入来編

第18話 酒をのむ男

 藤国とうこく垂長すいちょう――。

 界壁かいへきを北西にして広がった規模の小さい都であるが、街ゆく人は多く賑わいが絶えることはない。石畳の目地に下草の緑が生えた街路を馬車が闊歩し、両脇には天幕の下でゴザを敷いた露店が並び、行き交う人々に向かって店主が張りのよい声を投げている。

 

 隣国となるおう白虎岩びゃっこがんの産地であるため、そこで採掘されたものは藤にも運ばれてくる。そのため垂長だけに限らず、籐国の家々は石造りなものが多かった。

 白虎岩特有の少し桃色を帯びた光沢のある白壁は艶やかなもので、そこに木々の枝葉や、壁を這う蔦の薄緑が混ざりあう様は、他国では見られない独特の雰囲気を醸しだしている。


「うわぁ、すごいなぁ!」

 知来ちきは目を輝かせて露店を覗きまわっていた。

 華やかな装飾品、変わった武具。どれも見たことないものばかりだ。

「おう坊主、じっくり見て行けや」

 かしこまった王宮で暮らしていた知来からすれば、店主のぶしつけな物言いも刺激的で面白い。目についた物を手にとっては首をかげしたり驚いたりしている。

「頼むから迷子にだけはなるなよ」

 後ろを歩いている陸鋭りくえいはやれやれと息をつく。子守は性分に合わず、妙に疲れるものがあった。

「もう大丈夫そうだな」

 げんは微笑を浮かべて知来を眺めていた。

 

 回復半ばで旅に出たため、体調面などの不安はあったが杞憂だったようだ。知来はぐんぐん回復していき、今ではすっかり元気になっていた。出会った当時の辛そうな表情が嘘であったかのように、らんらんと光る大きな目は興味が尽きることなく、子供らしい屈託のない笑顔も絶えることがない。もともと明るい性格の持ち主であったのか、

「陸鋭さん、見てこれ、ほら」

 と露店で見つけた怪しげな仮面をかぶっておどけたりもしている。その無垢な姿は内情を知っている源であっても王族とは思えないほどだった。

「今日はこの街で宿をとるか」

 時刻は昼六つ(午後3時)。少しでも進んでおきたいところだが、都を抜けるとまた寂れた道が続く。ここで休んでおくのが妥当であろうと陸鋭は判断した。

 

 と、何やら前方がやけに騒がしい。輪を囲むようにして人だかりができていた。

「おい、喧嘩だ!」

 などと叫びながら、野次馬が走りすぎていく。

 陸鋭たちは群衆から少し外れた場所で様子を見ることにした。

 

 輪の中心に、髪を逆立てたとっぽい若男と、大柄で太った男が向かい合っていた。

 いきり立って叫んでいるのは若男の方だ。太った方は酒瓶を片手に赤らんだ顔で笑っている。歳の頃は四十ほどの、身なりもだらしない不精な男だった。

「なんだ、またあいつか」

 近くにいた野次馬が迷惑この上ない口調で言ったので、源は知り合いなのかと尋ねてみた。

「冗談はよしてくれ、酒癖が悪くて有名なだけさ。真っ昼間から飲んでは、ああやって人に絡むんだ。でも、さすがに今日は相手が悪かったな」

 野次馬は若男に目をむけた。

「あいつもここでは有名な野郎さ。なんせ、すぐに抜くからな」

 それだけに周囲の野次馬も熱が入っているらしい。

 

 言葉のとおり、若男は罵詈雑言を喚き散らしたあと、懐から白刃をとりだした。

「陸鋭さん、とめないと」

「ほっとけよ、面倒くせえ」

 小指で耳の穴をほじくっていた陸鋭に、知来の訴えかける視線が突き刺さる。

「ったく、なんでおれが」

 かったるそうに前へ出た陸鋭を見て、源は軽く笑った。

 

 若男は相手を挑発するように、刃物を右手左手に持ち替えていた。酒男は腹をぼりぼりと掻きながら、にやついた顔でそれを眺めている。

 まさに一触即発。

 と、奇声をあげた若男が右手を振りあげ先に仕掛けた。

 そこにひょいと割ってはいる陸鋭。若男の手首を掴むと体を潜りこませ、相手の力を利用して軽い動きで遠くへ放り投げる。

 若男は物のように宙を舞うと背中から地面に落ちた。

 はやし立てるような歓声が野次馬からあがった。


「て、めえ、なにしやがる」

 息ができないのか、ひどくあえいでいる。

「昼間っから七面倒なことやってんじゃねえよ」

 さっさと去ね、と言わんばかりに陸鋭は手を払った。

「おう、外野はすっこんどけや」

 酒男の大きな手が陸鋭の頭を鷲づかむ。

「触んじゃねえよ」

 陸鋭は鬱陶しそうに男の手を払いのけた。

 頭に撒いていた布がはらりと落ち、剃りあがった頭部が露わになった。


「げ……」

 若男は声を詰まらせて青ざめた。

 周囲の空気も一変し、急激に熱気が冷やされていく。

 みなの目は陸鋭の頭部に向けられていた。

 そこにあるのは稲妻状の刺青だった。

「お、おい、あれ蘭国らんこくの……」

「ら、蘭龍らんりゅうだ……」

「蘭龍かよ……洒落にならんぞこれは」

「これは……さすがにやばいんじゃないのか」

 野次馬たちは声を押し殺してざわめき合っている。

 周囲の反応に源は少しばかり驚いた。


「けっ、なにが蘭龍だ」

 酒男は陸鋭の頭を支えにして寄りかかると、酒をぐびりと飲んだ。

「いいおとなが揃いも揃ってびびりやがって、なあ」

 真っ赤な顔を近づけながら、好奇な視線を一身に浴びている陸鋭の頭をぺしぺしと叩く。

「ああ……死んだなあいつ」

 野次馬たちは完全に血の気が引いていた。

 陸鋭は少しうつむいて佇んでいる。

「しょせん、ならず者の集まりだろうが、ええおい。だいたいがだな、いっちょまえに国とか言ってるみたいが、おれは認めてねえぞ、うい」

 かなり酒がまわっているのか、男は恍惚に満ちた表情で酒をかかげると、

「そうだ、おれは認めねえ、ただの、籐の片田舎じゃねえか。田舎もんは田舎もんらしく、田舎で米でも作っと――」

 陸鋭の体が一瞬おおきく膨れあがった。

 声を上げる間もなく、右の拳は酒男の腹に深々と潜りこんでいた。

 露店に向かってふっ飛んだ男は、砲丸のように陳列棚を破壊した。

 天幕が落ちて周囲で悲鳴があがった。

 店主は頬を両手で挟んで絶叫していた。


「陸鋭、やりすぎだぞ」

「そ、そうだよ陸鋭さん」

「いや、おれは悪くない」

 陸鋭は断言する。しかし面倒が大きくなったことは確かだった。さっさとずらかるか、などと考えながら落ちていた布を拾おうとしたとき、天幕が山のように盛り上がり酒男が出てきた。

「きかねえなぁ」

 腹をぽんぽん叩きながら男は言った。陸鋭を見てにやりと笑い、まるで水でも飲むかのように喉を鳴らしながら酒をあおる。

 陸鋭の目に熱い光がはしった。

「おもしれえ、死んで後悔しろや」

 左手を右腕にあて、すっと滑らせる。透かした文字が右腕に浮かびあがった。

「ばか、やめろ」

 あわてて源が止めに入ろうとしたときだった。


 けたたましい銅鑼どらの音とともに、武具に身を固めた者たちが駆けつけてきた。

「やばい、卯籐うどう(籐国軍の呼称)の警備兵だ」

 蜘蛛の子を散らすがごとく野次馬が去っていく。最初の相手だった若男も慌てて逃げていった。

「おい、離せくそったれが!」

「やかましい! 毎回毎回、いい加減にしろ貴様は!」

 警備兵は数人がかりで酒男を押さえにかかった。激しい抵抗に苦労しながらも、どうにか縄で縛り上げると、今度は警備兵の中のひとりが、腰の太刀に手をそえながら厳めしい顔で陸鋭の前までやって来た。

「おい、おまえも一緒に来い! 喧嘩は両成敗……だったような違ったような……いや両成敗では……ないですね。も、申し訳ありませんでした」

 威圧的な態度がみるみる萎んでいく。その目は陸鋭の頭部に釘付けになっていた。

「頼むぜ、ほんとに」

 陸鋭は布を拾いあげると頭に巻いた。

「は、はい。重々に言って聞かせますので」

 警備兵は右の拳を左手で包んで深く頭をさげると、そそくさと酒男の方へ戻って行った。


「離せって言ってるだろうが!」

 酒男はまだ暴れていた。縄で縛られながらも荒れ狂う姿は、どこか猛牛を思わせるものがある。

 と、そんな暴れ牛の前を、ひとりの女が通りすぎた。

 艶のある黒髪を腰のあたりでなびかせた、旅装束姿の美麗な女だった。

「え……?」

 酒男が急におとなしくなった。ひどく面喰った顔になり、小刻みに揺れ動いた目は通りすぎていく女に釘付けされていた。

風花ふうか……? 風花なのか。おい、おれだ風花、聞こえないのか」

「うるさいぞ、おとなしくしろ!」

 がつんと警備兵に頭をなぐられ、酒男は前のめりになった。

「嘘だろ……なんでおまえが」

 唖然としているのは殴られたからではないようだ。力の抜けた足取りで女の跡を追いかけようとするが、警備兵に縄を引かれる。女との距離が縮まることはなかった。

「まて、おい離せ、頼む離してくれ! おれだ風花、おい!」

 叫ぶも虚しく、酒男は馬車に積みこまれ、そのまま遠ざかって行った。


「ああはなりたくないな」

 陸鋭は肩をすくめて息をついた。

「でも、あの人なんか言いたそうに見えたけど」

 気を揉んだ様子で馬車が去った方を眺めていた知来の前に、凛々しいふるまいをした女が足をとめた。

「蘭国頭首、國立くにたちの陸鋭様とお見受けしました」

「ん、誰だおまえ」

 女は胸の前に差しだした右手の甲に左手を添えると、右足を軽く後ろに引いて頭をさげた。

「お初にお目にかかります。わたくし葛国かつこくよりの遣いで参りました甘祢かんねと申します」

 甘祢は小顔をあげると、毅然としながらも愁いを含ませた双眸で陸鋭を見つめた。

「場所を変えるか」

 陸鋭は言った。

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