、グレモリーが動くのが同時だった。
龍因子を吸収し、これまで以上の力を纏ったマクシミリオンが、一瘤駱駝の吐き出す炎もろとも首を再び切り払う。そのまま、カルトは駱駝とすれ違うようにマクシミリオンを走らせる。
「消えろォ!」
グレモリーの放つ閃光が、右肩を撃ち抜いた。弾け飛ぶ血と肉で、視界が一瞬赤く染まるが、カルトは怯むことなくマクシミリオンを振り抜いた。
駱駝は上下に分離し、乗っていたグレモリーも上半身と下半身を分断された。
グレモリーから離れたカルトは、体の状況を見てゾッとした。
右肩はヤバイ状況だった。全く動かないどころか、プラプラと所在もとなそうに動き、今にも千切れて落ちてしまいそうだった。痛いで済む怪我ではないが、悲しいかな、ハンターという職業をやっていると、この手の怪我には慣れてきてしまう。
マクシミリオンを左手に持ったカルトは、倒れたままこちらを見上げるグレモリーに歩み寄る。相手は第三種生命体。首を切り落とされても時間が経てば修復されてしまうのだ。
グレモリーの様子を注意深く観察したカルトは、グレモリーに戦う意志がない事を見て取った。捲れ上がったショールの下には、もう闇はなかった。そこにあるのは、褐色の滑らかな肌に、控えめな乳房。
「トドメだ」
マクシミリオンを掲げたカルトは、何の感情も示さない赤い瞳を睨み付けると、眉間に白銀の刃を突き立てた。
グレモリーは悲鳴も上げずに自らの敗北を認めると、砂となってこの世界から消えた。
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