吸血鬼、攻撃される
「お兄さん、あんた」
向こうから歩いてきた男性に声を掛けられて、少し苦笑いした。俺はビルの壁にもたれて、うずくまっていた。持ち前の顔色の悪さから、病人に見えたのだろう。
「少し酔っているのかもしれません」
「大丈夫かい? 交番まで送ろうか」
「それには及びません」
中腰になった男性の肩をつかんで自分と同じ視線に持ち込む。第一ボタンをはずして、がぶりと歯を立てた。
数分後、今度は俺が男性の顔をのぞき込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「ここは……?」
「倒れられたんですよ。立てますか?」
わきの下に手を入れて引き上げると、彼はゆっくりと立ち上がった。
「貧血かな……お兄さん、立てるよ。ありがとう」
「公園のベンチで少し休まれては? そこまで送りますよ」
「やさしいねえ」
男性を公園まで送り、無事を見届けてから、自分の家へと足を向ける。仕事帰りに嫌な寄り道をしてしまった。
午前2時を回っても、ぐりふぉーんは回転していた。
そのカウンター席に座り、アイスコーヒーをブラックで注文する。それを一気に半分まで飲んだ。
店の奥から、美月が現れた。
「どしたの? 怖い顔して」
「俺はもうだめかもしれない」
「なんで?」
「察してくれ」
「いや無理だし」
美月はそこではたと思い当たったようだ。
「ああ……血に飢えてるのか」
「気が高ぶってる」
「あの子のせいかな?」
「俺を殴ってくれ」
「だめ、といいたいところだけど……」
美月は意味深な間を置いた。
「彼女もう卒業するから合法なんだよね」
そういうことは言わなくていいのに。
血液の栄養に最適化された体に、カフェインはいまいち効かない。
俺は吸血鬼としては新参者だが、何人もの仲間が自ら灰になっていくのを見た。
そのくらい、吸血鬼の生活というのは厳しいのだ。
ではなぜ俺はここにいるのか。誰かを傷つけ、愛しい人の死を見つめながら、なぜ死ねないのか。
ーーただ忘れられないのだ。誰かに必要とされる喜び、誰かに焦がれる病熱が。
何度失い、何度別れても、俺は誰かに愛されたくなってしまう。それがあるから、とくに目的があるわけでもないのに、ずるずると生き残ってしまうのだ。
「まあ、好きなようにすればいいと思うよ。ロリコン呼ばわりはするけど」
「お前なあ……」
「じいさんは心が子どもだからちょうどいいのかもね」
「俺の回りのやつらはどうして俺に厳しいんだ」
「胸に手を当てて考えたら?」
不思議といらだちは起こらなかった。美月は彼なりに気を使ってくれていた。だから俺も軽口で応えることにした。
※※※
そして、春が来た。
少しずつ短くなり始めた夜を憂いながら、俺は予備校へ行こうとドアを開けた。そこで少女と鉢合わせする。
「こんばんは」
「ああ、お帰りなさい」
あやねさんは、新品の黒いスーツ姿だった。こてを当てたのか、髪の毛先がゆるくウェーブしている。
もう高校生ではないのだ。
「入学式?」
「そうです。河本さんは、春期講習ですか?」
「ええ」
短く答えて、立ち去ろうとすると、背中から投げかけられた。
「わたし、あなたのことが好きです」
「なっ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまい、慌てて口をふさぐ。この廊下は声が響くのだ。
「あ、でもご心配なく。返事は求めてないので。応えてもらえないの、わかってますから」
「じゃあ、なぜ言ったんですか」
「気づいてもらえない意趣返し? それと」
あやねさんは薄く微笑む。それはひどく大人びて見えた。
「あなたが応えてくれなくても、わたしは今幸せだということです」
あやねさんは俺を置いて、エレベーターへ向かっていった。俺はどこに行こうとしていたかも忘れて、それを呆然と見つめていた。
(2nd seasonに続く)
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