「じゃあぼくの家に来る?」

 バイトが終わって、学校へ行くしたくをしていると、一色さんに話しかけられた。


「あやねちゃん、今日夜ひま?」

「ひま……といえばひまですが」


 こういう聞き方はずるい。内容がわからないのにひまだということがばれてしまう。


「女友達にプレゼントをあげたくて。どんなものが流行っているのか教えてほしいんだ」


 とりあえず、直接的なデートの誘いではなくてほっとする。

 女友達、というものがどの程度の親愛を表すのかよくわからない。けれど一色さんならどんな関係でもおかしくないなと思う。



 駅前の商業ビルで待ち合わせして、店を見て回る。

「えーっと、お世話になったお礼ですよね。じゃあ食べ物がいいかなあと。塩レモンとか流行ってるらしいですよ」

「なるほど」

 いろいろ提案してみるものの、こういうのはどちらかというと一色さんのほうが詳しいのではないかと思う。見るからに手慣れてそうだし。

 ああでもないこうでもないとやりとりして、ようやく買い物をしたときにはすっかり暗くなっていた。

 わたしたちは商業ビルの外に出た。 


「そろそろ終わろっか。門限あるだろうし」

「そうでもないですよ。うち、親が遅くなることが多くて。ひとりがさびしいので遅く帰ったりします。」


 一人親だということは、ややこしいので今は伏せておく。


「じゃあぼくの家に来る?」

「何言ってるんですか?」

「いいんだよ」


 ふわふわした甘いにおいがこちらに漂ってきて、頭の奥がしびれる。

 ああ、それもいいかもしれない。

 心地のいい眠気がわたしの目をかすませ、輪郭に夢の中のようなあいまいさを持たせる。


 そこで耳に、誰かの叫びが届いた。


「あやねさん!?」

 

 吸血鬼の男性が、目をきらっと光らせてこちらに走ってくる。

 河本さんはわたしの手をつかむと、全速力で連れ去った。


「ぎゃ!?」


 突然のことに手を振り払うこともできず、ひきずられるようにわたしは走った。やがていつもの公園まで来ると、やっと河本さんは止まった。

 さすがのわたしも、とっさに怒りを露わにした。


「ちょっと! いきなり何をするんですか」

「あやねさん、あれが何だかわかってるんですか? 夜の眷属ですよ」

「ええ?」


 詳しく聞き返そうとしたそのとき、空から人間が落ちてきた。

 背中から伸びた影がこうもりのかたちをとり、すぐに消えた。

「ひどいなあ、逃げるなんて」

 一色さんはにっこり笑った。そこでようやく気づく、甘いにおいは実際に香っているのではなかった。彼から立ち上る気配を、においのように感じていただけだった。

 元々は茶色いひとみが、動物のように街灯を反射して光っている。


夢魔インキュバス……」


 その可能性に気づくべきだった。

 夢魔の男をインキュバスといい、女をサキュバスという。人の生気を吸う夜の眷属だ。

 海外からやってきた種族だが、性風俗産業に外国人がやってくると同時に、彼らも海を渡ってきた。

 と、いうのは教科書の受け売りだけど。


「知り合いですか」

「そう見えるか?」


 だいぶ頭にきているらしい。無意識のうちに敬語が抜けている。


「どこから来たのか知らないが、年若い娘をたぶらかして恥ずかしくないのか

「僕、無理強いなんてしてないよ」

「当たり前だ」

「そう、これは自由恋愛なんだよ? 「他種族間の恋愛の自由」は協定にも載ってるし」

「そういう問題じゃない。だいたい、その……あれな夢を見せれば生気は吸えるんだから、夢の中で十分だろう」


 下ネタを話す河本さんが珍しく、思わず表情をじっくり眺めてしまった。河本さんはそれに気づいて顔をそらす。


「誤解されているようだからもう一度言うけど、僕は無理強いはしないし女の子は幸せにするよ。かわいいからね」

「ところで今関係を持っている女は何人いる?」

「えっそれはグレーのものも含むのかな?」


 ひえっと声が漏れる。やばい。この人はやばい。


「とにかくこの子はあきらめろ」

「やだ、生がいい」

「わがままを言うな」

「あのわたし、帰っていいですか」

「えー、待って」

「おう、帰りなさい」


 不満そうな声を背中に浴びながら、わたしは小走りで家に帰った。

 気持ちはすっかり冷めていて、久しぶりに頭の中がクリアになった。



 結局アルバイトはやめた。彼と一緒にいると恐ろしいことが起きそうで。


「バイト探し?」


 カウンター席に座っていると、島崎さんが話しかけられた。

 わずかにもらったバイト代で、景気付けにぐりふぉーんでソーダフロートを食べながらバイト情報雑誌を見ていた。

 わたしは愚痴もかねて、島崎さんにこれまでの経緯を話した。

 最後まで聞くと、島崎さんは腕を組んだ。


「うちで働く?」

「いいんですか?」

「ちょうどバイトが就職しちゃってやめたから。でも、知り合いだからって甘やかさないからそこはよろしくね」

「はい」


 聞き流しかけたけれど、島崎さんの視線が結構本気で、ぞわっとした。


「一応面接はするから、明日までに履歴書書いてね」


 やば……まじめに働こう。

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