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熱田と伊吹は東京の専門学校に行った。
二人が付き合っているのを知ったのもその頃だ。
二人ともぼくには秘密にしているようだったが、手をつないで歩いているのを見掛けた。
それに、二人の幸せそうな表情を見ていればバカでもわかる。
はっきり言ってくれれば良かったのに。気を遣われて隠されているのが、余計に辛かった。
ぼくは大学に進学して、一年目のゴールデンウィークには通わなくなっていた。熱田も伊吹も、今までと変わらずにぼくにメールを送って来るし、たまに三人で遊ぼうと言われた。適当に理由を付けては断って、高校を卒業してからは一度も会わなかった。
大学に行かず、スーパーでアルバイトばかりしていた。時間だけはたっぷりとあった。将来のこと、これからのこと、いくらでも考えていられた。だけどぼくは何も考えなかった。
胸の中に小さな火がある。
くすぶる何かに燃え移った火は、今も消えずにいた。
消えずに身体の内側を焼き、耐え難い痛みを放っている。
痛みを隠して、押し込めようとした。どうせ役にも立たない火だ。
ずっと閉まっておけばいずれ消えるはずだ。伊吹と熱田には近づかないようにしていた。嫉妬や羨望というエサを与えたら、胸の火が余計に燃え上がる。
バイトは一年ほど続けたが、クビになった。社員を殴ったからだ。
そいつとは以前から反りが合わなくて、偉そうな態度が鼻についた。ぼくはバイト先の誰とも気が合わなかった。世間話には付き合ったが、飲み会だとかは全部断って、誰とも距離を詰めなかった。
社会に適応できず、人間関係も満足に築けない。何の取り柄もない平凡な人間のクセに、平凡に普通の人として生きることもできないのだろうかと、怖くなった。
高校を卒業して二年目の正月、伊吹からメールが来た。
「あけましておめでとう。今年もよろしく。で、最近メールの返事も来ないけど生きてる? 成人式、久々に三人で会おうよ。大人になった記念でお酒でも飲んでさ」
返事をどうするか、本当に悩んだ。
二人に会いたかった。だけど、この胸の痛みがこれ以上ひどくなるのは耐えられない。
それに……かつての三人組はもういない。今はもう二人と一人だ。
ぼくは独りで生きていかなくちゃならない。
二人と距離を置こうと決めて、地元を離れる決意をした。
翌日の朝、カバンに着替えと貯め込んでいた現金を突っ込んで家を出た。
家出というよりは、失踪だ。両親にすら行き先を告げなかった。羽田空港へ向かって、釧路行きの航空券を買った。釧路にある叔父の家を訪ねるつもりだった。
成人式の前の週、正月ムードも抜けきらない一月。
雲一つない快晴だったが、釧路の気温はマイナス2度。
空港から釧路駅行きのシャトルバスに乗った。一面の雪景色で、巨大なアームを構えた除雪車が勢いよく道路の雪を弾き出している。
釧路駅に着いた時、「今日は暖かいね」と話している高校生がいて戦慄を覚えた。
東京、神奈川、埼玉千葉。それより外の人外魔境にぼくはいるのだ。
釧路駅前で、ぼくは伊吹と熱田に最後のメールを送った。
「叔父さんの仕事を手伝ってて、いますごい忙しい。しばらく帰れないから、成人式にも出ない」
二人からも返信は来たが、ぼくはもう返さなかった。
繋がっているという事実が辛かった。
耐えられないのだ。
熱田のデビューは、専門学校の在学中に決まった。
ぼくは一度だけ、熱田のライブを観に行った。三軒茶屋にある小さなライブハウスで、熱田はぼくの知らない人たちと組んだバンドで、中心に立って唄っていた。
熱田には歌に対する情熱があり、何よりも才能がある。文化祭の時と変わらなかった。熱田の歌声は人々を魅了して、熱狂させる。
デビューしてからは一瞬だった。熱田はすぐに売れた。あいつの才能は日本中に認められた。あれだけ唄うのを嫌がっていた熱田が、大人気のミュージシャンとして最前線で唄っている。
順風満帆というよりも、エンジンに点火したロケットが空を切り裂いて飛ぶみたいだ。熱田は一瞬で手の届かない高みまで突き進んだ。
ライブ、観に来てくれよ。
CD出すから、今度送るよ。
手の届かない遠くから、それでも熱田は手を差し伸べるように連絡をよこす。
すべてが苦痛だった。夢、希望、光。ぼくが渇望し、心の底から欲したすべてを熱田は手に入れた。
ぼくは少しでもあいつらと距離を置きたかった。
本当なら国外で暮らして、もう二度と会わないように生きていたい。
だけど日本を飛び出す勇気もなかった。
考えられる限界の地点が、叔父の暮らす北海道だ。
伊吹も映画監督として何作か発表して、SNSを使って積極的にプロモーションしている。
熱田ほどの人気はないようだが、伊吹の作った映画に熱田が主題歌を唄っていた。
二人は夢を叶えた。
伊吹も熱田も才能に溢れていたのに、ぼくだけが何もない。普通の社会生活すら送ることもできず、逃げるように二人から距離を置いた。
北海道へ着いた、その日の夕方。釧路川へ沈む真っ赤な夕日を見た。
輝く太陽が炎のように揺らめいて、凍りつく水平線の向こうへ沈んでいく。
ぼくはそれを眺めながら、握りしめた携帯電話を川へ向かって放り投げた。
放物線を描いて、携帯電話は水の中へ落ちた。
これでもう二人と連絡はとれない。
お互いに実家を知っているし、会おうと思えば、いつでも会える。
会おうと思えばいつでも会えるということは、会わないということだ。
永遠だと信じた強固な友情は、これで二度と戻らない。
こんなにも簡単に、人の絆は消えてなくなる。
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