2

 五年間、職と住居を転々とした。

 資格を持っているわけでも学があるわけでもないから、仕事を探すのは難しかった。

 ほとんどアルバイトで食いつないで、住居が見つからないから車の中で暮らした時期もあった。夏の間はそれでも良かったが、冬は命に関わる。

 日々を生きるだけで精一杯で、自分のことや将来を考える余裕はなかった。

 せっかく見つけた仕事を人間関係のトラブルでふいにすることもあった。

 どこで何を間違えたのか、ぼくは人生の落伍者となっていた。


 人は生きていれば、いくつも挫折を経験するはずだ。

 挫折して、諦めて、妥協して、折り合いをつけて人生を生きていくはずだ。

 ぼくにはそれができない。

 とっくに夢を諦めたのに、胸の火だけが消えずにいる。

 どれだけ遠くに離れても、二人のことを忘れようとしても、燃え移った小さな火は胸の中で燻り続ける。


 熱と光、そして太陽。言葉は祝福だったはずだ。ぼくたち三人と、それ以外のすべてを隔てるための。

 なのに大人になった今、その言葉は呪いのようにぼくを縛り付けている。


 これからどうしたら良いのかわからない。これまでどうするのが正解だったのかも。過去を振り返って、自分の気持ちを整理しても正解が見つからない。

 大きな挫折やトラウマを経験した人は、それを乗り越えたら先へ進める、そう思っていた。ぼくもいつかは二人との経験を乗り越えて、一歩進めるのだと。

 そんなドラマみたいな心境の変化は、ぼくには訪れなかった。


 ぼくの胸にある傷は、凄惨な過去の出来事によって生まれたものではない。

 今まで歩んで来た普通の人生、楽しかったことや嬉しかったことの裏側に、妬みや苦しみが張り付いている。

 特別な過去や辛い事件でもなく、誰もが人生の中で受ける小さな傷があるだけ。

 胸でくすぶっていた何かが熱と光に暖められて、胸に希望の火が燃えた。

 人生を生きる原動力となるはずだったその火は、行き場を失ってぼく自身を焼いている。


 熱田と一緒にプロを目指せば良かったかも知れない。足手まといになるとわかっていても、熱田の尻馬に乗っていれば夢は叶ったはずだ。

 熱田の才能なら、ぼくという役立たずのギターを背負っていても成功しただろう。あそこで熱田の誘いに乗って音楽を続けていればプロの歌手になれた。

 そんな惨めな想いに耐えられたら、だけど。


 勇気を持って野村涼子の答えを聞くべきだったのか? そうしたらその先の人生で、臆病に負けることなんてなかったかも知れない。


 それとも伊吹への恋心を認めて、熱田に奪われる前に伝えれば良かった?

 もしくは……ずっと前に、胸に小さな火が灯る前に、熱田と伊吹から離れるべきだったのか。


 わからない。わからないし、過去は変えられない。前へ進むしかないのに、その進むべき道も見つからない。胸の火は消えるどころか大きくなって、いまもぼくを苦しめている。


 他のみんなはどうやって生きているのだろう。誰だって辛いこと、悲しいことはあるはずだ。すべて乗り越えて生きるか、それとも火を抱えたまま過ごすのだろうか。胸を焼く痛みに耐えながら。


 高校を卒業して十年、ただ闇雲に生きてきた。熱田や伊吹のようにやりたい道へ進めず、諦めた夢の代わりも見つからず、普通の人々のように社会に馴染むこともできない。

 本当にくだらない人生だ。もう耐えられない。


 ぼくは死ぬつもりで、北海道の北端にある宗谷岬へ向かった。


 真冬のこの時期、宗谷岬の気温はマイナス20度、30度が当たり前だ。

 そこで眠ってしまえば、苦しむ間もなく死ねるだろう。


 胸の火はもうぼくの手に負えない。

 今は大きな炎になって、カラッポの内側から自分自身を焼いている。

 苦しくて、吐き出すこともできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る