「……やっぱり死ぬほどでもなかった。生きて」
お茶を出すのにひどく緊張した。
あろうことかテーブルに狐が座っている。ふかふかした毛並みは、夏は暑苦しそうだ。
「あのー。なんで狐の姿なんですか? 人間になれるのでは」
「こちらの姿の方が力が強いのですよ」
狐は、指の短い手で器用に湯飲みを持った。どうなってるんだ? しかし湯飲みに口を付ける前に、すぐに下ろした。
「あの子がいなくなったんです」
「珠希が?」
「行方を知らないかと思って」
私は答える前に、悩んでしまった。彼女に協力することがいいことなのだろうか。珠希は、家から逃げたいのかもしれない。そんな彼女を連れもどす協力をしていいのか。
「どうしたのですか?」
「あ、すみません。わたしにはわからないです」
ひとまずさっきの質問には正直に答えることにする。
「あの家は要石なのです。我々には先祖伝来の土地を守り、ひいてはあそこに流れる歴史を守る必要があります」
「はあ」
話がいきなり壮大になってきた。
「うーん……」
「あの、珠希は、恋愛相手についてあれこれ言われるのが嫌らしいですよ」
「そんなことはわかっています。でも、どの家もそうですよ」
そうか? うちの母親は恋愛相手に口出ししたことはない。中学生のころバレンタインでチョコレートを渡すときも応援してくれたし。まあ、何も言えないまま義理チョコとして渡しちゃったけど。
みんなって誰だ。そんな決め付けなんてどうでもいい。
「……それより、どうしてここへ?」
「占いでこのあたりだと出たので」
何か突然オカルトな話題になってきた。
「知らないのならしかたありません。外を探します。失礼しました」
狐はすっと立ち上がった。
「待ってください。わたしもついていきます」
珠希と、彼女をふたりきりで会わせるのは嫌だった。何をするわけでもないけれど。
珠希のお母さんは、軽くうなずいただけで、声に出して返事はしなかった。
玄関先まで来ると、狐の姿が一瞬ゆがみ、次の瞬間には人の形になっていた。
着物を着た美しい女性。手にはさっきはなかったふろしき包みを持っている。どうなっているのやら。
わたしたちはマンションから出て、少し大きな通りに出た。正方形の紙を取り出し、たたみ始める。あれよあれよといううちに、鳥の形になると、鳥はぱたぱたと飛び立った。うわあ……ファンタジー。
目を凝らす。そこそこ人の多い地域なので、目視ではなかなか見つからない。
そうこうしているうちに、鳥が戻ってきた。
「いないんですか?」
「室内にいるのかもしれませんね」
「それ、室内には入れないんですか」
「屋内は一種の別領域ですからね。入り込むには少しやっかいなのです」
いつの間にか商業地域にやってきていた。ビルがわたしたちを見下ろしている。
珠希のお母さんが、突然まぶたをぴくぴくさせた。
「変なにおいがする」
「え?」
わたしは周囲に向かってきょろきょろした。
「上」
ふわっと香水のにおいがした。
珠希の母親に続いて、見上げたときには遅かった。
「しね」
珠希が、お嬢様らしからぬ物騒なせりふとともに上から落ちてきた。そのまま彼女のお母さんに馬乗りになる。黒い髪の毛に金色の耳が生えている。母親を見下ろす目がぎらぎらと動物のように輝いていた。
体からはフローラルな香水のにおいがする。おそらくにおいをごまかすためにつけていたのだろう。用意周到だ。
「……やっぱり死ぬほどでもなかった。生きて」
自分で言っておいて罪悪感があったらしい。すぐに訂正が入った。こういうところ優しいんだよなあ。
土を払って立ち上がる珠希に、わたしは話しかけた。
「結局どうしてたの?」
「ネカフェで泊まってた。窓の外を見たら、お母さんとぶんちゃんがいたから上から追いかけた」
珠希は屋上を指さす。動物系の夜の眷属の身体能力はすごい。お母さんはよっこいしょと起きあがる。
「ちゃんとお金は払ったの?」
つっこむところはそこなのか。笑っている場合ではないのに、笑えてきてしまうからやめてほしい。
「払ったよ! とにかく絶対お見合いなんかしないから。家を継ぐのはいいけど恋愛は好きな人としたいの」
珠希はまっすぐにお母さんを見つめる。そこには何かの決意があった。
「それにお見合いしたところでどうしようもないし」
「どうして?」
「私、女の子が好きだから」
その場の空気が、凍り付いたのが見えた。
「で、あのあとどうなったの?」
一ヶ月ほど後、わたしたちはぐりふぉーんでお茶を飲んでいた。
珠希のお母さんと一緒に珠希を探したあの日、お互い何を言っていいかわからず解散となった。
あの場面で何か気の利いたことが言えるような語彙力が、私にはない。
「別に何も変わらないなあ……ビアンでも子どもを産む方法があるとか、養子を迎える方法とか。下世話で嫌になってきた。結婚しろと言われなくなったのが唯一の救いかな」
家族ってそんなもんだ。
それよりも、珠希が前とあまり変わらなくてよかったと思う。
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